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〔05/9/27〕N.Y.の夜は更けて |
【012】 |
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滞在中のホテルの部屋、今、あっという間に帰国の朝、2:30。
24、25日の「鷹姫」2公演は無事終了。25日には早稲田OBのO君、イエール大学のAさんが観に来た。久しぶりに対面、元気そう。
レセプションで聞いたところお客様には大変好評だったようだが、私たちには課題が残った。10月19、20日と六本木ヒルズでまたこれを演るので、日程的には苦しいものがあるが、是非これを克服して臨みたい。
打ち上げは「力(リキ)」という居酒屋。終わってホテルの部屋でまた延々、結局午前4時過ぎまで。それから夕方送ったファックスを確かめたら、着いてない。ナンタルチア…。せっかく出かけずに一日かけて書いた原稿を…。もう一度送り直す。
26日はフリー。午前に少し打ち合わせ。11月長崎で初演する多田富雄氏作の新作能「長崎の聖母」の謡本清書の続き。夕方、以前稽古をしたことのあるFさんの来訪を受ける。昨年より一家でこちらへ来られている。先日は里帰りの間に「道成寺」と「一石仙人」を観てくれた。
夜8時よりブロードウェイでミュージカル「オペラ座の怪人」を観る。私たち出演者やスタッフはフリーで、皆それぞれでオペラなどへ。私は照明のスタッフと二人。なかなか素晴らしいが、もっと英語がわかれば……。「オペラ座の怪人」は二千名ぐらいの席が満員であった。これを毎月やって、他の劇場も皆一杯だと聞くから、能もこれくらいにならなければ。
観劇後、ホテルに戻って「長崎の聖母」謡本の清書を書き終える。これで出演者の皆さんに配れます、「長崎の聖母 秋の版・第5校」。
N.Y.の夜は更けても、外の車の音はなかなか静まらない。
今朝9時の出発。そろそろ荷物を作って少し寝るとしましょう。 |
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〔05/9/24〕グッドモーニング in N.Y. |
【011】 |
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ニューヨークの夜が明けた。午前7時過ぎ、目覚ましのラジオがセットしてあったが、いつの間にか歌が聞こえる。SONYだ(飛行機でたまたま隣の方がこちらのソニーにご勤務の方で少しお話しした。新聞(23日朝刊)の一面がソニーの話題だったし)。さっそくありました、SONY。
昨日は長い一日。朝11時に成田を発って、ニューヨークに着いたのがまた午前11時。さっそく3時半過ぎからリハーサル。写真撮影(プレス用)有り。装束全部付ける。横道萬里雄作「鷹姫」、私は「岩」の役。岩を象った半仮面の中で目が閉じてくる。皆そうらしい。
夕食は各自でということだったが、10人余りまとまってホテル内の中華料理。一人40ドルぐらい。あとは部屋でおとなしく本を読む。林京子全集の第1巻。先日沖縄に行っている間に届いていたのを一冊だけ持ってきて飛行機の中から読み始めた。芥川賞の「祭りの場」他、長崎の「被爆体験」を描いた初期作品のいくつか。「長崎」というものが立体的に、そして今につながってくる。林さんは、8月9日の焼け野原を逃げながら、傷ついた浦上の信徒の一途に祈る姿に心を打たれている。半分読み進んで、午後12時頃就寝。「あとで部屋で一杯」と言っていた西村さんからは結局電話は来なかった。たぶん寝てしまったのだろう。
窓からはビルの壁。上の方に少し空があいている。曇りか。
今夜は7時半開演の本番。 |
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〔05/9/22〕十三夜恋しや いまちたちまち寝待の月 |
【010】 |
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今朝はまず空手ねーさんがパン屋のバイトに行き(もちろん空手着を持って)、ソフトボール娘が朝練に行き、かみさんと近くの谷戸山の六地蔵辺りに彼岸花を見に行く。まだ咲きはじめだがつややかな赤が美しい。去年より少し遅い、にょきにょき出てくるところ、2・3日で一面となるか。
庭の山芋のむかごの初収穫。帰って一杯の肴に。
今夜は国立の「現在七面」。出るのは10年に1回ぐらいかしらん。今日は地謡、腹筋が…。
明日からニューヨーク(実はもう朝になる。あと三時間後には町田発成田行きのバスに乗らなければ)。「鷹姫」。会場のジャパンソサエティは「隅田川」「谷行」でも行き、3回目でなんだか安心感が。
中秋の名月もあっという間に過ぎ、あの沖縄の日々を書き留める間もなかった。
県立沖縄芸大の先生方学生諸君その節はお世話になり有難うございました。最終日は発表会まで出来ました。「羽衣」。6名の受講生は琉球舞踊および組踊専攻の三年生。
まず二年生の諸君が組踊の「銘刈子(メカルーシー)」(羽衣の沖縄版)を急なことだったのにやってくれました。
そして短縮版の「羽衣」素謡をシテ・ワキ3名ずつで(地謡も)。仕舞も羽衣のキリを一人ずつ(地謡は全員で)。それからワキ・シテの装束付け(モデルは学生)を。ついたところで(これは打ち合わせ無しで)さっきやった仕舞のところを。それぞれになかなかすばらしい出来。次回2月がとても楽しみ。
そしてすばらしかったのは、その夜の首里城での「中秋の名月の宴」。吹く風もやや涼しく、十三夜の月の下、復活なった首里城内での先輩たちの「銘刈子」。
そして何よりすばらしかったのは学生諸君がやってくれた中日の歓迎夕食会。三線に唄はもちろん(八重山・与那国のも)組踊りも出て、最後には他のお客さんも一緒にカチャーシーまで。感激したお客さんから泡盛の差し入れあり。また次回面白い授業になるよう計画を練っておこう。(けいちゃんみんなの名前覚えてるよ。島寿司の大将、おかみさん、そしてカウンターのお客の皆さん、二晩有難うございました。名古屋からの出張の方には響の会名古屋公演も宣伝させていただきました。)
日記はやっぱりそのとき書かないといけないようです。なかなかすばらしさが、出会ったことが書ききれない。ためないで書こう。
ではニューヨークで。
沖縄でお世話になったある方のおじいさんは長崎の人で、被爆され家族全部を失ったそうです。少しですがそのお話を聞き、今度の「長崎の聖母」で間狂言に入れようかどうしようかと思っていたことを、入れることに決めました。今日書いて入れてみました。これでまた皆に見てもらいます。 |
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〔05/9/14〕朝のスコール@沖縄 |
【009】 |
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沖縄へ来て3日目の朝。窓の外は一時のスコールがやんで青空が広がりつつある。二両連絡のモノレールが向こうの丘を走っている。空港
- 首里(今まで沖縄には電車がなかった。車社会。こちらに来た時も空港まで車で迎えに来て下さったので帰りには乗ってみよう)。
沖縄県立芸術大学音楽学部での授業。3年生6名(琉球舞踊専攻3名、組踊専攻3名、全員女子。但し、社会人入学の方もいらっしゃるので年齢的には「子」ではなく、かえっていいバランス)。
授業のことは全部終わってから書こうか。「羽衣」を教材として、目標としては短縮版ながら一曲を通じて(ワキ、シテとも)装束付で演じてみること。どこまでいけるか。今日がヤマ。初日私が遅れたので、今日は午前も1コマ入れて、4コマ。全部で6時間の授業(稽古)がんばろう。
沖縄に来るまでがかなりハードな日程(この日記もしばらく書けなかった)だったが、その疲れがこの2日間、沖縄の気候や緑や人情に癒され、随分楽になっている。
そのハードな日々も書かねばならないのだが、今となってはもうはるか昔のようにも思えてくる。「広島」の日々……。
「原爆忌」(多田富雄氏作の新作能)初演。国立能楽堂(東京)にて8/25の予定が、台風により9/6に延期。8/29 京都春秋座での公演が初演となった。8/31には広島アステールプラザで上演。
その間に、8/27 入来薪能(鹿児島)。昨年は台風の前日でかろうじて上演できたものの、帰りの飛行機が飛ばないというハプニングがあった。今年はよい天気。以前この日記にご紹介したアサガオ、思っていたのより青の色は濃かった。印象・記憶の不確かさ。
そして、メインの、メインであるはずだった、響の会研究公演、袴能「砧」。日程の流れの中では、全体に埋もれてしまった感があるが、内容としては一番キッチリしていたと思う。落ち着いたお客様のおかげ。大勢いらしていただいて、誠にありがたい。「能」「砧」の持っている力を再認識する(もちろん、シテ、ワキ、地頭などの力によるものも大きい)。こういうことがやれる幸福。
また、同人ふたりが慌ただしくやっている中で、スタッフがキチンと仕事をしてくれて、それがお客様に伝わっている事もあると思う(通信や秋のチラシが遅れているが…)。
さて、そろそろ朝食にして、首里の坂を上って、授業に出かけよう。
今晩は学生諸君と夕食の予定。 |
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