08:00 |
 |
仲村君(新聞社勤務をやめて琉大医学部在学中、北谷在住、母君が読谷の出身とか)の迎え 高速道路を使って中部読谷村へ |
09:00すぎ |
 |
米軍上陸地を眺める丘の上 泊城 1945年のその日には見える限りの海に米軍艦艇が 途中ススキあり(井筒に使えるよ) |
10:00 |
 |
山城さんと落ち合いその案内にて集団自決のあった「チビチリガマ」へ
中には入れない 外も厳しい 重い 上に上がって山城さんの持ってきてくれた塩で清める |
10:30 |
 |
読谷村役場の小橋川氏の案内にて(米軍の通信施設 通称「象の檻」にて落ち合う)1000名の人が全員生き残った「シブクガマ」へ
ここは懐中電灯等あれば中へ入れる すべるので靴注意
読谷村では戦争での死亡率20パーセント台(他の町村では40パーセント以上) それはもうすでに日本軍がいなかったから! よかった
米軍は地形を熟知していた 住民保護のための専門兵員1000名(ハワイへ移住していた人たちなど)もいた 米軍上陸のここから本島の南と北で大きな差
ガマから上がって来たればサトウキビ畑の中で今年初めて聞く鶯の声 しかし現在なお米軍の占拠多い |
11:00 |
 |
生き残ったフクギへ 沖縄では象徴としての樹木は松ではなくこのフクギか |
11:30 |
 |
嘉手納の道の駅 展望台にて嘉手納基地の滑走路見る 偶然仲村君の新聞社時代の先輩又吉氏に会う その望遠カメラにて配備されたばかりのF22四機見る かつてベトナム戦争当時にここで見たB52思い出す |
12:15 |
 |
首里へもどり 学校のそばにて仲村君と沖縄そば |
12:40 |
 |
授業へ 三コマ 去年の学生も少し来てくれ地謡を
最後に面をかけてみる 思い切った演技を! |
17:30 |
 |
終了
休憩時間に佐藤太圭子先生と新作能について話す ご主人の後輩がひめゆり部隊の方々の聞き取りを映画に作っているとのこと やがて見る機会を
また歩いて帰る
今夜はホテル少し上の「エグジットラウンジ」にて静かにワインとステーキ グラッパで〆 |