響の会〔清水寛二・西村高夫〕
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「響の会通信 vol.3」2003年8月発行
●コンテンツ
巻頭言: 西村高夫「ロシアより愛をこめて」
巻頭言: 清水寛二「井筒の月と闇」
特集: 観世榮夫氏インタビュー
「袴能のこと、俊寛のこと」
レポート: 第4回響の会の集い報告
レポート: 第18回研究公演報告 アンケートから
寄稿: 村上湛氏「能を『見る』ことは」
ご案内: 響の会 平成15年下半期予定
  【巻頭言】西村高夫「ロシアより愛をこめて」
 月は冷たく鏡の如しと言う。太陽は凝視する事は出来ない。月はそれが出来る。見る者の想いや姿を写(映)すと言う。だからいつも月は昔のまゝ“あの時”のまゝの月でなければならない。陽光を受け陰光とする。物事の陰と陽、表と裏、その裏の部分をあやしく彩る月。満ちるもあれば日々刻々と形を変える月。月においては残月。欠ける事のない太陽に対し、欠けてゆくものこそ月。満ちてはゆくが、欠ける運命にあるものこそ月。残月に見る陽(表)の影。陰と陽、この二つの“成り合い”によって生まれる月。満ちて欠けてゆく運命にある月に私も我々も、そしていにしえ人も己の月を重ね見るのか…。
 今ロシア(モスクワ)にいる。能楽座公演で、観世榮夫氏の『景清』だ。私は娘人丸の役で、月に父を見て想い、景清(榮夫氏)はいつの月を見るのだろう。屋島で見た月、今日向宮崎で見る月。そして榮夫景清は、人生喜寿の峠を越えんとする今、いつの月をこの異国の地で見るのだろう。
 さて九月二十七日(土)の響の会ではどんな月が…。井筒の女は、夫を待ちこがれつゝ見る月か、共に誓った二人で見た月か。
 かわいい子猿が仰ぎ見る月は、嬉し恥し見る月か、親猿恋しと見る月か。
 そして菅相丞が見る月は、いにしえ内裏で見た月か、比叡の深谷に見る月か、ついには月の光をも消し去る程の雷光が内裏に満ちて鳴り渡る。月が見守る物語。デンデンデデンデン。     
ロシア(モスクワ)公演  03.6.30〜7.4
  【巻頭言】清水寛二「井筒の月と闇」
  ここに来て 昔ぞかえす在原の 
  寺井に澄める 月ぞさやけき
  月ぞさやけき
 「龍田越」――大和から河内へはこの道である。
 この龍田に大和の水は集って難波の海へと向う。私は古代に帰化人の優れた技術を得て大規模な掘削工事が行われ道と河が安定し、難波河内の王朝から大和王権へと移る礎が出来たのだと勝手に想像している。(そしてそこにあったドラマを紅葉に託して暗示しているのが「龍田」と「逆矛」の二つの能だとこれまた勝手に思っている。)
 業平は当時すでに第一級国道でなくなって久しいこの「龍田越」を大和から河内へと通う。
 そして、紀有常の娘は今日、「ふと」旅の僧に目覚まされてこの「龍田越」を「また」見てしまうのである。
 執着を捨て菩提を願い仏にすがる心が浄土のある「西」へと向わせるにもかゝわらず、その「西」(在原寺から)には、月の下に「龍田山」が黒々と見えてしまうのだ。
  まことは我は恋衣       
  紀有常が娘とも        行方は西の山なれど
  いさ白波の龍田山        眺めは四方の秋の空 
  夜半にまぎれてきたりたり     松の声のみ聞ゆれども
                    嵐はいずくとも
                     定めなき世の夢心
 能舞台に置かれた作物の井筒の何もない底に、何が見えるのか。
 
 それは在原の地からの大和盆地の四方の眺めがあってこその、寺井のブラックホールだと思っている。
  【特集】観世榮夫氏インタビュー「袴能のこと、俊寛のこと」
◆夏の風物詩としての袴能

 僕らの子供の頃は、冷暖房ないから6月までで装束能を終えて、6月半ばから9月初めまでは装束能はほとんどなかったんですよ。あれば袴能でしたね。ですから銕仙会の例会でも6月から9月までは、夏は休みが多かったけれど、袴能でした。各会とも夏は袴能でしたね。
 袴能が減ってきたのは最近ですかね。袴能というのは普段能を見慣れていらっしゃっる方が見ることで魅力があったのだろうけれど、初めて見られる方は面装束がないだけに何だか分からないということがあるでしょうし。戦前までは、月並の例会というものは観客は愛好者が中心でしたから、袴能が成り立ったのだろう。今は成り立ちにくいだろうね。袴能というのは今までは装束や面で補っていたものを、自分の体なり生の顔なりでどう補っていくかですね。やっぱりそれは能をやっていく技法をもう一遍考え直していく機会にもなりますから、やりがいがありますね。
袴能ってものがシテから地謡含めた演者が、その能の骨法をきちんと作ってないと何も出てこないということがあるから。今度の響の会の企画のようにそういう点を逆手にとってやるということは今必要なんじゃないかな。逆に能本来の力が出るという効果はあるんじゃないかと思いますね。それを私は期待してます。


◆俊寛という曲

 今度の曲は「俊寛」ですから、普通の意味での劇的な要素があるので、それを形式の中でどう表現できるかというのが1つですね。今まで多くの先人達の「俊寛」を拝見してますけれど、祖父の華雪の「俊寛」がドラマを内に抑えたもので、それが非常に強い表現で心に残っています。それから喜多へ行っていた頃は喜多六平太さんの「俊寛」が印象的でした。あと近藤乾三さんのものも宝生流らしく手強い感じで感動しましたね。
 「俊寛」というのは普通の意味でのドラマもあり、俊寛という人が流されて一人残されるという主題ではあるけれど、その前に二人のツレがいますよね。康頼・成経という。その二人は帰ることを期待して生活していますね、御熊野の神を勧請して。日々祈っているわけです。それに対して、俊寛は斜に構えて参加しません。それは1つには革命に参加したような人間が元の政治形態のままの社会へ戻るということなど考えていないのだと思います。そういう絶望の中で、怒りみたいなものを抱えてくすぶっている感じが強いのではないかと思います。
 そんな人間が1人だけ島から帰れないと分かって、とてもひどい仕打ちであると感じるのでしょう。そこが袴能で面白く出来ればと思うのですが。ですから内面の組み立てをきちんとやっておかないと。ただ雰囲気だけになっちゃうとどうにもならない芝居になっちゃうから。
 初め舞台に出てきて「玉兎昼眠る雲母の地…」という初めのサシの謡。その中で繰り返される日常の中に自分の中に日々くすぶっているものが出てくるようにならないとうまくいかないでしょうね。だからその前の神に祈っている2人とは対照的にならないと駄目でしょう。
 艫綱を引くところも面白い。今回は袴能だからどうしようかと考えているのですが、艫綱を出さずにやるか、それとも出してやるか。実際に艫綱が出てそれが切れることの中に、都や日常から切り離されることもありますから、綱を出すことでより抽象的な表現にもなり得ます。どちらがよいかは今も悩んでいるのですが。本番までには決めないといけませんね。


◆俊寛を演出した思い出から
 
 もう10年くらい前になるかな、能と文楽と歌舞伎とで、「俊寛」を一緒の舞台で演出したことがありますよ。初めの企画としては一つのスペースの上で全部一緒にやるというものでした。そんなこと出来るかって、能の本と歌舞伎の本とでは台本が違うのだから。でも考えてやることになって。まず能をやっちゃう。歌舞伎と文楽は近松が書いた本だから、だいたい似てる。俊寛の個人の場面は文楽でやって、大勢出てくる場面は歌舞伎でやって。文楽はオケピットで。その場面が終わると舞台上では歌舞伎があって。その公演で外国を周りましたよ。大体オケピットのある所を探して。それは大変好評でしたね。日本へ帰ってきてビデオで公開したりして。最後の俊寛が取り残される場面は3人の俊寛が出てきて(笑)。能と文楽と歌舞伎のね。


◆能をどう伝えていくか

 能を伝えるということでは、私達はまだ手探りの状態だと思っています。非常に難しい。伝えるべきことを伝える体制なり方法なりを確立していかなくてはならないのですけれど、ついついおろそかになっていますね。
 能を外から見ようとする視点と、自分で自分をしょっちゅう見て、自分を作り変えていく努力をしていないと自分が発信しているつもりでも、どんどん鈍化して、新鮮味がなくなってしまいます。自分自身にどれだけ厳しく、向かっていくか。難しいですけれどね。
能・狂言をマネジメントする人も必要ですが、マネージする人と演者との気持ちが近い所にないと。この演者は今何を考えていて何がしたいのか。それをちゃんと汲み取ってマネージしてくれる人がいるということが非常に大切だと思いますね。
(指導している)京都造形芸術大学の生徒などは皆意欲的ですよ。こちらも一生懸命伝えたいと思うし、皆の体にもそれを受けとめてもらえたらと思っています。結果として未来にどうつながっていくかということはまだ難しいことですけれど。
 僕たちの仕事というのはある程度形が出来ているから、型をマスターすれば何かできたような気になりやすいものなんだけど、それは入り口にすぎない。それから先が自分との戦い、自分の技術との戦い、そして本当は観客とのぶつかり合いの中での戦いということになっていかなくちゃならない。そういう厳しさを、観客の方もなんだけど、演者の方がもっと持ってないといけない。一方でパターンができれば一応のものは出来てしまうということがありますから。でもそれは一応のものでしかないし、何の感動も呼ばない。それでは駄目だということにならなくてはいけない。そして大勢でやる仕事だから、個人でいくら考えたって駄目だし、そういったときにどうやって全体を進めていくかということは非常に大変なことですけど。大変なことですなんて言っていられないわけで(笑)、毎日のことだからそれをやるように努力していかなくちゃならない。そう思ってやっても終わってみるといつも何か足りない感じがしますね。
銕仙会は歴史的にもそういうことでやってきた所ですし。それでもまだまだ欠点はあるし、足りないところばっかりという部分もありますしね。本当に一人じゃ出来ない仕事ですから、全体が押し進んでいかないと先に行かないというところがありますからね。


◆若い観客に向けて

 1950年代の終わりから70年代にかけて、学生の観客が多かったのかな。時代の雰囲気もあったでしょうが。もう1つ、本当にきちんとやっていかなくてはならないのは、古典という特別なものをやっているのではなくて、現代の舞台芸術の中で今生きてなければどうにもならないんだということを能の演者が自分の中で感じていかないと駄目なんだと思う。古典芸能だから立派だ、偉いなんてことはないわけで。本当に観客がいて初めて良いとか悪いとかが出てくるわけだから。そういう覚悟を持ってやらなくては駄目だし、また観客に媚びるようなことをしては駄目だし、自分が今これをこうやりたいんだというものを打ち出していかないと駄目なんだね。
 世界文化遺産に指定されたって、では文化遺産ということになって、お前さん死んでいるのかって。ミイラを守るように思っているなら問題で、文化遺産という言葉自体有難いものではないですよね。そういうことを思って我々がやらないと、遺産で良いということになってしまうからね。自分たちの中でそういう自覚なり反発なりってものを銘々が持ってないと駄目でね。新しがるのがいいとはちっとも思わないけれど、古がるのがいいとも思わないからね。
 やはり古典であるとかいったことを越えて肌で触れ合って心で触れ合う感動がない限り本当に芸術とは言えないわけでね、そうでなければ古い資料を見るのと同じことになってしまう。そういうことではないと思うんですけれどね。やはり人間の体でやることだから、毎日の体がどういう反応をするか、能に対してどういうことを考えるかということ、ぶつかって考えるということを日常的にしていなければ駄目なわけでね。お稽古しますからってやってるのではなくてね。


◆ジャンルを越える活動

 異なるジャンルとの競演ということで言えば、今は中途半端なはやり方が目立つように思います。逆にいえば今は危機だと思っているんですよね。いろんなことで個人もそうだけど集団としても試練を課していかないと駄目な時期じゃないかと思っています。難しい辛い問題かもしれないけど、能役者の一人一人、舞台を作り上げていくスタッフがいろんな問題を出し合ってぶつかり合っていかないと駄目な時期じゃないかと思います。
 僕が喜多流にいたころなどは、月並能のあとは観客全体ではないのですが、10人くらいかな、演者もその日出ていない人も含めて、必ず合評会みたいなものをやっていました。その日の演能の話ばかりではなくて他の舞台の話も一緒にしていましたね。そういうことはもっとあってもよいのではないかな。そうすれば舞台に対するいろんな意見をぶつけ合って、それを皆が持ち帰ってもう一度考えるということになりますからね。そうしないと役者の技術主義や解釈主義の独りよがりになってしまって観客がついてこないということになりますから。いつもそういうことにならない位置に自分を置いて、批評でも何でも受け入れていかないと駄目になってしまう。今の青山能の舞台後の講座も、「教える」という形を取ることで観客との議論をさせにくくしている面はありますね。


◆現在の稽古の形

 今の稽古のことをいえば、内弟子の年齢があと10歳若くなればよいのではないかと思っています。世阿弥の言う「一期の盛りここなり」という時期ですよね。基本的に能の筋肉を作っていかなければならない時期が、現在では少し遅くなっているのではないかと思っています。そのために基本的な稽古の後の観客や世の中とぶつかって能を作る時間が少なくなってしまう。


◆これからの能

 戦後銕仙会がシテ中心主義ではない演者全員による能を目指したのですが、もう一度それを考えないと駄目でしょうね。事務所・観客もそこに含めて。そこには中心になる理念も必要だと思うけれども、その理念も常に洗い直していないと鈍化してしまうから。理念があんまり「錦の御旗」のようになっても、実質としては深まっていないということになるから。本当は毎日稽古するという具体的なことなんだと思うんだ。観念を稽古するのではないのだから。具体的なことの中でそれがしょっちゅう問い直されていないと駄目なんですよ。それがなかなか難しいんだよな。
 例えば制作者がいて、制作者の理念がある。それが役者にも反映する。逆に役者が制作者に影響を与えることもあるだろう。そこにもちろん観客も入ってくるわけだし。その三者のいい関係がないと上手くまわっていかないだろう。それをやっていくのは大変ですけれども、大変ですけれどもなんて他人事みたいに言ってられないわけで(笑)。自分達でやることだから。


◆ 1つの曲にどう取り組むか

 今年の銕仙会の例会で僕のシテは正月の「猩々」だけでした。だからその曲に賭けようという気持ちはありましたね。1つの曲をやるというときに、これをどうするかというイメージを持って稽古する、作るということが大切なのだと思いますね。それは挑戦なんだと思う。
 銕仙会の中でも戦いなんです。兄貴(観世寿夫)が生きている頃は兄貴のイメージでいろんなことが出来たけど、今はそうではないですからね。だからそれは銘々でひとつひとつやっていかなくてはならない。そして新しい芽をどんどん発掘していかなくてはならない。そのためには試練も冒険も必要だしね。
 今生きてる僕らが、今生きてる観客とぶつかりあってやるのだから、どんな歴史があろうが伝統があろうが、そういった歴史や伝統に打ち勝って今の舞台を作らないといけない。上手く見せようとか、技を見せようとかではなくて、何を訴え、何を表現しようとしているかを本当に突き詰めないといけない。そのためには新しい観客としょっちゅうぶつかり合うことが必要なんじゃないかな。
  【レポート】第4回響の会の集い 報告 ─ 横道萬里雄先生をお招きして
平成15年6月21日 於 銕仙会能楽研修所
 去る六月二十一日銕仙会能楽研修所にて第四回響の会の集いが催された。今回はゲストとして戦後の能の研究・創造をリードして来られた横道萬里雄先生をお招きした。まず近年の能の新作・復活の隆盛に関して、役者の表現意欲の拡大がその大きな源であると分析された。また能の新作・復活の態度として、原型復元よりも現代人への訴えかけを主眼にする態度を支持された。第十八回研究公演でも上演された「三山」の話を例にとって、アイの文句を含めた創作・囃子の細かい効果も考えた上での演出など、あくまで曲の主題を鮮明にするための復曲作業が具体的に解説された。
 そして今後の新作能の課題として、作曲と演出とのきめ細かい連携を挙げられた。休憩をはさんで参加者からの質問に答える形で話が進む。能における演出、拍手、人間国宝という制度に関してなど、初心者のどんな質問に対しても詳しく丁寧に答えて下さった。現行曲の上演の際でもシテ方から演出を専門にする役者が出ても良いというお話もあった。今後の能楽界の展望については、舞台で芸を燃焼させる役者がどれだけ現れるかによるだろうと答えられた。
最後に観世寿夫氏に関する思い出をという質問に、寿夫の舞台を見るときの真剣さが一番印象に残っていると。そこから「能を見る眼」の重要性を説かれた。そしてこのように観客が集まり、一見間違っているような意見でも出していくことが大事だとして、お話を終えられた。 
  【レポート】第18回研究公演報告 アンケートから
1部 氷室
○ 能は初めて見ましたが勢いに圧倒されました。(同意見多数)
○ 夏の様な本日の気候にピッタリの能で、タイミングがとても良かったと思います。
○ 前シテの謡にもう少し落ち着きがあればより後場とのコントラストが際立ってよかったと思う。
○ 天女の舞は中途半端な印象を受けました。
○ 後半は動きがダイナミックでとても見応えがありました。(同意見多数)
○ こういうあまり出ていない曲はおもしろいと思います。

2部 三山
○ 1・2部で萌える春と散る春を合わせているのが素敵だと思います。
○ 地謡が素晴らしかった。(同意見多数)
○ 後場が狂女というより鬼のようだったのでどうかと思いました。
○ ツレはシテとは違うカラーを出しつつシテより目立ってやろう位の勢いの方がいいと思います。
○ 「三山」はあれくらい装束・演技・謡から発散してしまったほうが見やすいですね。
○ 台詞に囃子の音がかぶって聞き取れない箇所が多く素人なだけに残念でした。

◆総括
 今回1部終演後回収できたアンケートは40通。2部終演後のものは25通である。試みにその一部を掲載した。アンケートに関して、人によって全く正反対の意見があることはもちろんだが、舞台の細かい内容にまで踏み込んだ意見は意外と少ない。その原因として、回答者の多くが観能初心者であることが挙げられる。能に対する遠慮から、なかなか本音が書かれていないという印象を受ける。しかし本来はそういう人々の新鮮な意見の中に、敷居の高い能のイメージを変えていく可能性もあるように思う。今後そのような意見をどう汲み上げていくか、また併せて観能歴の長い方々からも回答が頂けるようなアンケートの方法を模索したい。
 当日ご来場頂いた観客の皆様、また貴重な時間を割いてアンケートに回答下さった方々に心より感謝申し上げます。
  【寄稿】村上湛氏「能を「見る」ことは」
 能を見るのが好きでたまたらない。
 能の批評を書きはじめて何年たっても、ついぞその気が失せたことはない。毎日だってかまわない。
 出来の善し悪しはあまり問わない。そりゃ、すべてに揃った結構な舞台に越したことはないけれど、そもそも「良い」舞台とは、「良い」能とは何なのだろう?
 おびただしい数の舞台を見つづけても、いや、見れば見るだけ、そうやすやすと「良かった」とは言えなくなる。だから、人が「良かった」と言うものに対して、私は常に疑いを抱く。「良かった」って、何が、どう、どんな理由で「良かった」のか。
 酒席の隣人、酔余肝胆相照らし合ったつもりでいても、醒めてしまえばどこのどなた、というような能の見かたは嫌だ。役者が舞台上で孤独なのと同様、見所の客も孤独なのだ。私にとって能を見るとは、弧と弧のぶつかり合い以外の何物でもない。その間に横たわる、越え難い深い溝。とうてい埋め得ぬその溝を埋めようとする徒労への切実な欲求。これが批評なのではあるまいか。すなわち、批評とは生の営為そのものである。
 私にとって能を「見る」ことは、生きていることの証。そう考えている。
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