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〔06/09/17〕なんくるないさ 沖縄日記 |
【090】 |
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お昼前にぬれ縁でお昼寝。「紅の豚」型蚊取り線香の器を置いてくれている。シジミチョウ、キチョウ。トンボがトマトの棒に。イチイの実がたくさん赤く熟れて。紅白の水引、白も燃えるよう。シソの穂も出始め。ニラもすっと長い花茎を出して白い花。ああ、こうやって生きている物が、息をするものが、柔らかなものが、周りにいる。
まだ雨は降り始めない。この雲は台風の沖縄へつながっている。アメリカ軍のジェット戦闘機、今日は違う種類の二機が編隊。あんなに横すれすれでぶつからないもんだな。そういうコンピューター制御があるんだな。あれも沖縄へつながっている。
昨日は朝、座間のお稽古。午後早稲田の学生の稽古。小田急線の線路際にススキの穂。合宿以来の稽古はまた新しい視点でできた。アメリカに一年留学に行っているのが夏休みで久しぶりに稽古。もう一度、もう一度!
やっぱり疲れてるなあ、体がだるいなあと思いつつ稽古場に着く前、フトわかったこと。沖縄はただ戦争で破壊されたところではない。琉球王国から日本に無理やり組み込まれた時と、第二次大戦の沖縄戦の二度の死(二度ということは長崎と同じ)を経験しているということ。
稽古中に思う、沖縄の学生達は必ず稽古場に入るとき、出るとき舞台にきちんと手をついて礼をする。これ肝心の事なり、舞台人の始めなり。自分の力だけではない、舞台の力、芸能の力を(それ(神)から)頂いて発揮できるのだ。
さあ今回の沖縄日記 ─ 首里の坂を登る日々 ─ を始めよう。
(※編集部註:9月10日分から上へお読み下さい↓) |
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〔06/09/15〕台風なれど晴れてるよ |
【089】 |
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荷物宅配便で送り、五日間ほぼ同じ朝食を終え、チェックアウト、N君また来てくれて空港へ送ってくれる。会えてよかった。また元気でやろう。
どの便も満席。台風接近、まだ那覇は大丈夫だが、石垣便は台風のため引き返すかも、との表示。飛行は順調。機内で空港で買ってきた「老舗松乃下の八月十五夜の茶屋鮨」を食す。お茶はサンピン茶。
沖縄滞在中見なかった手帳を広げる。おえ、この秋のこの予定どうやって過ごすのだ。沖縄と流れる時間の違い。そうだすぐに囃子科協議会。おお、清門会の番組まだだった。すぐ印刷に回さなくちゃ。
そして肝心の通信の原稿、どうして書けないのだろう。何を?
さて羽田から品川庭園薪能(私は〈杜若〉の後見、これが緊張する役)へ直行。しかし昨日の時点で屋内での演能に決定ずみ。ありゃりゃン、晴れてるよ。 |
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〔06/09/14〕光陰矢のごとし |
【088】 |
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早くも最終日。〈羽衣〉能の型で、ワキシテ分けて次第まで、二回ずつ。少しは言葉出るようになったがまだね・・・。仕舞も〈羽衣〉クセ三回ずつやってみる。最後は稽古用長絹つけて。そして私が予告として〈羽衣〉のキリを能の型で。さあ二月はこれもやって、(途中省略だけど)全体通しますよ。ああ、外では考えられない授業だね。
昼は首里高の前の店で買ってきたウチナアそば150円なり。弁財天堂にて拝む人達有り。
7時より打ち上げ龍潭のそばの「秀月」にて。歌の方の学生や昨年度の学生、N君(彼は笛の松田氏に能管習っていたので一応笛を持ってきたとの事、残念ながら今回はその時間なかった。)も混じって。例えば都ホテルのビアバイキングでの演奏終えてきてくれた人たちも(逆にこれから稽古に行くという人も)。昨年度履修の現四年生(社会人入学の人もいて多彩)、今回は10月1日にある公演などで忙しかったので参加できなかったが次の二月には是非授業にとの事。うん、また厳しい発表会やろうね。三年生諸君もよく復習しておいてね。ちょっとプランがあるんだ。 |
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〔06/09/13〕居酒屋満席 縁側にて扇風機有り |
【087】 |
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朝またスコール有り。今日は玉陵(たまうどぅん)参観。琉球王尚氏代々の墓。境内に私一人。まばゆい光の中で王の死と対面。拝所で供物を並べ祈る男一人有り。
守禮之門を円鑑池の方に下がったすぐのところで木々に埋もれた旧日本軍のトーチカ跡発見。
学校で〈杜若〉を一回謡う。昼はまた「うちなあすば星雲」で今日は野菜そばの大(細麺)、650円、ヘルシー。
授業、参考資料として持っていった「智恵子抄」と「永訣の朝」の一部を私が謡う。つい涙が出てダメ。涙をごまかすのに舞や囃子の説明。
〈羽衣〉、立って本なしだから、なかなか言葉が続かない。明日までだからね健闘を祈る。
N君来る。こちらで新聞社に勤めていたが、思うところあって現在琉球大学医学部一年生。テニスと海で黒いがさわやかな面。久しぶりなので泡盛をやりながら深夜まで語り合う(新都心の居酒屋にて、泡盛は「北谷長老」など)。イラブチャーや島ダコの刺身、アグーの塩焼き、アーサのかき揚げ・・・。
車で来たN君は運転代行で帰る。飲酒はアカン。明日また打ち上げにどうぞ。
なんくるないさ。 |
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〔06/09/12〕将門為朝 |
【086】 |
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朝よく晴れていると思ったら通り雨。
午前中戦跡をめぐる。まず小禄の旧海軍司令部豪へ(ここに4000人も潜んでいた!)。個人タクシーで下で待っていてくれるというので、よしいい機会と思って、そこから対馬丸の記念館へ(死没者名簿に小学生の外間守善氏の妹さんの名あり)。
この間荻原さんからいただいた外間先生の本の前田高地での激戦が気になっていたので、運転手さんに前田高地の事を聞くと首里から10分くらいだというので行ってもらうことに。高台もあるというので前田高地の少し先の宜野湾市嘉数高台へ。ここも激戦地。頂上の展望台(100.7メートル)からは普天間飛行場が丸見え。そして西に広がる東シナ海。宜野湾市はアメリカ軍基地の占める割合が33%を超える。
南に前田高地、あれが将門岩か。いやこれが記憶間違い。名は「為朝岩」。ここで日米両軍の兵士の死闘。全体が浦添城址。北面に亀甲墓。岩まではいけない。「ハブに注意!」
首里に帰って時間が無かったのでコンビニでそば弁当。(さすがにこの沖縄で普通のハンバーグなんかの弁当買う気なし。)
授業昨日のところ、繰り返す。やっぱりそう急に覚えられないよねえ。けれど演じるということはいつもやっているから結構できそうだけど、最終日どこまでいけるかしらン。
終わってまた首里の坂を下る。ほんとに登校、下校。ホテルの少し手前に、創作料理店「exit dining」あり。コース1980円。メインは5番の沖縄風カツレツを選ぶ。大なり。モルツの生。泡盛はここのブレンドを。一階のカウンターには私だけ。二階と外も有り。パーティにも使えそう。
今夜のテレビ、アメリカの独立戦争の映画「パトリオット」。
こちらに来てから葉書を出したN君より電話あり。早稲田観世会の卒業生。北谷に在住。明日学校を訪ねてくれる。 |
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〔06/09/11〕泡盛なしデー |
【085】 |
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久しぶりによく寝た。旅に出るとこれ。通勤が近いの最高。シャワーを浴びて朝食バイキング。五日間だからね、「あわてるなよ。」
いい天気、明るい。暑い!
観音堂から首里琉染、安国禅寺、首里高校、玉陵の前を通って、守禮の門をくぐり(くぐったところが発掘調査中。この暑さの中ハケとヘラ)、左に折れて円鑑池、弁財天堂(緑の中は涼しい。ここにかかる橋が天女橋。首里の古い建物は皆修理復元)の横を通って学校へ。
途中、猫痩せた二匹。名前のわからぬ南国の花、赤・青・黄色。玉陵の木々の間に鋭く美しく鳴く鳥二羽。
学科室にて皆さんと挨拶。助手の仲嶺さんは、この前横浜能楽堂で〈翁〉ありし日に横浜美術館で演奏ありしとか。
学生用に羽衣のクセの仕舞の型付けを書いてコピー。
昼はちょっと出てウチナアそば。ありゃ、この前お世話になった近江商事の社長。昨日駐車場によったら綱引きの綱作り(ギネスで世界一)で留守だった。そして、ありゃ、与那国の素晴らしい歌を聞かせてくれたY君。今年一年生。
授業、謡は少し進んで、途中少し省略だが次第まで(シテとワキを分けて、地を一緒に)。そしてそこまでの型をやってみる。仕舞、クセの前半の型。さて明日どこまで覚えてくるかな。
帰り龍潭(池)の横の路地を入ったところの沖縄そば屋さんで定食。オリオンの生。あ、てんぷらやつまみになるもの色々出てくるから、そばは後でもらって泡盛やればよかった。
おうそうだ、今日はソフト娘の誕生日だった。シーサーの絵葉書を書く。
TV、映画の「大脱走」をやっていたのでつい見てしまう。綺麗事のシーン気になる。戦争の実態は、戦時の実生活の部分、いかに。 |
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〔06/09/10〕あーあ ポケモンに乗り損なっちゃったよー |
【084】 |
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朝起きてから荷物を作り6:00に出る。8:55ANA123便。ポケモンジャンボ機。全員乗り込んでから機長のアナウンス。空調に不具合。最初は修理するということだったが、結局別の機材に全員乗り換え、約1時間遅れて出発。遅刻しちゃうよ。104で調べて大学の代表番号に電話してみるが、あいにく日曜日で誰も出ない。仕方ない。ああ、雪の無い富士山。
結局20分ほどの遅刻。「先生どうしちゃったんだろう?」 沖縄県立芸術大学音楽学部琉球芸能学科琉球舞踊専攻三年生、今回は二人(女子学生)。関連楽劇「能」集中講義(夏期9月、冬季2月)、例によって午後一コマ1時間半を三コマ。今日は〈羽衣〉謡、ワキの道行を除いて初同まで。型はカマエ・ハコビからサシコミ・ヒラキ・左右打ち込みヒラキまで。おとなしいがニコニコの二人。全然今までやったことの無いのをやってるんだからね。
途中ちょっとぬけて首里城内でやっている琉球舞踊を見に行く。去年この授業を取っていたけいちゃんが出ていたので。お面をつけて「しゅんどう」の醜女役。
宿泊、今回は首里の坂を下った沖縄都ホテル。チェックインの後、前回も行ったすぐそばの島寿司さんへ。カウンターで隣になったのはどうもJALの機長さん。その向こうに最近この辺に移り住んでいるというナイチャーの御夫婦。この店は客同士、そして大将と会話がはずむ。オリオンビールの生と泡盛「瑞泉」の古酒(クース)8年もの。刺身からゴーヤまで結局バランスよい夕食。帰ってパタ! |
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〔06/09/05〕日暮れが早くなった |
【083】 |
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朝、桜の並木はミンミン。帰りは秋の虫達。
朝稽古能。〈百萬〉(馬野正基)と〈卒塔婆小町〉(鵜澤久)。卒塔婆の本番当日は速雄先生だったが洋太郎氏に代わった。初役。大倉源次郎氏監督に。
2時より横浜能楽堂にて〈翁〉の申し合わせ。「打掛り」の小書き付。大鼓石井流、三番叟の始め、大鼓の打ち出しに橋掛かりより歩みながら打つ!
夕方よりの装束附けの稽古会無くなったので早く帰る。 |
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〔06/09/04〕〈砧〉申し合わせ |
【082】 |
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11時、国立能楽堂にて〈砧〉(野村四郎)申し合わせ。昼千駄ヶ谷チャイナクイックにて。青山(銕仙会能楽研修所)へ行き、ロッカーの整理等。6時半より今度の銕仙会定期公演〈竹生島
女体〉の講座を聞く。
この前早稲田の合宿でも秋に〈竹生島〉の舞囃子を出すのでその曲目研究会有り。担当はシテ。作者等について謡本から丸引きだったので私は色々批判したが、他の部分は実はよくやっていたことが判明。合宿では毎晩テーマを変えて研究会有り。その後「飲み」有り。 |
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〔06/09/03〕結婚したら「出口はないよ」 |
【081】 |
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新潟へ日帰り。西村さんの同級生の娘さんの結婚式。西村さんが〈高砂〉を舞って私は地謡(両名裃にて)。待謡「高砂やー」より。舞うところは二畳くらいか。普段地謡を複数で謡っているところを一人で謡うのは緊張する。アア、昨日の舞台のが残っていたのかなんだか気が入って謡えた。あと西村さんの同級生のテーブルに入れていただいて御馳走を頂く。乾杯は「越の景虎」。引き出物にも一本づつ。
娘をやる心境。ロクデモナイやつにはやらないぞ。洗濯掃除炊事のできないやつはやれないぞ。あれ?
青山へ帰ってサルトルの「出口なし」を見る。日本語字幕有り。なかなか面白い。銕之丞師監修。 |
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〔06/09/02〕〈砧〉 |
【080】 |
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加藤眞悟氏「明の会」〈砧〉。地頭。隣に西村氏。やっぱり大曲。しかし、下を向かずに謡えた。こんな曲を謡わせていただくようになったか。有難うございます。私がやるのはもう少し先なるべし。
来年の響の会の日程を決定(やがて発表)。
マンドリン娘伽耶が大阪へ夜行バスで帰るので新宿で見送り。パン屋のバイトの麻耶を除いて集まり、過ぎてしまったが蓮太郎の誕生日とソフト娘沙羅の優勝を祝い、そしてモンゴルへ行く伽耶の壮行会を兼ねて乾杯。 |
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〔06/09/01〕朝顔は秋の季語なり九月一日 |
【079】 |
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朝歯医者。今度は一ヵ月後。よく歯ブラシを。時々かみさんがあんた臭いと言う時有り。自分ではわからないんだよ。誰かに迷惑をかけていたかも。
あと休養日だったと思うが、四日前の事がもうわからない。九月一日の句は実は31日に作った。おお、そうだこの日は伽耶と一緒に親父の病院の見舞いに行ったのだ。明日退院となったとのことだった。胸と腕とに手術跡。まあゆっくり自宅療養してください。しばらくまたお見舞いにはいけないが・・・。 |
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