響の会〔清水寛二・西村高夫〕
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田村
曲名: 田村《たむら》
作者: 世阿弥
季節: 春・旧暦3月
場所: 京都・清水寺
分類: 修羅物・二場
上演時間: 約1時間20分
上演データ: 第16回 響の会
2005年5月21日(土)
宝生能楽堂
シテ・西村高夫
※小書「替装束」
田村
西村高夫〔撮影:吉越研〕
●あらすじ
文・表きよし(国士舘大学21世紀アジア学部教授)
 旅僧(ワキ)が都見物を志して従僧(ワキツレ)とともにはるばる東国から清水寺にやって来る。桜の木陰を掃き清める童子(前シテ)を見つけて声をかけると、童子は清水寺の地主権現に仕える者だという。童子は旅僧の求めに応じ、延鎮という僧が行叡居士の教えに従って坂上田村麻呂を檀那として清水寺を創建した話を語り、清水寺の本尊である千手観音の有り難さを讃える。さらに童子は清水寺から見渡せる名所の数々を旅僧に教え、春の夕景の素晴らしさを詠嘆する。その様子がとても普通の人とは思えないため、旅僧が童子の名を尋ねると、童子は私が帰る所をよく見るようにと言い残して、境内にある田村堂の中へと姿を消す。
 門前の者(アイ)から清水寺草創の話を聞いた旅僧は、先ほどの童子は坂上田村麻呂の霊であると確信し、経を読誦しながら再び姿を現すのを待つ。すると武将の姿の坂上田村麻呂(後シテ)が現れ、旅僧の読経に感謝しつつ、征夷大将軍として東国の反乱を平定することができたのも観音の仏力のおかげであると言う。坂上田村麻呂は、勅命により鈴鹿山の凶徒を討つために伊勢へと向かう道中の様子を語り、観音の仏力によって凶徒を討ち取った様子を再現してみせる。

〔'05/5/21 第16回 響の会 パンフレット掲載〕
●解説
文・表きよし(国士舘大学21世紀アジア学部教授)
 作者不明の二番目物。二番目物(修羅能)のほとんどが平安末期に活躍した源氏・平氏の武将をシテとするのに対し、本曲は平安初期の武将である坂上田村麻呂をシテとする点に特色がある。坂上田村麻呂は延暦十六年(七九七)に征夷大将軍に任じられ、数度にわたる遠征によって陸奥平定に力を尽くしたことで知られている。また坂上田村麻呂が延鎮に協力して清水寺を創建した事は、藤原明衡撰とされる『清水寺縁起』や『今昔物語集』などに見える。本曲は合戦で討ち取られた武将の生前の活躍や最期の有様を描くのではなく、清水寺の縁起の紹介や清水寺の本尊である千手観音の仏力の有り難さを描くことが中心であり、二番目物でありながら祝言的色彩が強い。合戦の勝者をシテとすることから、〈箙〉〈屋島〉とともに「勝修羅三番」と呼ばれることもある。本日の上演では「替装束」の小書が付くため、後シテの扮装が古代の武将としての威厳を強調した形に変わるなど、通常とは異なった演出で上演される。

〔'05/5/21 第16回 響の会 パンフレット掲載〕
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