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〔06/08/31〕内視鏡検査でちょうキレイ |
【078】 |
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大腸の内視鏡検査。八丁堀の。8時半過ぎに入ってひたすら下剤を飲み、ひたすらトイレに通う。(原稿用紙をもっていったがこれは無理)。
おなかの中“ちょうキレイ”。直腸に一つ5,6ミリのポリープ有り。取ると2週間は安静、旅行はいけないというので(今度沖縄有り)、年末に。
去年は診察台に上がって地震有り。今年は家に帰って地震有り。 |
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〔06/08/30〕〈砧〉申し合わせ |
【077】 |
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朝夜行バスにて伽耶と沙羅(試合の後大阪へ寄った)帰る。
〈砧〉の申し合わせ。於代々木上原の研能会舞台(鵜澤速雄先生のご葬儀を欠席)。
午後青山でお弟子さんの稽古。能〈楊貴妃〉と〈海士〉。夕方より三菱さんのお稽古。下剤を飲む関係あり少し早めに終わらせていただく。 |
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〔06/08/29-2〕京都、大阪 |
【076】 |
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京都での早稲田の合宿より、大阪大槻能楽堂での〈原爆忌〉へ。反核反戦の催し。地謡座で少し前列後列互い違いになって謡う。
京都からは新快速大阪へ。そして普段は地下鉄で行くが、今日は環状線に乗ってみる。鶴橋まで行ってみた。
小さいころ神戸から両親の実家、寝屋川市や奈良県御所市へ行くのに、この環状線で京橋(京阪へ)や天王寺(近鉄へ)へ。記憶に残るのは砲兵工廠の焼け跡。そして実際聞いたはずも無いのに「尾鷲上空をB29○○機編隊が北上中!」。
終わって新幹線最終にて帰る。くたびれていたので新横浜からもうタクシーに乗っちゃえ。
早稲田の合宿、稽古は梨木神社の舞台にて。戸を開けっ放しにしてやっていたので参詣の人が見ていく。成果はあったはず。一年生の仕舞〈田村〉、八番。自分たちで地謡も謡えるようになった。解散して私は大阪へ行くべく別れたが、彼らはその田村の舞台「清水寺」へ。アテルイの碑は見つけたかな。
ざっと振り返ってみた。明日はまた〈砧〉。秋の虫たちがしきりに鳴いている。
ソフト娘が下落合に部屋を借りた(早稲田の学部と練習場の所沢と家との往復はもたないとのこと)。明日引越しか。すばやいな。 |
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〔06/08/29-1〕インカレ優勝しちゃったらしいぞ
夕立が京都を涼しくした |
【075】 |
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26日大淀町での公演の後、京都でやっている早稲田大学観世会の合宿に合流。なんと橿原神宮からの近鉄特急に三菱のお弟子さん。世間は狭い。
宿舎は京都駅前に旅館「さと茂」。あれいつか来たことあるぞ。今朝思い出した。いつか京都の能楽師連中で阿波踊りの連を作って繰り出した時に混ぜてもらったが、その前日ここに泊まったのでは。まだ子供たちが小さかったころ。一番下をだっこしてたような。
そのソフト娘が快挙。インカレ(インターカレッジ大学選手権)で初優勝!昨日準決勝と決勝。決勝では日体大に7−0とか。もちろん向こうが今までは強かった。日体には厚木商業の仲間が二人いて、早稲田にも二人。卒業の時にはお互いに負けないぞといっていたのに現実のものとなった。春に試合観戦した時はソフトなんかには応援団来ないのかなと言っていたのだが、決勝にはちゃんと応援団も来て例の「紺碧の空」! |
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〔06/08/25〕そば・そば・そば 増田屋さんおいしいよ |
【074】 |
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青山にて12時より(実際は私が遅刻して、しかもおそばを食べたりして1時近くなってから)西村氏と〈砧〉の地謡(今度研能会の加藤君の会「明の会」で謡う)の稽古。実は二人だけで何かを稽古するのは久しぶりだが、この年月修行を共にしてきただけのことはあるなと実感。当たり前のことだけれど、合うのだ。一曲謡う。いい曲だがやっぱり大変。西村氏「ここんとこちょっと高くなっていったような・・・。」 ああ、そこ中音なんだけど力んで上音みたいになってたんだ。すみません、気をつけます。
それからシアターΧへ。能楽座「原爆忌」。表参道から地下鉄、半蔵門線・東西線、飯田橋よりJR総武線にて両国。回向院の隣。お、お相撲さんが自転車乗ってる。
3時からリハーサルだと思ってあわてて行ったら、4時からとのこと。ではその間にと、今度31日に大腸の内視鏡検査を受けるがその下剤を受け取りに八丁堀まで。「痔はありますか?」「じかくはないのですが・・・。」 「脂肪肝かもしれませんね、エコーもやってみましょう。」「はい是非、志望します。」 紋付着たままタクシーで往復。
多田先生ご夫妻も客席に。うちの広島出身のお弟子さんもご夫妻で。如何だったでしょうか。広島の惨状、人々の有様、この下町では東京大空襲に(そして関東大震災にも)通じる。ことに山本東次郎氏の間狂言を地謡座にいて聞いていると、頭上から焼夷弾が降りかかってくるような、あたりは火の海!
終わって新幹線最終のぞみにて京都へ。(しかしこのところそば三昧。さっき東京駅で。昼に青山で。昨日軽井沢の駅で。楽屋の弁当で。その前の日、草津へ入る長野原草津口の駅で。そうか駅のそばがおおいな。)明日奈良県大淀町にて榮夫先生「清経」。今その車内。久しぶりに原稿用紙で。ひどい字だ。この原稿用紙は2月に沖縄芸大の集中講義の時、生協で求めたもの。その時の日記がある。これは結局公開してないので少しここに載せてみようか。
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【葉桜の首里の坂を登る日々 沖縄日記】
●06/02/14
9時のフライト。修学旅行の高校生と一緒。満席。そのだらしない格好は何だ。前の方に聾学校の生徒たち。もちろんこちらは静かだし、お互いにフォロウし合っている姿がとてもよい。
那覇は暑い。コートは着てこなかったがカーディガンもすぐ脱ぐ。昼食を機内ですませ、学校に着いてすぐ授業を始める。今日より5日間午後3コマ(1コマ1時間半)。県立沖縄芸大音楽学部琉球舞踊組踊専攻3年次、関連楽劇U。6名の元気な女子学生(社会人入学の人もいるので年齢はいろいろだが、皆すでに舞踊家として活躍している)。
前回9月にやった〈羽衣〉の謡(少し抜粋)とキリの仕舞の復習。OK。では、省略した部分を少しずつやろう。今日はクリ・サシ・クセを。そしてクセの仕舞の型付けを。
5:30終わってケイちゃん(体は小さいが大きな声、元気な学生)がアルバイトをしているすぐ近くの近江産業へ(芸大前の「あしびゅうなあ」といういいお店をやっている。首里に来たらここでお食事を)。実は社長が父の知人。父は海上保安庁に勤めていて沖縄勤務時代にその夫妻の仲人をつとめたらしいが、きっと逆に大変お世話になっているのだろうと思う。
駐車場もやっているのでその入り口受付のパラソルの下でオリオンビール。色々な人が立ち寄っていく。放送局の人、銀行、新聞社の人。地元首里をどうしていこうかという商店街の人たち。泡盛が出て、やがて気がつくともう10時。長居をしました。今回宿泊はメルパルク沖縄。首里の坂ノ下。近くでソーキそばを食べて寝る。
実は今日からアルコール解禁したばかり。左下奥の歯茎の手術後、昨日歯医者さんで確認してきました、「まったく問題ありません」。ただし物を噛むのは恐る恐る右側で。
●06/02/15
和定食。首里の坂を上る。袷の着物に羽織・袴は厚い。首里高校の横を通って、守禮の門をくぐり大学へ。首里城の復元・整備は進む。
今朝は例によって、幕の前に立ってもう舞台に出なければならないのに「何も覚えてないよ!」という恐怖な夢を見る。学校に着いてその曲を自習。ああ。
昼食、学食で。タコライス売り切れにつき野菜炒めライス380円。一般の人もここは入れる(首里で廉価にと思ったらここ)。
午後授業3コマ。〈羽衣〉昨日の部分に加えてワキのサシ・下歌・上歌。ツヨ吟は急にはなかなか。仕舞〈羽衣〉クセに加えて、〈屋島〉キリもやってみる。
終わって市内の「うりずん」という店に。オリオンの生に、泡盛「うりずん」の古酒(クース)8年。なかなか繁盛。相席の博多から来たおば様方に(着物だったからか)「いけばなの先生?」と聞かれる。泡盛を頂戴する。島ラッキョウうまし。
以下略。
ただし毎夜(先生方との会食や沖縄舞踊の鑑賞、授業の打ち上げ等あり)クースのない日は無し(銘柄は毎夜異なる)。
最終日は大学のホールにてきちんと発表会。〈羽衣〉の素謡(アシライ入り)と仕舞(地謡も全部自分たちで)。よくできました。私も毎日稽古ができた。
打ち上げ、また近江産業社長宅でお世話になる。首里城を望む屋上にて。三線、唄、踊りあり。これが沖縄の素晴らしさ。
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昨日(8月24日)は草津のオペラ「絵師」(所要時間65分くらい)。
私は将軍の役。装束は黒頭に唐冠、面は「天神」、半切、袷狩衣。持ち物は魔王団扇。途中松明持つ。
朝10:30、オケの人たちと装束つけてリハーサル(私がこんなに汗をかくのも珍しい。胴着やパッチを外の白樺の枝に干す。)午後もこれは録音にて稽古。そして5時から本番。一日三回は厳しいね。(前の日は夜8時から練習、これがオケの人達との初めての練習。) 面つけるとステージの前端が見えずこわいが、まあともかく落ちずにすんだ。歌はソプラノの人一人。音楽だけのところも長くその間どう動くのか、結構神経衰弱。最後のドンぴったりにユウケン二つ。終って舞台監督(牛車を燃やすシーンなどで舞監・照明のスタッフが大変苦労。その中に入って燃やされた西村さんも大変だったでしょう)が親指を立ててくれた。よし、ありがとう。
草津町もすごいよね、こんなフェスティバルを毎年やってるんだからね。
しかし、同じ舞台に立ったオケの人たちや指揮者やほかのスタッフの人たちと、もっと交わることができなかったのか。時間的な余裕のなかったこちら能の側の問題なのか(なんだか知らないうちにやることになってたんだ、この忙しい時に)、全体の制作の問題なのか。でもしかしけれどももし万が一またこの舞台があればその時はもっと「向こうの人たち」と交流したいものだ。どこか外国でやりたい気もするね。
帰りは軽井沢へ夜道タクシーを飛ばし新幹線で大宮、埼京線で新宿、小田急。12時少し前には家に着く。
草津への行きの列車で鵜澤速雄先生ご逝去の報を聞く。この間青山でお会いしたような気がする。秋の清門会(私のお弟子さんたちの発表会)にも、洋太郎氏とともにお願いしていたが…。前回の〈井筒〉も打っていただいた。残念。せっかく看病してらしたご家族、如何ばかりか。ご冥福をお祈りする。
(以上早稲田の合宿に来て合間を見て原稿用紙からパソコンに打ち込む) |
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〔06/08/20〕スワ夕暮れ、ねぐらに帰るからすその数を知らず |
【073】 |
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スワ朝だ! 飛び起きたらもはや同室の河村博重氏の姿は見えず。ああ。時計がないのでテレビをつけると7:15。アア、車組みももう出たな。なんせ寝たのが4:30過ぎだからね。ゆっくり青木夫妻や学生達、村瀬和子氏(昨日の解説)ら一行たちと朝食。ここは信州明科長峰荘(※編集部註:昨年の同時期にも記述有)。
昨日は信州安曇野薪能。この名称は初めて、去年までは水郷明科薪能。町村合併にて近隣の豊科や穂高などと合併して安曇野市。
さすが15年以上続けているだけあって舞台の作りもスマート、よく見ればいろいろな工夫有り。公園にしっかり舞台の資材置き場まで有り。舞台の板もしっかりしていて、しかしbut、さすがに井筒の長丁場(1時間半かなと言っていたら40分)を座ると「痛い!」(このところ舞台無く座ってないということも一因か)
石橋の作り物の牡丹も町の人の製作とか。アア、一畳台飛び乗って一つ壊したぞ。
井筒は青木道喜氏。クセの前半は抜いたが他は有り。序の舞も三段丸々。薪能ではもっと省略すること多いがこれも見識。お客様もよく観ていらした。
井筒のシテの登場の上歌の最後、水桶を前において合掌するところ(今度の響の会研究公演のチラシの井筒の写真のところ)でフッと日が翳る。西のアルプスの山の端に日が落ちたのだ。さっきまで太陽がぎらぎらして暑かったのに、涼しい風。
間狂言の間、向こうの空をカラスが東の長峰山に帰る。一群れ、二群れ、・・・・、ありゃありゃ、すごい数だ。
もう暮れてみんな帰ったかと思ったら、後シテの間に一羽だけ反対方向の西へガーガーと啼きながら飛んでいく。どうしたんだ、何かドラマが彼にあったのか?もしかして彼女?
笛は杉市和氏。先日の申し合わせのあと「舞短くせいへんのですか、協力して下さいよ。」と冗談半分に言っていたのに、本番は三段丸々、素晴らしい演奏。12月の私の井筒も杉さんにお願いしている。楽しみ。
終わって車で京都へ帰る人多し(三時間半とか、過激な人は三時間!とか。お気をつけて)。何人か例年のごとく長峰荘へ宿泊。宴会場にて観世寿夫から先代銕之亟、田中幾之助氏、高橋進氏、松本恵雄氏らの故人から、近藤乾之助氏らいろいろな人を引き合いに出しての能談義。深夜と言うか早朝4:30に及ぶ。「ええ能が見たいンや。ええ能がやりたいンや。」
9:18明科駅発篠ノ井線各停で松本まで。松本発9:55あずさ12号にて新宿へ。トイレがきれい。早速、朝の便通、元気の印。いつもの儀式、新聞が今日は無い。
車中、この間荻原さんから「あなた沖縄に行ってるんだからこれ読んでおきなさい」といただいた、外間守善先生の「私の沖縄戦記―前田高地・60年目の証言」を読み終える。なんと荻原さんが学生時代に教生に行った杉並の中学校で外間先生が教師をなさっていたとか。ずっと以前に先生の沖縄に関する御著書も読んだこと有り。いやどこかでお目にかかったこともあったような。温和な先生の横顔と20歳の時のその激戦。
今度沖縄芸大の集中講義は9月10日より五日間。前田高地に行く折があれば行ってみたいもの。芸大のある首里そのものも激戦地。私は毎日そこを歩く。
ああ、そろそろ授業の計画をせねば。昨年度の学生諸君とも何かやりたいね。
新宿から青山へ行き早稲田OBの青山倶楽部の稽古。夏休みか二人のみ。しっかりマンツーマンでやって帰る。
信州のお土産はいただいたわさび漬(明科駅前の望月山葵店製)と「白馬錦」の特別純米酒生酒。(「あずさ」で網棚に上げておいてトイレに行っている間に転がったらしく、席に帰ると車掌さんが「このお酒はお客様のですか?」 場所が場所だったら危険物所持で逮捕されていたかも。) |
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〔06/08/19〕ひょうろさんトンボの水面降下 そこは自動車の屋根だよ |
【072】 |
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昨日とうって変わって晴れ渡る。いい風。
ミニトマト収穫第二番を、布団の上に起き上がってまだ覚めやらぬ某君に進呈。カプ。
一匹のトンボが隣のシルバーの自動車の雨露の残った屋根にしきりにピョンピョン。オヤ、そこは水溜りじゃないぜ、オイオイ。
このトンボをかみさんは「ひょうろさんトンボ」と言う。佐賀ではお盆の頃にたくさん現れるのだと言う。「ひょうろ」は「しょうろ=精霊」ではないかと言う。
妹(私と同年)マーコさん、佐賀より来る。22年ぶりの新幹線、東京。かみさんこの二三日ちょっと具合悪く私一人で姉さんの病院へ迎えに行く。本当に東京の人の多いのについていけないのだと思う。しかもあいにく小田急線架線事故で遅れる。
うちの二人目までの出産には大変お世話になった。その頃以来。そう、今の家は始めて。冷房ないと聞いていて心配していたらしいが、意外と風あって涼しく大丈夫。駅から歩く。10分ちょっとが「最近こんなに歩いた事ない」。田舎はすぐ車。歩こうね。
明日、私は明科へ。ああ、しまった。その切符を今日買ってくるつもりだったのに、忘れた。いいよ、明日、町田で買って乗ろう(町田から横浜線で八王子に出て中央線に乗るのが近道。しかし実際今回は新宿まで出てあずさに乗った。家を早く出たせい。そしてその時間を「絵師」のCDを聴く)。 |
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〔06/08/17〕高見盛がコンビニから 未読メッセージ2063通あり? |
【071】 |
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パソコンを開いたら私のアイコンに2063通の未読メッセージがありますと有り。どうなってるんだ? もしほんとにそうだったらどれだけかかるんだろう、読むのに。
9:30よりシアターΧ(両国駅を出て右が国技館、シアターΧ(カイ)は左へ行って信号を渡る。信号の手前のコンビニより大きなお相撲さん出てくる。高見盛関。)にて、〈原爆忌〉の稽古。こりゃ座るのいたいいた。客席より舞台が広い。やりながら幾つか変更点有り。例えば地謡では、節を幾つも。そして例えば「母」をどう発音するか。私達は慣れで「ハワ」と言う。しかし前回の稽古でわかりやすいように「ハハ」と言ってみようということになったのだが、やっぱり「ハワ」に。でも帰りの電車の中で考えたら、最後の部分の「母を返せ」は「ハハ」がよいか? ははははは。
稽古が終わって一番に出る。お茶の水で中央線快速に、新宿から京王線。ちょうど12時発特急有り。調布で降りてタクシーに乗ってしまう。榊原記念病院。前は新宿にあった(少し縁有り、また後日)。12時から父の手術の予定。受付、非常に丁寧で親切な対応。まだCCUに。急患があったおかげで手術の予定が延びていた。少し話をする。4時間あまりの手術。冠動脈バイパス手術。腕や胸の血管を取ってきて四本のバイパス。成功との事。ICUにて術後の顔(まだ麻酔、色々な管)だけ見て帰る。母と叔母と弟と。倒れる前でよかった。いい病院でよかった。できて三年、清潔で広くて静かで、看護婦さんはきれいで優しくてきびきびして。最新の医療を垣間見た感じ、寛二。
帰りは京王線飛田給駅(甲州街道に東京オリンピックの時のマラソンの折り返し点有)から各駅で調布へ。特急(これは特急券いらない)で新宿へ出て小田急、唐木田行きロマンスカー(これは指定席券要る)にて新百合ヶ丘から各停にて相武台前まで。
昨日今日と熱帯夜。もう日本は熱帯や。明日九州からかみさんの妹が出てくる予定だが、アリャリャンコリャン、また台風だヨーン。飛行機苦手なマーコさんは新幹線で来るのだが、止まるなよ! |
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〔06/08/16〕オクラの花 むかご発見第一号 |
【070】 |
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青シソに占拠されているオクラたち。ようやく一つ目の花咲く。かわいい。自生のミニトマトたちも花付け実付け。明日は二つ目の収穫予定。梅の木の山芋の蔓にむかご一つ発見。
よい知らせ有り、詳細はやがて。
父の手術は明日との事。立ち会ってくれとのことだが、明日は朝〈原爆忌〉の稽古有り。それが済んで参ります。
アア、昨日は歯医者へ行くのを忘れていた! |
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〔06/08/15〕あかまんま見―つけた 終戦記念日のカテーテル |
【069】 |
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12時より「絵師」の稽古。少し見えたか。しかしなかなか。これでつぎはもう前日まで。わお!
田無へ父の見舞い。心臓カテーテルを入れるとか。行ってみたらそれではダメで、榊原記念病院へ明日転院して心臓の手術。来なくてもいいと言われていたが妻の「そう言われても行ってらっしゃい」という一言に感謝。田無駅へ向う途中でアカマンマの花。涼しい雨の終戦記念日。誰だその立場で靖国へ行ったのは。 |
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〔06/08/14〕炎天下を歩く幸せ 帰りはのぼりで40分くらいかかるか |
【068】 |
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朝、かみさんと二人で宗仲寺へお盆のお参り。檀家でもないのだが、盆と正月には行かせてもらっている。浄土宗のお寺(観世家の菩提寺三田の済海寺もそうだね)。行ったらちょうど法要が始まるところで混ぜてもらう。住職の導師の脇僧を、この前ここで蝋燭能をやったとき〈百万〉の子方をやってくれた住職の孫、翔君(五年生)がやっている。大きくなって、しっかり勤めている。その時は夏休みにこの本堂で何回も稽古したね。
かみさんの実家は佐賀白石で、浄土真宗の熱心な家。義父はお念仏に生かされたと言っている仏様のような人。
私の家はこれと決まった宗派はない(能の中ではいろんな宗派に関したものをやらなければならない。この前はマリア様をやらせてもらった)。しかしこうしたお寺の法事に家族で参加するのはほんとによいことだと思う。これはこの前、長崎の浦上天主堂のミサでも感じた。親子で出るのがよい。
12時に歯医者へ(昼ご飯は行く前に焼きそばを)。手術。右の上の奥。今年五回目か。うう・・・。実況中継をしたいところだが、何をどうしているんだかどうもよくわからない。なんだか手荒にされているようだが、ずっと口をあいたまま耐える。地謡で長く座っているよりずっとまし。最初の麻酔が「えっ、そんなに大きくなくても」と思うくらい大きな注射器でエイエイと。しかし後は痛くないから不思議。30分。「また冷やしておいてください。」 え、今まで冷やせと言われたことないよ。かみさん曰く「暑いからじゃないの。」 ああ、そう。冷やして寝る。冷やすと腫れなくて良いみたい。いつもそうすれば良かった。
今日からしばらく飲めないと思って、昨日はビール風呂上りに。いつもより早く9時ごろ。サントリーの「モルツの天然水」缶ビール500ミリ。夕食は近くの中華「翠園」へ行ったが、そこで飲んだモルツの生は随分違ったなあ。 |
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〔06/08/12〕オオ座間キャンプで大爆音 近所の人達大集合 タマヤ― |
【067】 |
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今日は座間謡曲連盟の夏の鍛錬会。初めてのことでどうすればよいのか、よくわからなかったが、まあ初心者講座。始めてやってみる人も多かったが、会員の人と一緒に声を出すので、意外にやりやすかったか。経験者にも必要な注意はしたつもり。
午前謡、午後仕舞。二時間ずつ。〈田村〉でやってみる。謡は前シテの語りから初同(初めての地謡が謡うところ)の上歌までと後シテのキリ。言葉と弱吟と強吟。仕舞は、カマエハコビ、型の基礎(サシコミ開き、左右)、そして〈田村〉のクセを少しやってみる。キリの仕舞を私が舞ってみてもらう。最後に「高砂やー」の謡。
今度から稽古に来ようかという人も。またまた「ホッとする日」なり。
仕舞の途中でカミナリ・イナズマ・雷鳴・稲光・ガラガラドッシャン・土砂降りの雨。
夕方雨やんでくる。山手線は止まったらしい。妻も姉さんのお見舞いに行かず。
オペラ「絵師」(西村朗氏作)のCDを聴く。24日草津の音楽祭。もうすぐになってきてしまった。私は将軍の役。昨日新幹線の中で聞こうと思って蓮太のウォークマン借りて行ったのだけれどなんだか音量小さくてよく聞こえず。そう言ったら「そんなはずないよ」。確かに今日やってみたらよく聞こえるが・・・。だけどこれどうしよう。明日稽古。わお!
昨日は朝京都の大江能楽堂で申し合わせ。戦前からの舞台、一度客席で見たい所。大体住所がかっこいいよね「押小路柳馬場(おしこうじやなぎのばんば)」。烏丸の御池の通りの一本上を右へ。
朝早いので前夜宿泊。確かホテルも地下鉄の烏丸御池を降りて近くだと思って歩いていくと、京都ガーデンホテル有り。あれこれだったかとフロントへ行けば予約入ってないと言う。電話で予約を入れてもらった銕仙会の事務所に聞く。アア、三井ガーデンホテル。筋二つ向こう。
腹が減っていたのでまず何かと思って繰り出す。
筋一つ向こうの「森冶」へ。一見さん。大将出来上がっていて、私も飲んでしまい、2千円で和んだ時間を過ごさせてもらう。風呂に入ったらそのままバタンキュウ。
六時に起きて〈原爆忌〉をやる。
申し合わせは〈井筒〉に半能〈石橋〉。脇の宝生欣哉氏と私が東京組。面白いもので申し合わせのやり方に少し習慣の違うところ有り。私は両曲とも副地を、ありがたいこと。
お昼に能楽堂となりの「・・・」のうなぎのお弁当。
帰り新幹線は「ひかり」。「のぞみ」は速すぎる。ひかりも速い。中で書き物はなかなか厳しい。〈高砂 八段の舞〉の型付けと〈原爆忌〉節付の清書やれるだけやる。東京に着いて三菱さんのお稽古、少し早かったが行って最後の仕上げをして、もう一度東京駅へ出て荻原さんに〈原爆忌〉渡す。アア、ホッとする。
稽古少し早く終えて、前回できなかった「暑気払い」。美女4人と。先に帰らねばならなかった男性会員がまことに残念そう。明治安田生命のB2Fの焼き鳥屋さん。なんか気をつめたせいか胃があまり動かずビール一杯とお酒一杯だけ。だけど稽古だけでなくこういう談笑の時間、いいよ。ごちそうさま。
(今日に戻って)8時過ぎにソフト娘帰還。満塁のチャンスが二回もあったのに東京女子体育大学に負けたらしい。ではご飯にしようかと言った時、突然大爆音!みんな外に飛び出す。わあ花火だ!座間キャンプの盆踊り大会の花火。すぐそばの土手の上に御近所の人たちが集まってくる。来年は焼き鳥とビールの屋台でも出そうか。
この前「笛市」を見た方が秋の響の会公演を申し込んでいただいている。真に有難い。 |
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〔06/08/10〕超いい天気 快晴 朝6時からミンミン オヤ誰か朝帰り |
【066】 |
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朝、口笛が聞こえる。アアとなりのオカメインコ。セミも鳴きだした。バナナヨーグルトを食べていると約一名御帰還。空手娘が夜行で。松山へ合宿に行っていた。松山から夜行で甲子園に行き、大阪のマンドリン娘と昨日の高校野球を見て、また夜行で帰ってきたらしい。若い!
入れ替わりにソフト娘が東日本大会とて花巻へ出かけていく。花巻は行きたいところだが、残念ながら予定が・・・。
蓮太郎と宮沢賢治の記念館などを訪ねたことあり。もう10年以上前か。「ミセス」の取材。親子で旅するという企画。妻と女の子達も同じように、これは「玉原(たんばら)高原」へ。いい写真あったよ。
あれから「石っ子蓮さん」だ。
10時から座間のお稽古。あさって謡と仕舞の入門講座を一般の人募集して有り。20名ほどの応募アリとの事。さあたいへん。
この前美濃加茂市でのワークショップは三日間仕舞の「屋島」。子供の参加3人とお母さん1人は「土蜘蛛」を。全然やったこともない人でしかも実際にやるんですかという人も有り、みんな大変だったろうが、楽しい三日間。またやりましょう。こちらの力にもなりますから。本当は能の身体の使い方の基本がわかってくれればと思う。それが実際の普段の生活に随分役に立つと思う。美しい生活を!
昼は三輪そうめん。カツオとシイタケのだし。玉葱にあぶらげ。シソにミョウガ。柚子胡椒。
さあ出かけよう。まず横浜で使った面を多田先生宅へお返しし、京都へ。明朝、大江能楽堂にて来週土曜日安曇野(明科)である〈井筒〉と〈石橋〉の申し合わせ有り。行き帰りに〈絵師〉をやろう。今夜は〈原爆忌〉をやろう。アア、型付けも一つ書かなくちゃ。
明日は帰って三菱さんのお稽古へ。東京駅からすぐだからいいよ。
合宿帰りはスヤスヤ。大炎天下、炎熱の東京へ。炎熱ながら寒さもある都会へ。ここは谷戸山からの風涼しく、もちろんひなたは暑いがうちは冷房なしでいられる。冷房のない幸せ。さあ帽子をかぶっていこう。 |
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〔06/08/09〕ナガサキ61年 台風7号来る |
【065】 |
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去年の今日は浦上天主堂にいた、暑い一日。今日は雨。
姉の手術に立ち会う妻を送り出し、練習に行くソフト娘を送り出し、パンツ一丁で歯を磨いていたらピンポーン。宅配便、干拓のマモルおんちゃんより玉葱(佐賀白石名産)。こりゃ上等バイ。インターハイ、ソフト女子は佐賀女が優勝している。
9:30歯医者。次の手術は14日に。
歯医者さんの受付には鷺草の鉢。帰り道、ヘクソカズラが咲いている。工務店の軒に葡萄が色づいている。タッチャンがサッカーボールのリフティング。続くね。お母さんが道を掃いている。迷い犬の白いのがタッチャンちに来て、飼いそうな。
あ、うちに百合が咲いていた。白の水引が出てきたね。ミントの穂も出たね。伽羅に今年は実がたくさんついて、はじめは緑の硬い実がはじけて赤いグミのように。かわいい。おいしそうだがダメ?毒あるかも。もしかしたらこれは「イチイ」というべきものかしらン。今度西村さんのやる〈通小町〉に出てくるよ。木の実の段の中で「櫟(いちい)、香椎、真手葉椎、大小柑子、金柑・・・」。
さて今日は青山稽古日。この前出来なかったから、みんな気合入れてくるだろう早目に行こう。
昨日は横浜飛天双○能。来年の〈横浜三時空〉の製作過程報告をする。
多田先生御夫妻もみえる。その多田先生ご所蔵の面4面を見せながらあらすじの説明、そして部分的演奏(私の謡と囃子方)。太鼓と笛だけの登場楽の実験。OK。能は長谷川君の〈養老水波の伝〉。少し短縮形。
私は地頭。少々こんにゃろうと思って謡う。失礼しました。
帰りに横浜駅から23:20帰るコール。「あ、しまった、なんか食べるの忘れてた。」 楽屋の弁当も食べなかったし、打ち上げ(シテの長谷川君につい「あそこがこう、どこがどう」。おいおい先輩面はいかんぞ、恥ずかしいぞ)でもビール少々だけだった。ああ。帰って0:30、ナスの肉まき、シソ巻、かぼちゃと鶏肉と玉葱としいたけの煮物でご飯。こんな時間に食べてるから中性脂肪だよね。しかも早食い・満腹。
そう、昨日朝は小田急線大雨で30分以上遅れて、杉並の舞台にて〈原爆忌〉の稽古、少々遅刻。去年の本に少し改訂版。やり方がほぼ確定する。(もう一度本の整理を私が担当する) 次の稽古は本番をするシアターχで、17日に。
それから青山によって、ベケットの稽古。10月にやる分。ただ四角な舞台を4人で歩くというもの。法則あり。試しにやってみる。さてどうなるか。
それから横浜へ。渋谷から湘南ラインのグリーン車でちょっと一息。
まあ予定としても、双○能が終わってちょっと一息かな。
さて出かけよう。雨は上がっているね。いやまた降ってるよ。アア、一つお弟子さんに書くと約束した型附けまだ出来てないよ。ごめんなさい。書いて送ります。 |
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〔06/08/06〕ヒロシマ61年8:50 炎熱 |
【064】 |
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もうすでにこの時間その日、灼熱のヒロシマだったのですね。
今日は青山稽古日、その前に「原爆忌」の本を整理するべく青山へ行こう。
玄関で「今日は直撃だから帽子をかぶって行った方がいいわよ。」確かに太陽がすでにギラギラだが・・・。小田急線玉川学園を過ぎたあたりに赤い百日紅の並木アリ。夏の夏。
青山に着いたらなんと事務所の手違いにより今日は稽古日ができない。もう気の早いお弟子さんは来てしまっている。暑いところをせっかく来ていただいたのを申し訳ないが帰っていただく。何か穴埋めを今度・・・。
明後日の横浜双○能での〈横浜三時空〉の整理をしてから〈原爆忌〉の本にかかる。榮夫先生とも相談。できるだけやって後は明日また。
姉さんのお見舞いに行っていた妻と代々木上原から一緒に帰る。癒着の手術今度あり。わたしも昨日お見舞いに。
昨日は青山で西村さんのお弟子さんのTさん(日本語教授)からのご紹介でS氏(オーストラリアよりいらして日本でお仕事。日本語ぺらペーら)ご夫妻(奥様はおしとやかな日本の方)にお会いする。カレンさんの稽古のとき以来宿題の羽衣の仕舞の型附けイングリッシュ。早稲田の一人の学生が作ってくれて蓮太郎が少し手直ししたものを土台に。なかなか面白い作業になりそう。よろしくお願いいたします。
私も実はこの前の健康診断でイエロウカード三枚切られる。肝臓と大腸と中性脂肪。月末に大腸の内視鏡の予定。
夜中の飲食はなるべく避けよう。今10時過ぎさあビールをせいぜい一本にしておこう。(このところビールはキリンの発泡酒「円熟」)
ソフト娘が帰ってきて今日は紅白試合だったがホームランを打ったらしい。甲子園では横浜が負けている。また書いてしまうが去年の厚木商業ソフト部の春夏(選抜とインターハイ)連覇はすごい事だったんだなあ。なんせ彼女達は365日の内、休みは一日だけだったからなあ。俺も負けないよ。 |
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〔06/08/01〕客人あり おやすみなさいのあと午前一時に包丁を研ぐ |
【063】 |
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ソフト娘の先輩二人、今日の東海大学との試合に備え(所沢在住。ここから東海大学前は近い)宿泊。昨夜青山の稽古から10時半過ぎに帰ったら前に駐車場で花火の最中。それから素振りをやってた。いい子達だよ。よろしく、また来てください。朝7時出立。おかげで2階がきれいになっている。
朝涼しい。え、もう八月一日だよ。ムクドリたちが電線にたくさん。
しみかん日記「おかげさまで一周年」のロゴ出現。「米久の晩餐」から一年か。まことに、おかげさまで、有難うございます。今年も虫干しの打ち上げは米久だったのに「笛市」の稽古で行かれず。丸山さんすみません、御無沙汰してます。いつかうかがいます。「紅白の水引」、今年はまだ赤だけ。その代わり今年は「物忘れの花」をたくさんいただいております。おかげで頭の中真っ白。ははは・・・。
山芋のつるががんばっていろんなところに延びているが、葉っぱは少々虫食い。
朝日新聞朝刊の天声人語に土曜日の長崎の国際平和シンポジウムのこと。(私はこの前「穐吉敏子」さんと書いたが「秋吉」さんでよかったんだね。)シンポジウム自体は(元外務省も元ホワイトハウスもあり)興味深いものであったが、林さんの話も、秋吉さんたちの演奏もよかったが、物足りないものが残った。
私は時間を勘違いして行ったらもう伊藤市長の挨拶が終わって第一部の林さんと二人の高校生の話の始まるところ。会議場二階の傍聴席へ。空間が気になる。テレビクルーが邪魔。ジャズの演奏中に新聞のカメラのシャッター音邪魔。本当にここで何かを作ろうとしているのか。ここから本当に発信しようとしているのか。もしかして紙面に構成したら、あるいは映像に編集したら、それで何か形になると思って、それでいいのだと思っているんじゃなかろうか。
?!
今日はこれから出かけて、1時より青山で東洋大学のワークショップの打ち合わせ。(先生方がみえる)今日6時半から富士高校の同期会の打ち合わせ。銀座・時事通信のラウンジにて。私は幹事ではないのだが今度10月にある同期会で何かやってくれないかなということで、いそいそ。明日から3日間は美濃加茂市で榮夫先生たちと能のワークショップ。日記はしばらくまた書けないか。
そうそう、長崎のシンポジウムの前は空港から松山町の原爆投下点へ。ドピーカンの空にもしかして、B29が飛んできそうな・・・。私も去年被爆者の霊になった身だ。
セミの声。 くまーぜみのなきよっととですよ。浦上天主堂へ。平野神父様に御挨拶。被爆のマリア様に御挨拶。天主堂の建物の中右横に小さい聖堂あり。是非被爆のマリア像をご覧あれ。〈長崎の聖母〉の東京での再演をそろそろ考えようか。
シンポジウムのあとこの前の〈長崎の聖母〉やもっと前からお世話になっているSさんと会い一献。二献が三献。「能がどんな事をどうがんばっているのかこのところ聞こえてこない」。うーむ。
翌朝6時のミサに出席して(私はカトリックではないが)、平野神父に祝福を頂戴する。8時の飛行機に間に合って、青山へ一度寄って国立の万蔵追善会へ。
故八世万蔵氏(万之丞の呼び方の方がぴったりする)に思いを馳せる。私の独立10周年記念会(私は〈邯鄲〉、子方が蓮太郎)に今の萬先生と万作先生に〈靱猿〉をやっていただいたがその時の猿役は麻耶(空手娘)。この稽古をしてくれたのが万之丞。当時は耕介。才能のある人だった。しかし〈輪蔵〉のアイ狂言〈鉢たたき〉は父上たちの「陰」のやり方のほうが素敵だったよ。特に追善会では。
〈輪蔵〉の作り物を後見として舞台に出したが、相棒の長山桂三のつかまり立ちをしだした息子の名は「凛三」。
さあ出かけよう。涼しい八月を。弱冷房車に乗って。 |
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