響の会〔清水寛二・西村高夫〕
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「響の会通信 vol.1」2002年9月発行
●コンテンツ
巻頭言: 西村高夫「演者、観客、そこに響の会…」
巻頭言: 清水寛二「雪と風から」
レポート: 舞台報告[第13回 響の会]
寄稿: 村上湛氏「芭蕉のこと」
ご案内: 松虫と山姥と シテ二人の話から
【巻頭言】西村高夫「演者、観客、そこに響の会…」
 ある中堅俳優の急死に際し、彼の友人の脚本家&演出家が、亡くなった彼が好きだった『007シリーズ』から引用して、「役者は2度死ぬ」の言葉を贈った。一つは肉体的な死であり、もう一つは「観客から忘れられる」ことであると言うのだ。「お客さんがお前を忘れた訳でもないのにどうして死んじゃうんだ」とでも「肉体的には死んでもお前はお客さんの中に役者として生きている」とでも言いたかったのだろうか…。
 能も演劇である以上、能役者も然りである。能を支えるのが演者と観客であるのは自明の理である。しかし、演者側は伝承とか後継者育成とか自発的努力を続けているのに対し、観客側はというと、いい能が自然にまたは偶発的に発生・成立するのを待っているように思われる。これは何も観客側のみの責任といっているのではなく双方に責任があるのだろう。戦後半世紀以上、あるエネルギッシュな客層の何人分もの働きによって、絶対人数ではない延べ人数的観客層に支えられてきた状況が終わりを迎えようとしている今、まずこれからの半世紀、能を支えていける新たな観客層の核を創り上げていかなければならない。その為には、演者は、観客は、なにを為すべきか。そういう問題を共有できる場として響の会(集いなどの活動も含めて)を考えていきたい。
 池に石を投げ込んだばかりの身勝手な文章ながら、ひとまず…。
  【巻頭言】清水寛二「雪と風から」
 宝生流の故田中幾之助師は後見の時、まるで大木がしっかりと根をおろしているように後見座に座っていらした。そしてシテを舞われる時は、いかにも繊細だった。「葛城」の呼びかけなど、本当に雪が降る中を近づいてくるように私には見えた。
 今回「養老」を舞って『あの「丹後物狂」の時のよさはどこへ行ったのか』という投書をいただいた(「丹後物狂」昨年12月「橋の会」での復曲上演)。
 昨年は心身に齟齬があり、また技術面での克服もなかなかできずに、稽古中は制作者を心配させたが、出演者の皆さんの大きな協力もあり、当日は「今年の大きな収穫だ」との評価を得ることができた。
 なかでも「海からの風が一瞬ふいた」という声はとてもうれしいものだった。
 今考えれば、その日の舞台に(観客席も含めて)すでに丹後の松原がひろがっており、私は小さな「我」としての演技をする必要もなく、自ずから「能」のときを皆さんと共有することができたのだと思う。
 響の会の挨拶文に「能の地力」と毎回のように書いてきた。自分たちで公演を持ち、作品を発表していく時、「地力」は舞台上の事だけではなく、制作などの様々な範囲に必要になる。その両面の地力をつけ、舞台と客席とが響きあう豊かな時間を実現させたいと思う。
  【レポート】舞台報告[第13回 響の会]
 去る7月20日、宝生能楽堂にて第13回 響の会が催された。番組は能「養老 水波之伝」清水寛二、狂言「悪坊」山本則直、能「三井寺」西村高夫。
 響の会に宛てられた感想には「養老」の神舞を中心とする演奏、「三井寺」の地謡に対する好評が多かった。また見所のおしゃべりを気にする声や、役者に対する批判もあった。
 今後アンケートをどう活かしていくか、また演能にとってアンケートがどのような意義をもっているかが問われなければならないだろう。
 当日ご来場頂いた皆様、感想を下さった方々にこの場を借りて厚く御礼申し上げます。
  【寄稿】村上湛氏「芭蕉のこと」
 〈芭蕉〉を好む人はあまり聞かない。が、わたくしは積年これを偏愛し飽きることを知らない。研究者の間でこの能は、禅竹真作という以上にことさら内容吟味はなされないかの如くである。実際の舞台と隔絶し机上に自足するのを専らとする現状では、これも止むを得ない。役者も敬して遠ざけたかして諸流を通じてどちらかといえば稀曲に属し、宝生流では昭和50年代後半に佐野萌が勤めるまで、70年だかの長きにわたって一度も演じられてこなかった。
 〈芭蕉〉ルネサンスは観世寿夫によるものだ。写真集『至芸の風姿』に載る近江女の寿夫のたたずまいは、作品の重層的な内容を語って余りある。以後、この曲の上演数は確実に増えた。一般に「渋い」能の代表とされる〈芭蕉〉だが、『謡曲拾葉抄』依頼常識となった一原拠・元代の怪異譚集『湖海新聞』には、女姿の芭蕉の精が男に近づき容易に去らぬ話がある。禅竹に限らず中世の能作者の教養は雑駁で不可解なだけに、水面下のイメージは氷山のように辺際もなく巨大だ。間接に匂う蕉女艶怪の逸話はもちろん、直接の主題であるはずの摩詰画蕉・夢狸獲鹿の故事にせよ間狂言で語られるのみで、肝腎の謡曲本文には明示されないのだから、逆にこの能ほど演ずる者・見る者に豊かな幻想を許す曲はないともいえよう。長絹を破れ裂いて着たいと言った禅鳳から、小面に無紅装束の配合をしきりと云々する名人六平太まで、伝書・芸談を繙くにつけ代々の役者たちの珍案・明察とりまぜて、一ひねりも二ひねりもある上演史・解釈史の面白さは実に無類である。
 わたくしにとっての〈芭蕉〉は、粟谷新太郎・三上泉・近藤乾之助・先代観世銕之亟の能であり、友枝喜久夫・松本恵雄の舞囃子である。恵雄は二度見た能よりも一度しか見なかった舞囃子が美事で、完全な身体操作の結果がどれほど豊かなイメージを湧出させるかを思い知らされたし、能としては演じなかった喜久夫は現在能も夢幻能も区別のないしたたかな「芸」で圧倒した。舞い謡う内容がすべてカタカナに置き換えられたような無機質・不気味な新太郎。ひたすら自己実現に終始させつつも滔々と流れ行く時間を実感させた泉。袴能と装束能とで変わらぬ遒勁な造形性を見せた乾之助。ガラス細工を扱う繊手で細部を織りなし「女」を演じ尽くした銕之亟。どれもその時のわたくしにとってなくてはならない体験であり、そのどれもによって今のわたくしのある部分は形作られている。梅若六郎は今回が初役であろう。女身を演ずるに長けたこの人がいかなる〈芭蕉〉を演ずるか。
 草木国土悉皆成仏の天台本覚思想は、臨済禅の思弁法とも絡みつつ枝葉を繁らせ、中世の思想史に美しい花を咲かせた。思えば〈芭蕉〉ほど能的な、日本固有の文化性を象徴する戯曲はほかにない、と言うこともできるはずである。
  【ご案内】松虫と山姥と シテ二人の話から
 「松虫」はどこか筋がはっきりしない。まず一組の親友が出てくる。一人が松虫の音にひかれ叢に入ったまま死んでしまう。この急死の原因は何も語られない。連れの友も、間狂言の語りでは後を追って死ぬ。しかし謡曲自体にはその男が死んだとは一言も書かれていない。
 では後の亡霊はどっちの男なんだろう? 考えると謎が多い。しかも平安頃はマツムシとスズムシの名は今と逆だったと聞く(そうではないとする説もある)。
 「松虫」は作者確定にも議論が多い。その隙間・謎がそのまま、解釈・演出の可能性になるのだろう。
 「松虫」は若い役者が舞うことも少なくない。しかし清水氏にとっては「この年齢になって表現できること」が主眼であるという。未知の隙間の中でどう「舞い遊ぶ」姿が見られるだろうか。
 一方「山姥」は西村氏にとって挑戦であり、「自分の力量と曲との対決」になるという。また、これまで先輩方の「山姥」に地謡やツレなど様々な形で係ってきて、相当厳しい曲だと実感しているという。しかし稽古の中で「曲とがっぷり組める」と感じつつあるとも語ってくれた。
 輪廻、山そのものともいえる山姥の存在が、どう身体表現に昇華するのか。また「山姥」を短く語るならばとこんな言葉を頂いた。
──善と悪。正と邪。そして優しさと恐ろしさ。皆これ不二なり。いざや廻らん──
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