響の会〔清水寛二・西村高夫〕
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●2006年1月
〔06/01/31〕南天の 長き見頃の 南天の赤 【034】
 今日はポカポカと暖かい。豆腐屋さんも「あったかいね」とニコニコ。大山丹沢が霞んでいる。ジェット戦闘機少々。お日様に当たってウトウト。今夜は鱈ちり。久しぶりの休養日。休肝日。

 昨日は青山でお稽古の人たちの新春稽古会(1時〜5時、各自謡と仕舞)。
 そして新年会。青山通りを三丁目の方に行った「伊豆榮」にて。鰻のお店だが今日は寄せ鍋。19名、和気藹々として過ごす。新婚のS氏(舞台では〈橋弁慶〉の途中までを一人で謡う。途中で私が「もっと大きい声で」と怒鳴る。)、奥様(スチュワーデスでいつもはウイーンに。吉野の出身とか)同伴にて。
 一旦解散後、隣の「サンマルクカフェ」にてコーヒー。
 最後は表参道交差点角のビル6階のバー「Kappas」へ、去年暮れからしばらく振りで復帰した独身のS氏と二人。カウンターにてバーテンダーの藤本氏(27歳)お勧めのシングルモルトを3,4杯。もう一階上は同じ名でイタリアン。バーのほうにも持ってきてくれる。最終一本前にて帰る。朝自転車でまで来たのを忘れて帰る。

 一昨日は国立能楽堂特別公演〈張良〉、シテ・榮夫先生(病院に入院されていたが一旦退院して勤められた)。この曲はワキが役・張良で(重い役柄、見せ場あり)宝生欣哉氏(この故事は〈鞍馬天狗〉の中で師匠を大事にすることの例にひかれる)。履を投げるのは後見の銕之丞師。申し合わせでは舞台から落ちてしまったが本番では最高の位置に。私は地謡(の「下駄箱」−後列の右端)、「石公(シテの黄石公)に履かせ」というところを「張良に履かせ」と言いそうになる。すごく速い謡の最後のところで集中力に欠けたか、ペケなり。
 宝生流の〈羽衣〉(シテ・武田孝史氏)まで拝見して青山へ。早稲田卒業生の青山倶楽部の稽古。7時から私の誕生会の予約をしていると言う事で各自の仕舞をやったところで時間切れ。2月からポーランドへ留学する永重法子さん顔を見せてくれる。クラコフの大学にて演劇理論をやるとか。鹿児島出身、ポーランドは寒いからね、元気で(今日の新聞にポーランドで屋根が落ちる事故アリ、その街へはうちのかみさんが転形劇場時代に行った事があるとの事)。
 あとは青山三丁目近くの「新撰組」にて。10名。ビールのあとは田酒を冷やで。久しぶりに顔を見た琴子さん(今度から稽古にも)。考古学をやっていて未盗掘の古墳にて古代の太刀を発掘したとか。10時45分新しい表参道駅構内のカフェに入ろうと思ったがもう閉店(11時までと書いてあるのに)との事で解散。また来月。

 一昨昨日は午後銕仙会の財務委員会。昨年度の決算について。健全会計。
 それから国立にて〈張良〉の申し合わせ。それから青山へ戻って早稲田の学生諸君の稽古。能〈経正〉他。終わって9時。お腹がすいたのでラーメンをと言って、表参道交差点を渡って右、善光寺入り口の角の「麺菜屋 北斗」へ。ピータン豆腐、砂肝、空芯菜でビール。それから各自の麺や飯。11時ごろ解散。

 二昨昨日は青山で稽古日。1時より9時ちょっとまで。最後の方の人が時間がおしてきて少しずつしか出来なくて気の毒。ちょっと考えよう。
 それから「大坊」さんへ。笛の松田さんとその御紹介のオイリュトミースタジオ・ルラの方々が待ちぼうけ。行ったらすぐに、ちょっと食事をと、清水湯(内弟子時代ここへ通った。同じく南青山にある松山バレエ団の清水哲太郎氏も来る)の通りを先へ行った「川上庵」へ。
 龍の話をしたのでお酒は黒龍を(そう言えばその前の日「こころ庭」でも黒龍だった)。7月に舞台をお手伝いするお話。詳しくはやがて。最後に盛りそばで〆て帰る。

 先日「花よりも花の如く 三巻」を、作者の成田美名子さんから頂戴する(サイン入り)。〈石橋〉の話、〈淡路〉の話。成田さんは青森のご出身とか。有難うございます。
〔06/01/26〕ろうばいやはやくも睦月末になれば 【033】
 今朝はソフト娘学校が入試とかで午前なく、ゆっくり起きて幸せ。朝まで竹本幹夫先生のレポートを書いていた空手娘「メールが送れない!」。よく見たら送受信共にできない状態。???。

 昨日は青山能〈白楽天〉(シテ山本順之)。私は浅見真州さんと後見。なかなか色々な事がある。終わって地下鉄A5出口のラミアビル地下の「こころ庭」にて打ち上げ(反省会)。割れば一人三千円ほど。帰り、幸い登戸から座れる。帰って12時半近く、また少し食べる(ロールキャベツのいい匂いがしたので)。

 一昨日は稽古能。〈花筐〉と〈当麻〉。花筐は「座ってみたらば地頭」なり。さすがにこの二曲では、9時過ぎに始まって12時少し前までかかる。それから早稲田の稽古へ。
 まず腹ごしらえと久しぶりに「鳥正」(表参道246を赤坂方面へ少し行き清水湯へ入る路地の一本前を右に折れてすぐ、うどんの「しまだ」の手前)へ行ってみたが満員。ここのランチ、ラーメンに小焼き鳥丼、最高なのに…、残念。我慢して早稲田まで行き、「キッチン南海」にてカツカレー。620円。学生諸君の稽古して「ちょっと…」と誘われたが(この前の稽古の後は蕎麦屋で一杯、それに行きそびれた人あり)くたびれていたので残念ながら帰る。

 先日の「震災復興祈念・小千谷能」、成功。よい会だった。やはり思いが大切。西村さんの苦労の甲斐あり。市民会館にひいた舞台は地震の前に西村さんと、今回の公演で大変お世話になった(株)草野商店の草野信さんをはじめとする小千谷蒼諷会(西村さんの素人会)会員の人たちによって出来ていたもの。なかなかよい。今回が使い初め。山伏の祈祷あり。木という生命を頂いた事に対する祈祷とか。舞台の設置に西村さんのお弟子さんたちに同級生さんたちの手助けあり。おつかれさまでした。
 私と銕之丞師は前日入りして舞台の確認に立ち会う。泊まりは駅前商店街の中の旅館「喜楽亭」。アットホームで料理もおいしい。但し夜中の廊下は少々寒い。公演当日朝はよい天気。道路は完全除雪されているが廻りは雪の壁。公演終って吹雪。名物の「へぎそば」をご馳走になって帰る。

 歯医者さんの隣のお庭に蝋梅が満開。そろそろ私も冬眠から覚めよう。陽射しはどんどん強くなっている。歯の手術は今度の火曜日。残念ながら稽古能はお休みか。今日はこれより青山の稽古日。少しこのところ体調や看護でお休みの人あり。時間はゆっくりする(私のところは先代銕之丞システムで単純に来た順番だから、そして一人の時間も決めていないから大変に待つ事あり)が、やはり来る人が来ないと少しさびしい。元気に行きましょう。では。
〔06/01/21〕雪降りて越の小千谷へいざ往かん 【032】
 昨夜深夜に稽古から帰った空手娘が雪が降ってきたと言っていたが、朝目覚めてチュンチュンの声…なんか静かだ。障子をあけるとそこは雪国だった。そろそろ10センチは積もっている。電車が心配。これより明日の公演のため小千谷へ向け出発。少し早めに出かけよう。その前にごく簡単にこのところの事を思い返してみよう、なかなか面白い事もあったから。

 昨日は午後、今度四月に座間の茶道連盟でお話を頼まれているのでその打合せ。お茶室にておいしいお茶をいただく。お軸は「彩鳳舞丹青」。それから長崎の聖母のビデオを囃子方・脇・狂言に送る。夕方から座間市謡曲連盟の稽古と新年会。

 一昨日は青山にて稽古日。一時より九時まで。その前に十一時より横浜飛天双○能が、子供たちから言葉を募集して横浜の小謡を作るのに、その例としての謡のための録音。やはり海とか海岸とかがいいかなと思い、〈高砂〉待謡、〈竹生島〉上歌、〈羽衣〉キリ、〈屋島〉キリ、〈長崎の聖母〉初同(はじめの地謡)、〈猩々〉キリを入れる。ホームページで聞けるようになるらしい。しかし昨夜は少し飲みすぎたか申し訳ない出来、しかし恥ずかしながらこれが実力。初心。

 二昨日、三菱さんの稽古のあと、ニューヨークから出張で来た奥田健太郎君と東京駅でおちあう。彼は早稲田の観世会の出身(当時大変奮闘した)、現在かの地で特殊な照明の仕事をしている。去年の〈鷹姫〉ニューヨーク公演でも会ったが、日本では久しぶり。新宿西口の焼き鳥横丁で飲む。十名ほどのカウンター。焼き鳥を焼いてくれるのはフィリッピンからのお姉さん。ビール中ビンを一本と「越の景虎」をコップ三杯ずつ。たまたま隣に座った外国の女性二人連れに言葉をかけてみれば今度新国立劇場で上演の「ガラスの動物園」の演出家(ピータ−・ブルック氏の令嬢)と美術家。フランスから。奥田君が英語で話す。ゴールデン街へ行ってみたいと言うので「クラクラ」へ案内する。かつて中上健二の野外劇「かなかぬち」でお世話になった外波山文明氏のお店。私もずいぶん久しぶり、ちょうど彼もいてよかった。ここでも日本酒を少々。新宿駅まで来たれば小田急線が人身事故で止まっている。仕方なく久しぶりにタクシーで帰る。あとで聞けば蓮太郎はどこか途中でカンズメだったらしい。救出してやればよかった。

 そして大事なこと。久方ぶりに(もう我慢が出来なくて)歯医者さんへ。去年春に一度すっぽかして以来。幸い笑顔で迎えていただいたが、歯周病の症状は厳しく、「今度手術しましょう。」 結構私たち歯をくいしばる時も多く、かみ合わせに力が要る。直しておかねば。

 さてそろそろ長靴はいて出かけよう。小田急線は大丈夫か。銕之丞師と上越新幹線。小千谷で西村さんが迎えてくれる。雪の道中、無事に着きたいもの。では。

※ '06/1/22(日) 震災復興祈念「小千谷能」情報はこちら→
〔06/01/17〕また三連荘の打ち上げなり 水仙の咲く 【031】
 このところの寒気緩まって水仙が咲きだしている。今朝は手帳によれば稽古能であったが一週間違っていて来週の由土曜日に分かる。聞いていなければ出かけていたところ、ポカポカとなんだかのんびり。

【16日】国士舘大学21世紀アジア学部の授業 東京都町田市
 今年度最後の授業。〈羽衣〉の装束を学生につけてみる。荷物があるのでタクシーで直接来ていいと言われて、しかし油断していったら途中混んで少々遅刻。それから板の間の掃除をし、準備をしたので4時間目はシテをつけて少し歩いてもらっただけで終わってしまった。
 朝装束を出し始めたらアレ胴着の数が足りないのと天冠が見当たらない。ははは、去年沖縄から送り返してそのまま、ダンボールに入って発見。こら!きちんとすぐかたづけなさい(ああ秋はやっぱり忙しかった…。ハハハ言い訳はあきまへん!)。装束の出し入れや楽屋での準備等、意外に時間かかるもの。忘れ物があってはいけないし…。いつも公演時にこれがなかなか大事なところ。
 5時間目はシテもワキもつけて、問答のところから長絹をつけて舞い始めるところまで少しやってみる(他の学生も一緒に謡う)。
 去年は九皐会遠藤和久君が国士舘の出身なので助っ人にお願いしたのだが今年は都合悪く一人でつけたので時間がかかる(普通装束は前後二人が組みになってつける)。その分学生に助手をさせながらだからこういう時はそれでもいい。が、二時間の授業一人でてんてこ舞いではある(銕仙会、〈薔薇の名〉と3日続けて装束をつけるのは幸せと言うべき事なり)。
 終わって鶴川の駅前の「和民」で打ち上げ、主任の表きよし教授と私と学生五人(明日から試験で参加者少し)。
 四人の四年生(女子)、それぞれ留学やインターンシップにて、タイやミャンマー、ベトナム、中国(黒龍江省)に半年以上滞在の経験(毎日泣いてたという人も)。この学部「21世紀アジア学部」自体出来て丸四年、初めての卒業生。いろいろ試行錯誤しながらで学生たちも(先生方も事務局も)大変だったらしいが、もしかしたらいい学部になりそうな気もする。
 せっかくだから来年度はもっと厳しい授業にしてあげよう。

【15日】創作能〈薔薇の名 ─長谷寺の牡丹─〉 宝生能楽堂
 私は後見。シテの装束付け。前シテは尼さんとて「花帽子」。これがなかなか難しい。もうちょっと修行が必要。しかし一応のところには行ったのか、中年の面である「曲見」の面が大変美しい若い女に見える。後は昨年の新作能〈長崎の聖母〉初演にも使った白の「舞衣」。頭の天冠に大きな牡丹。この〈薔薇の名〉は、「理解」と言う事ではなかなか難しい戯曲(「新作能」とは書かずに「創作能」とあり)だとは思うが、舞台にいてなんだか豊かな時間を過ごしている気がした。「いい能」だったのだろう。気持ちのよい仕事。ありがたい。
 打ち上げも和やかに。渡邊守章氏の言葉、「寿夫さんや榮夫さんたちと色々やってきましたが、この本は私達の世代から銕之丞さんたちの世代への贈り物です」。

【14日】銕仙会初会 宝生能楽堂
 私は〈二人静〉(シテ・馬野正基/ツレ・浅見慈一)の後見と〈鷺〉(シテ・観世淳夫/ツレ・観世榮夫)の地謡。烏帽子の紐切れる。〈翁〉がある時などは準備するものも多いし早く装束付けにかかるので、開演の2時間半から3時間前には楽屋に入る。1時半開演に11時に楽屋入りしたらもう翁飾り等準備進んでいる。三曲だが作り物がないのは幸い。
 〈翁〉のときは開演前に「盃事」と言って舞台に出る人全員お神酒を頂き、洗米を口に含み、塩を体にふり清めてから、幕より場内に向って打ち火を切り、「面箱持」を先頭に橋懸りより登場する。私は後見より引き継いで地謡の人たちにお神酒をつぐ。今年もよい能が出来ますよう、健康で修行に励めるよう、お客様とよい出会いが有りますよう、毎年の〈翁〉、ありがたいものが能にはある(この〈翁〉を昨年末卒論に書いた空手娘、パン屋のバイトを済ませて見に来るつもりが、パンを切るときに自分の手も切って遅刻とのこと。気をつけたまえ)。
 〈二人静〉の後見。舞台中央でのツレの「物着」(後見座でするのが本来か)。水衣を脱がせ長絹を着せ、烏帽子をつける。しーんとした中。皆じっと見ている中。烏帽子の紐が、正確にいうと紐をむすんでいた糸が、切れた! 時々あるんです、こんな事が。それで危ないかなと思って確かめてはおいた(多分何人かが)のだけれど、その時が耐用期間ぎりぎりだったんですね。わお! 冷や汗をぐっとこらえて、糸針を懐中より取り出し、とじ付けてどうにかつけ終わる。
 〈二人静〉は、シテ・ツレに同じ動きがあり、自分勝手に舞えないので、逆に自分自身を作って行くよい材料になる。先代銕之丞先生との舞台を思い出す。あの時は若松さんの代役に先生が出られた。
 〈鷺〉のシテ(空を飛ぶ鷺の役)は観世銕之丞師の長男・観世敦夫君の披キ(ひらき ─ 重習いなど大事な曲の初演の事)。中学一年生。まもなく東京に来て一年になる。これから楽しく、そしてやがて厳しく能を一緒に作っていこう。
 この地謡、この曲独特のノリがあって短いながらとても面白い。ガミガミ謡ってはダメ。それがきちんと謡いたいところ。
 終演後、中華で鷺の祝宴。ご馳走様。私達のテーブルでは温泉の話。行きたいなー。打ち上げの途中、二人静のシテを元気に勤めた馬野君が突然不調。あとで聞けば尿路結石との事。少し早くそうなっていればもしかして代役しなければならないところだった。ああ、きちんと予習していなければ…。

 今日の午後は早稲田の学生諸君のお稽古さあそろそろ出かけよう。
〔06/01/11〕マイハッピイバースデイ 鏡開きでぜんざい祝い 【030】
 なんと!五拾参歳の吾が誕生日なり(寿夫先生は53歳でなくなられた)。

 今日は創作能〈薔薇の名 ─長谷寺の牡丹─〉の稽古。間狂言が急にお休みで、私が代役。ありがたいプレゼント。
 夕方より三菱さんのお稽古。正式名称が変わって「三菱東京UFJ銀行」。丸の内の本店22階の和室にて。四時半ごろ行き、今日は長崎の写真をお見せしたりして五時頃より八時半頃まで。相手は交代するのだけれども、こちらは休みなしにずっとだから時々崩すのだが「足痛し」。帰りに中央線が人身事故。山手線で秋葉原へ出て、各駅停車で新宿へ。
 残念ながら冷蔵庫にビールが品切れだったがワインで乾杯。子供たちより若気なピンクのシャツ、かみさんよりえんじのマフラー。さんきゅう。〆はぜんざい!

 昨日10日は稽古能。いつもより早く八時四十五分より。〈鷺〉(シテ・観世敦夫)と〈白楽天〉(シテ・山本順之)。午後一杯かかって響の会のチラシのDM発送作業。西村氏と長谷部氏、大久保氏。最近は「クロネコメール便」。終わって西村氏と青山・骨董通りの「ぼこい」へ。久しぶり、おかみさんと新年の乾杯。もうそろそろ通い始めて三十年か。内弟子時代にお風呂の帰りにふと入ったのが始まり。その頃は毎日ろれつが廻らなくなるまで楽しく飲んでた常連さんが一杯。時にはカウンターの中に入った事も。最近はなかなか行けないのだけれど、おかみさん(今度の響の会にも来てくれる)の笑顔がますます素敵になってきた。「七時には帰ろう」がやっぱり八時半に。また今度。
〔06/01/09〕真夜中の七草粥、午後三時の初カツ丼 【029】
 仕事始めから午前様の三連チャンでは「改革も鈍るわな。」

【5日】謡初  於・銕仙会二階舞台 午後4時より
 新春恒例の謡い初め。銕仙会ではこのところ毎年5日の午後四時より(以前は四日にしていた)。正式には観世銕之丞家の催しと言うべきか。江戸城中の謡い初めもそうだったらしいが、舞囃子を三番〈老松〉〈東北〉〈高砂〉。このところは先の二番を銕之丞・榮夫で交代に舞い、高砂を銕仙会のメンバーで順繰りに舞う(三人がはじめから並んで座る)。囃子方はいつも稽古能に来ていただいている方々を中心にお願いしている。最近は若い人たちも増えたので見所(正面席の壁面に翁の掛け物三幅対および銕之丞家歴代の掛け物有り。人は脇正面に座る)で参加の人たちも多い。シテ方は全員地謡に廻るが、今年は二十人で地謡座が満杯。これは一般にはもちろん非公開。今年一年の舞台の成功と精進を祈念しての行事。昔の建物のときは寒くて本当に身が引き締まった(そういえば内弟子の頃三が日に舞台で稽古をしていたら先々代銕之丞雅雪先生に謡初前だと怒られた事があった)。
 終わって一階の稽古場で新年会。テーブルを囲んでこのところは毎年うどんすき。私が内弟子の頃はお酒のお燗で大変だった(大きなやかんで一升お燗をつけてもすぐなくなる)が、今はビールのあとはお酒でも冷酒だったり、焼酎だったり。ひとしきりわいわいやったあとはだんだんまじめな論議に移って行くのが恒例。これがどの程度かはその年によって。だんだん人が少なくなっていくのだがどうも西村・清水は先に帰ったためしがない。最近はようやくその日のうちに帰れるようになった。今回も23時半には表参道の駅にいたか。
 帰って一時ごろかラーメンを作ってもらって食べて寝る。

【6日】創作能〈薔薇の名〉の稽古  於・銕仙会 午後六時半より
 渡邊守章さんの創作能〈薔薇の名 ─長谷寺の牡丹─〉の今回公演の初稽古(去年初演)。少し早く行って〈長崎の聖母〉のビデオ(編集ないものー編集したものは12月に見ていたが、念のため送ってもらっていた)を見る(テレビなく家では見られないので、こういう時不便)。それから榮夫先生、西村さんと3人で去年の〈薔薇の名〉のビデオを見る。私は今回も後見。新作能の後見はなかなか大変。こわいものがある。今日は皆、本を見ながらだがまずは順調に終わる。
 終わって渡邊夫妻、榮夫師、荻原さんら八人で「ちょっと一杯」。1957年のパリでの公演のことやいろいろな話題。書き留めておきたいくらい。
 昨夜と同じごろの帰宅。少し先に帰って風呂から上がっていた蓮太郎とまた食卓。

【 7日】響の会事務局会議  於 新宿三丁目のルノアール 午後五時半より
 まず3時すぎより青山(銕仙会)にて西村氏と四月の響の会のチケットの席番捺し。終わって5時20分に青山を出て、会議に遅刻。いろいろな論議。8時半まで。その後、また「ちょっと一杯」。そこでもいろいろな論議。私は始めにはスポンサーシップの事、会員制度の検討を提案。あとは「改革の断行 ─ 純ちゃんを能に」を提案。去年物理年の一石仙人にと思ったけれどちょうど国会の解散どうかという時で果たせず、「首相、歌舞伎やオペラだけでなく能も見ましょう」(この会議で決まった事は段々に発表になるでしょう)。まずは10日に遅れていたDMの発送をする事に。
 また前夜と同じ頃の帰宅(今日は新宿始発なので座って帰る)。深夜の七草粥(中身は二草)、大きな土鍋で一から炊いてあるのでうまい。

【8日】座間謡曲連盟の稽古  於 立野台コミュニティセンター 午後五時より
 昼過ぎに駅前の写真館へ行き、この前マンドリン娘が成人式の写真の前撮りをした分、どれを写真帖に作るかかみさんと決めに行く。なかなか決めかねるくらいよく写ってるよ。当日でなかったので写真屋さんに余裕があった。明日だと一人15分とか。帰りに「大菊さん」で、「初カツ丼」。どうしても「負けてなるものか」と言う発想になりがちなので、今年はソフトボールの厚木商業高校の合言葉「GET WIN WITH SMILE」を頂戴してやっていこうと思い(あの笑顔で春夏連覇だからね)、まずは三時のカツ丼。
 座間の謡曲連盟の皆さんの稽古は去年お話しが有って、今までこちらでは全然稽古をしていなかったのでけれどやはり座間にも長くなったし、恩返しのつもりでやろうかと秋から始めた次第。今日はお寺に行っている人が急にお通夜が有って四人。一人〈夜討曽我〉の人あり。西村さんとやったのを思い出す。またいつかやりましょう。
 そしてこういう遠い曲が出るとついなんだかブーブー言うのは最近の悪しき傾向なんだなと思う。自分自身何が来ても「はい」と言ってすましてきちんとやれるようにしたい。
 夜、〈一石仙人〉のDVDをかみさんと見る。実際の舞台を見てもらってないので、彼女には〈一石仙人〉は話だけで見るのはこれが初めて。照明・舞台などのスタッフや役者のみんながよくやってくれたのがよくわかる。逆にこうした舞台では能舞台での演技をしていてもだめなのがよくわかる。細かな演出の大事さ(やっぱり地謡が扇を取るときにお尻をあげたらダメだよ)。
 また、ソフトボール娘がバントで出塁してホームまで帰ってきたインターハイの試合も見る。ソフトボールはなかなか点が取れないからこうした着実な得点は大事。我々もそう。ホームランはないから。まず塁に出て送っていこう。就寝結構遅い時間。
 今日より祝い箸をやめ、箸置きを羽子板型のものから松ぼっくり型のに替える。但し門の松は取らずにいつも銕仙会の初会まで飾っておくことにしている(近くのどんど焼きには持っていかず)。
 昨日から口内炎。納豆・みかんを食べる。

【9日】改革(かたづけ)の手ゆるむ 遺憾なり
 朝ソフトボール娘とパン屋のバイト娘(そのあと武道館の鏡開きへ)を送り出し、紙のごみを出してまた寝る。せっかくこのところ毎日少しずつは片付けるべき山がきれいになっていたのに、「改革の手はゆるんだ」。継続こそ命。ガンバレ寛二!
 まずは去年やり残しの歯医者さんと眼医者さんに行かなくちゃいけないが、今日は休日だ!
〔06/01/03〕一富士二鷹三茄子 聖人に夢なし 光陰矢の如し 【028】
 昨日今日と箱根駅伝をラジオに聞きながら(今日は波乱、亜細亜大学おめでとう)部屋の片付け。つい資料やパンフレットをめくるのでなかなか進まない。まあよい。今日はいい天気でポカポカ。大山に沈む夕日の美しさ、そして沈んだあとのシルエットに一番星に三日月。

 マンドリン娘は夕方大阪に帰った。お昼にすき焼き。ソフトボール娘は三島へ遠征(一泊)で夜明けに出る。(朝焼けの美しさ) 夜残った四人で昨年夏のインターハイ決勝戦のDVDをパソコンで見る。七回まで0−0、八回よりのタイブレーク(二塁にまず走者を置いて始めるソフトボールの延長戦のやり方)での一点で勝った好試合。だけどカメラがホームベースの後ろ一塁側に固定なもんだから、ライトのうちの娘はなかなか写ってないんだわ、これが。

 昨日は久しぶりの雨だったが、空手娘は稽古始に武道館へ。そして皇居一周マラソン。ソフトボール娘は学校のグラウンド開き。OG達(実業団で活躍している人たちもいる)もこの日はたくさんやってきて楽しい試合。残念ながら欠席させてもらう。

 元旦、歩いて座間神社と宗仲寺へ初詣(下の娘二人も久しぶりに一緒)。宗仲寺は住職はじめ皆さんにご挨拶。開創四百年記念能・蝋燭能〈百万〉からもう三年か。その時の子方の住職のお孫さんが大きくなっている。またやりましょうとの事。甘酒とたる酒をかみさんのぶんも飲んで帰る。
そこから私は榮夫先生の新年会(赤坂にて)へ。粟谷菊生先生は「いつも清水・西村を見ると中尊寺の「大原御幸」の時、最初のシテ(銕之丞)ツレ(内侍=清水、局=西村)の連吟がすばらしかったことを思い出すよ」と言ってくださる(喜多流ではそこは地謡)。西村さんはいつも元旦は新潟だが今日は雪の新潟から参加。そしてある大先輩からは厳しいお言葉も頂戴し、なかなかこれも新年の幕開け。

 思ったより早く帰ると、子供たちが百人一首。久しぶりに全員揃っているので盛り上がる(大晦日は「ウノ」)。初回は昨日のウノで大負けだった理科系のマンドリン娘(定期演奏会のプログラムを見るとニックネームは「いえやす」)が半分取って大勝。あとはやはり調子を取戻し兄貴が貫禄。私も途中参加する。読み手のかみさんが「三枚よ」と言うも善戦?して目の前の札五、六枚は取る。皆、中学校のときの百人一首大会で鍛えられて、卒業して何年もたったのにもう一字二字だけ聞いて取ったりする。座間中学校はすばらしい。

 年賀状、柴田君からのは昨夏息男昂徳(たかのり)君との富士山登山のこと。雲海の写真とともに達成感が伝わる。柴田君は今年からブログを始めるらしい。
 昨年は銕仙会の馬野正基君に訓聡(くにあき)くん、長山桂三君に凛三(りんぞう)くん誕生。楽屋では親ばかぶりの会話が増えるがそれもいいこと。なかなか子供を育てる(そして子方をさせる)のは厳しかった。皆で楽しく次世代を育てていこうではないか。

 そしてあけて四日。
 ようやく初夢。どこか南方の国でホテルのチェックインから始めるへんてこな夢。能の仲間が時折出てくる。なんじゃもんじゃ(「聖人に夢無し」は「清経」のシテの冒頭の言葉なり)。朝ごはんをゆっくり食べていると子供たちが小学校でお世話になった木島先生から電話。六年生百三十名ほどに能の事を話して欲しいとのこと。新年から有難いお話。二月九日の午後を候補日にすぐさまお引き受けする。

 暮以来ただボーッとして休んだのでようやく体が動きたがってきた。何もなくこんなに休んだのはいつ以来か。もう一年の百分の一が過ぎようとしている。さあそろそろ動き出そうか。今日はこれより我が家の謡い初め。しかる後片付けの続きなり。
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