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〔05/12/30〕ダンプおじさんの始動 南天の紅葉 |
【027】 |
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今年のごみも今日で終わり。ごみ出しに角のダンプのおじさんに遇う。この夏以来三ヶ月ほど入院していて、しばらく前にぐっと痩せて帰ってきて、「ひどい目にあっちゃたよ」。手術後が悪かったらしい。帰ってから物が食べられるのがとても嬉しいとのことで、だんだんと顔色もよくなり散歩にも鉄アレイを両手に持って行くほど回復して、最近ダンプ(紫!)を動かし始めて仕事に復帰。「4・5キロ戻ったけどケツの肉が落ちてるから半日座ってるとケツが痛くて…。」 道ですれ違うとダンプの運転席からちらとこちらを見てにこっとしてくれてとってもかっこいい。来年はまたよろしく。
この間手術をした義姉も順調に回復。五分がゆにおかずがおいしく食べられるようになったとの事。大阪に行っているマンドリン娘が成人式に出られないからと振袖姿の写真の先撮りをして28日にかみさんと三人一緒にお見舞いに(大久保の社会保険中央病院)。担当の医者に廊下を走りなさいと言われるとか。それから平成元年まで住んでいた代々木八幡の青年座の前の家の大家さんにも寄る。88歳。「最近いろんなことを忘れてねえ」、と言いながらとても素敵。その隣のラーメンの「吉田」さんにも挨拶。いつも子供たちが相手をしてもらった。ラーメンを是非食べていけと言ってくれたけれども振袖娘が心配で「今度また…」。
その病院の前に私は打合せで多田先生宅へ。実は横浜飛天双○能より公募で作る横浜の新作能(多田先生作)を来年にと言われたのだけれども、もう今年がすごかったのでお断りしたら再来年でもということでお引き受けすることになりその件(詳しくはまた)。多田先生にはこのところ続けてお会いし、少しお風邪気味で心配していたが、がんの方の数値全く平常になったとの事。よかったよかった。
その前に新宿で島田君と会う。このサイトの「演者の横顔」に九州の白坂君からの寄稿。有難う。そして島田さんこのサイト一年間おつかれさまでした。どんどん新しくしてくれて、私もこうやって何か書けるようになりました。有難う。スタッフ全員の後押しも有難う。
そして昨日今日。やっぱりどっと疲れが出て家のかたづけも何も出来ない。ようやく門松を飾って、食卓の上の書類やら何やらをどけて久しぶりに揃った六人が座れるようにしたぐらい。お風呂は空手娘がやってくれた。明日もまだどうか、いやいや年の暮、新年と言っても日はつながってるんだから…。ゆっくりやろう。
手はまだ痛くて膨れているところあるけれど、ずいぶんよくなった。27日の乱能、10時の初番からほとんど見て(あるいは装束を手伝ったり)、出番は最後の6時過ぎ。皆なかなか。私もともかく一所懸命やりました。後見をしてくれた原岡君が、いろいろ手のケアーもしてくれて、ちゃんと音が出るように具合よく皮を締めてくれたので、気持ちよく勤めることが出来た(但し途中であれどうなってるんだ?という箇所が幾つか。すみません。安福先生から「まねはとても出来ないけどよかったよ…」)。和やかな楽屋で、実は若い時から囃子の稽古をきちんとやってこなかった自分としてはすごく緊張したけれども、よい一日(但し「清水君もっと勉強したまえ」)。
観世喜之先生古稀おめでとうございます。
帰りの電車でやはり手のアイシング。もうかまわずカップの中の氷水に指を突っ込んで冷やす。周りのお客さんは何だこいつはと思っていたろうね、着物だったし。
大鼓の原岡君とはこの間(22日)一緒に『鼓童』の舞台を見に行った。昔早稲田の観世会にいた(現)山口さんからご案内をいただいて。彼女はずっと佐渡でがんばってきた。今年沖縄の佐藤先生宅で鼓童から来ていた鬼澤さんに会ったり、何か縁がある。ようやくその公演を見ることが出来たが、原岡君と感心すること。「わおー」。太鼓を打つことはもちろんだが、打ち始める前、打ち終わったあとの息、そして舞台の転換等、やってないときにやっていることの訓練!
今年は茂原の中学生たち(「土蜘蛛」一曲やってしまった)から始まって、ワルシャワなど幾つかのワークショップ。なかなか面白かったが、来年はもう少し準備をきちんとしてして緻密にいこう(東洋大学─三年目─や高校の音楽の先生方の集まりのものがある予定)。鼓童のワークショップで勉強してこようか。
今年は新作能への参加九曲、延べ二十公演。シテとしては、4月に世界物理年の公演(※新宿文化センター)と船橋市民文化ホールでの〈一石仙人〉、そして浦上天主堂での〈長崎の聖母〉。当日の舞台だけでなく本当によく作ったと思う(ずいぶん時間もかけた)。長崎は殊に十年来の宿題が果たせたこと、全く有難いこと。
しかしながらそのために銕仙会の中での日々がどうかという面もあったと思う。反省。
だけど今年は本当に得るところ大きかったよねえ。来年はそれを活かして但し地道にそして明るくいきましょう(他の舞台もどんどん見たいよね)。
庭の南天が大きく何本にもなって、紅葉がきれいだ。 難点の克服。 難転の効用。
皆様今年一年有難うございました。来年もよろしくお願いいたします。 |
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〔05/12/26〕木枯らしにこの御船の六時に着くべき様ぞなき |
【026】 |
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今日は明日の乱能の申し合わせ。私は半能〈船弁慶〉の大鼓。後だけなので短くていいが、なんとこれが小書「重前後之替」。そうでなくとも出来ないのにとても難しい。今日は沈没(時々頭の中真っ白)。明日はどうぞお客様方、〈船弁慶〉は最後なのでその前にお帰りください。と言いたい位。
昨日午前中、小鼓を打つ小早川修氏と、亀井忠雄先生のところにお稽古にうかがった。実際にお道具をご用意いただき、有難くも大変痛くもお稽古していただいた。幾つか間違ったにもかかわらず思ったほどではなかったのか、「うん、うまくいった。まあがんばってくれ。」とのお言葉。手につける指皮や囃子方用のお扇子等も貸し下され、有難く帰宅。ただし右手ははれ、内出血。帰りの電車の中でテイクアウトのカップに氷をもらってアイシング(今日の申し合わせは張盤に張扇でさせていただいた)。
一旦帰って夕方より多田先生宅へ。いろいろな方が集まっての楽しい集い。奥様お手製の七面鳥などいただく。長崎のビデオを皆さんご覧になり、「実際に見たかった…」。また来年もよろしく、お互いにいいことがありますようにと10時ごろ解散。小田急線の新百合ヶ丘まで、多田先生のお宅を設計なさったIさん御一家の車に同乗させていただく。車中、能舞台のことなどいろいろな話題。
一昨日は幽の会〈定家〉。二時間五分ほど。フー。地謡、まことに謡い甲斐あり。しかしながらまだまだ。これで今年の本職の舞台は終わり。おつかれさまでした。我ながらよくやった一年だったが、まだ実力が足りない。こんなに自分の道具や書類や何やかや散らかったままなのは、アップアップやってるから。来年は地道にやりましょう。
打ち上げを乾杯だけで失礼させていただいて、久しぶりに家族で渋谷神山町(東急本店通り白洋舎のそば)のうなぎの「吉野」へ行く。ソフトボール娘の合格祝い。三年ぶりか。毎日練習で久しくこれなかった。以前代々木八幡の青年座の前に住んでいた頃、駅前の鰻屋さんで毎日パタパタやっていたおにいちゃん(実は私と同い年ということが判明)が独立して出した店がこれ。子供たちがよく相手をしてもらったのだ。もうこの店も19年とか。焼き鳥もうまい。鰻もうまい。口福。
さあ明日は一日乱能。せいぜい楽しんで、最後の船弁慶(午後六時頃)がんばります。お相手の皆さんよろしくお願いいたします。 |
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〔05/12/19〕またまたたちまちに居待の月 |
【025】 |
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今日もいい天気。ただし乾燥。ピュウー。
昨日は響の会の集い。初めて参加する方もいらしていただいて、なごやかに盛り上がって時を過ごす。よい能はよい演技とよい観客から、よい観客からよい演能とよい役者、そして次のよい観客が生まれると思う。本当に今年、響の会やそのほかの演能を見ていただいたお客様有難うございました(集中して見ていただける観客席と対峙できた事の幸せ)。
いつも昼ごろ豆腐屋さんのぷーーー。この方、故郷は越後。雪下ろししてるって。今日は豆腐一丁と厚揚げ二枚とあぶらげ二枚。
午後国士舘の授業。21世紀アジア学部。留学生も多い。反対にこちらから留学に行く人も。向こうは秋から学期なので半年授業を取ってまた一年して帰ってからとる人も。
4・5時限。もう真っ暗になってくるのでつい早めに終わる。今年最後の授業。能〈羽衣〉を抜きに抜いてだが一応通して。次は1月16日.それで最後なので装束をつけてやる予定。出席の足りないと心配している学生には、次にきちんと覚えてきて大きな声でアピールすれば大丈夫かもと言って帰す。
日記長いから短く、との指摘もアリ。ご指摘により(今日はちょっと頭がくらくらするような感じもあり)コレニテ。何日か前、石っ子蓮さん(長男・蓮太郎)がアメリカでの学会の疲れもあったのか、「上下の風邪(―下痢吐き気発熱の風邪)」。丸二日寝て直す。医者薬なし。そろそろ私も発症するかもしれないので早く寝よう。せっかく今年は病欠無しだったので。しかし手帳を見たらよく今年これでやったよね。来年この通りやれと言われても無理。明日は8時半から稽古能〈鸚鵡小町〉。グッドナイト。皆帰ってきた。 23:59。 |
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〔05/12/14〕さんたんかーさんたんかー。初冠雪・初雪・初霜・初氷。 |
【024】 |
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今日もいい天気。この間の初冠雪の丹沢の雪もだんだん少なくなってきた。昨日今日と玄関の外の雨樋の水受けの桶の水が凍っている。近くの大根畑も霜。クタっとなっているハッパが昼にはまたうまそうになっているから不思議。枯れた菊をひく。ウメも葉っぱがあと5・6枚(そう「The
Last Leaf」高校の英語の副読本でやったなあ。小刈米先生お元気でしょうか。それと「賢者の贈り物」でしたか。私も結婚以来かみさんに着物や洋服一枚も買ってあげたことがないよ)。
「名古屋」が終わってこの一年がもう終わったようにホッとしている。
お客さま、皆様いらしていただき、集中して見ていただきまして、まことにありがとうございました(早速にご感想を送ってくださった方もいらっしゃいます。有難うございます)。演者の皆さん、スタッフの皆さん、おつかれさまでした。気持ちのよい公演が出来ました、有難うございました。
もともと名古屋の方からのお言葉で始まった今回の企画だったが、正直なかなか苦戦。名古屋に少し稽古に行っている西村さんが奮闘して、また各方面のお力添えを得て、当日は成功だったと思う(制作面で私は全く非力でした。西村さんにおんぶにだっこ)。
お囃子方等、初めてのチームが、新鮮でよい緊張感を保ち、「銕仙会を基盤とする響の会の催し」としての良さが出たのではないだろうか。柿原先生のピンチヒッターの白坂さん、九州から有難う(柿原先生より昨日病院からお電話をいただき恐縮。どうぞお大事に。よく静養なさってください)。
大鼓の河村眞之介氏との舞台は多分私は初めて。文章も寄せていただいてありがとう。打ち上げで白坂、河村両氏としばらくしゃべる。(実は私この暮れに観世九皐会の乱能で半能〈船弁慶〉の大鼓打つんです。わお!)
私は〈船弁慶 重前後之替〉の後シテ。動くものがやっぱり好きなんだね、楽しくさせていただいた(銕之丞師の稽古の時、楽しくやっていいのではとのありがたいサジェスチョン。)。
しかし橋掛かりから舞台へ、そしてまた舞台から橋掛かりへずっと行くところは息してないんだね。面の紐をぎゅっと締めていることもあるだろうが、あとで頭が痛くなって…(〈道成寺〉のときはよりはずっとましだったけど)。
そして〈葛城 大和舞〉の地謡。若松さんの地頭。横で謡わせてもらって葛城の曲が出来ていく喜び(これこそ響の会が目指しているもののひとつ。元来銕仙会の持っているもの)。
若松さんには〈高野物狂〉も謡っていただいたし、〈長崎の聖母〉にも入っていただいて、この間の12月銕仙会定期公演での〈玉鬘〉も地頭。有難うございます。来年はもうシテも地頭もしないと仰っていますが、是非機会あったらお願いいたします。
普通の番組なら〈船弁慶 重前後之替〉が後になるのだろうが、西村さんの提案でわざと〈葛城 大和舞〉を後にしてみた。雪の能。翌朝申し合わせがあるので杯もそこそこに帰ってきて乗り換えの町田でちらちら雪が。「初雪だ。」
「さんたんかー さんたんかー」 子供たちが小さい頃山茶花の歌をこう謡っていた。
焚き火は見なくなったが、さんたんかーの花盛り。ゆっくり一年を振り返ろう。 |
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〔05/12/10〕紅葉がようやく紅葉 毎日嗚呼劇的 |
【023】 |
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今日はソフトボール娘が小中学生向けの催しのお手伝いでお弁当が出るので弁当なし。出かけてまた寝る。しばらくしてTELあり。「場所が分からない、書いたものある?」テーブルの書類の山の中から探し出す。「あ、分かった。サンキュウ。」また寝る。お日様がだんだんぽかぽかしてきて、起きだす。コーヒーがうまい。この前紫式部を取ってやっとお日様に当たり始めていた庭のモミジ(前のうちで実生で出たもので鉢で育てていたがこちらに来て地に植え替えた
─ 50〜60センチ)がようやく紅葉。早稲田の水野君から頼まれた「おやじの・・・」原稿を今日中に送らねばならないが、まず手始めに日記から書き出す。そして今日夕方には名古屋についていなければならない。
◆昨日(05/12/09)
(1)12時が提出期限だという卒論娘が朝7時半頃、まだ最後の参考文献を書いていたら、突然パソコンがストライキ!一晩やってたのがどっかに行ってしまって何も出てこないとパニック。あれこれやってやがてどうやら修復して、あわてて学校へ飛んで行き、提出したのは7分前とか。(島田さんにも電話で「どうしたらいい?」有難うございました。)
(2) 柿原弘和氏からTELあり。父上の崇志氏入院との事で、名古屋の「葛城」を白坂信行氏(九州から当日後見に来る予定だった)に代わっていただくとの事。(申し合わせは火曜日の稽古能の午後に終わっている。) 名古屋のパンフレット等の用意を銕仙会でしていた編集委員に伝えてその案内の差込を作ってもらう。柿原先生どうぞお大事に。
(3) ソフトボール娘の入学金振り込む。銕仙会のお弟子さんのお稽古に使っていた分の舞台料一年分、10月からの健康保険料、たまっていた写真の吉越さんへの支払い等払う。銀行に残り少なく後の仕事も少なくなってきたし果たして年が越せるか。
(4) 午後青山へ行き名古屋の最終打ち合わせ。来年の響の会のチラシも出来てきたので夜シテ方に配るべく準備。名古屋の装束は光(※ 鵜沢光)、安藤(※ 安藤貴康)コンビでつめて送ってくれた。
(5) 夜は銕仙会定期公演。4時少し前に楽屋入り。「玉鬘」西村氏と「玄象」銕之丞師。私は玉鬘の本後見(柴田君と)。装束、西村氏所有の鬘があまり使ってないものだったので少してこずる。後シテに銀地に猪の目の柄の縫箔を脱い下げ(右肩を脱いでたらして着る事-狂女などの扮装)に着る。これをこう着たのは初めて。西村氏の発想。
(4) 終演後いつものところで一杯。特に今年最後の銕仙会とて、風邪の人とか明日何かある人以外は皆参加しての打ち上げ。時にはこういう場が誰かを厳しく批判したりする場にもなるのだが、今夜は和やか。いろいろな意見が聞ける場でもある。
(5) それが終わって西村氏とラーメンを食べて帰る(楽屋の弁当を食べそこなっていたので)。西村氏に新宿までタクシーで行くってもらって、相武台行き最終小田急。うちに着いて1時半。すき焼きの匂いが残っている。卒論娘がしばらく前に食べた様子。お茶碗に残っていたご飯を蜆の佃煮で食べて、風呂に入って寝る。
◆一昨日(05/12/08)
銕仙会の申し合わせ、なんと8時から。しかも10分前に始まってあぶなく遅刻するところ。通例は9時半から。申し合わせの後、銕仙会総会。来年度事業計画と来年度予算について。私も一件要望と一件質問。早く終わったため弁当の折が遅れる。
名古屋の装束の点検。西村氏の装束、やってみて腰巻を追加。玉鬘もやってみて変更あり。これに少し時間かかり、早稲田の稽古に遅刻。三月にある自主公演の出し物だんだん決まってくる。メインは能「経正」。今日はこの後半の稽古(これで一応最後まで)と各自の仕舞の稽古。今度は青山の舞台で。(そうだその日を取るのを忘れた。)
終わって百人町の社会保険中央病院へ。義姉のがんの手術。無事終了。執刀医から摘出した患部を目の前にしての説明。大きかった。しかし後は回復するだけ。よくお友達を誘って能を見に来てくれている姉。しばらくしたらまた来て下さいね。親戚の「草加のふみちゃん」とその子のやっこちゃんに久しぶりで会う。「ふみちゃん」もしばらく前に胃を全摘出している。私は風邪をひきそうな感じだったので、待っている間にラーメンを食べて風邪薬のアンプルを買ってくる。
予定より時間がかかったので鍵を持っていかなかったソフトボール娘は、家に入れずパンを食べて最近習っているエアロビクスのダンスを外でしながら待っていてくれた。そんなに寒気が厳しくなくてよかった。卒論娘も同じ頃に帰り、買ってきたおすしと昨日のなべの残りでのうどんで遅い夕食。今日出せば卒論指導教授から「かきあげそば」をご馳走してもらえるはずの卒論娘、「出せなかった」。こら、がんばれ。
その前に…さあ時間切れ、名古屋の用意をしよう。
そう名古屋のことで書いておかねばならないこと。
道成寺の鐘をはじめて作った(能楽堂には骨組みだけでおいてあり上演のたびに布でつつんできれいに仕上げる)のは名古屋の熱田神宮の能楽殿。今回も出ていただく小鼓の柳原さんの会で先代銕之丞師が道成寺を舞った折り。銕之丞先生と私と西村さんとそして名古屋の梅田さんにいろいろお世話になって2・3日かかって作った思いで深いあの時。
柳原さんには去年谷本君の会で私が清経の恋の音取を披くときに出ていただいた。
梅田さんにはそれ以後もお世話になりっぱなし。特に「きちんとした助吟が出来るようになりなさい。」とのお言葉をいただきこれを私たちは肝に銘じているつもり。有難うございます。
お客様、初めての試みですが、どうぞ楽しんでご覧頂ければ幸いです。
ご来場、心からお待ち申し上げます。 |
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〔05/12/4〕卒論娘にパソコン取られて時雨かな |
【022】 |
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昨日は京都で〈永訣の朝〉(シテ・青木道喜)の地謡。宮沢賢治の同名の詩を中心に青木さんが作った新作能。青木さんの自宅舞台(冬青庵能舞台)での蝋燭能。大変謡い甲斐のあるもの。
関が原辺りはみぞれ模様。帰りは響の会編集委員の島田君といっしょに帰る。
今日はその雨がこちらに来たか、一日寒い。幸い休日。
ソフトボール娘の進学が決まり、かみさんと高校へ行きソフトボールの利根川監督ご夫妻に御挨拶(今日も中学校一校来校。差し入れにコロッケ50個)。
私の後輩に、しかも私がやりたかった地理歴史をやってくれる。もちろんソフトは続ける。今度は大学日本一を。来週にはもう大学の部の集まりに出るようだ。
科学者「石っ子蓮さん(長男・蓮太郎)」(宮沢賢治は石っ子賢さん)は地学の学会での発表のため今日よりアメリカへ(カザフスタンで採集された試料から未発見の組成の岩石を見つけたらしい)。「地」のつくものをやってくれるのは「能において地を照らす試み
─ 地照舎」の清水寛二としてはうれしい。
3時過ぎからばったり倒れて昼寝。
午後9時からのNHKの多田先生の番組、家にはテレビがないので家族4人でそばのお蕎麦屋さん「大菊」さんに行きそばを食べ、その後閉店後なれども見せてもらう。多田先生の真剣な顔、泣き顔、そして笑った顔。撮影は9月までだったのだけれども、今から見れば長崎が入ればよかった?
子供たちも大きくなったしそろそろテレビをおいてもいいか。
空手娘が今は卒論娘と化していて(9日締め切りー〈翁〉を書いている)、それと昨日までは蓮太郎の資料作りもあってこのところ家に一台のパソコンをなかなか私は使えない。
今日もこれまで、長崎や永訣のこと、他にも書きたいことあれども、我慢して、
「あいや待たれい!」 |
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