響の会〔清水寛二・西村高夫〕
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●2007年02月
〔07/02/21〕【沖縄日記】7日目 【120】
09:00 仲村君迎えにきてくれる チェックアウト荷物送り 
首里の「琉染」へ 染付け工房など見学 琉舞の衣装などもたくさん持ってらっしゃるので必要なときはどうぞとのこと
11:00 第11管区海上保安本部(以前私の父が何回か赴任していて世話になったらしい)近くの「宝隆軒」へ 幕の内を食べる おばちゃん元気
12:45 ANA126便 仲村君送ってくれてありがとう
手荷物検査場の前に芸大四年生の大城さんが居る この前のコンベンションでは新作組踊り「黄金のザン」の孝行息子(一旦酒と女に迷う馬鹿息子)の役
どこかまた公演に行くかと思って「あれ今日はどこへ行くの?」 
「月のかいしゃ」のMDを渡すために出発時刻のはっきりしない私を朝からずっと待っていてくれたのだった しかもおみやげまで ありがとう 無事卒業予定おめでとう
機内席は二階の窓側 ほぼ満員なのに私は三人がけに一人 オリオンビールで沖縄と沖縄の人たち、そして「沖縄の新作能の出発」に乾杯
〔07/02/20〕【沖縄日記】6日目 【119】
06:00前 起床 沖縄は日の出遅い
09:40 登校
大湾助教授とユタの話 すごい事例が沖縄にはゴチャマン 高橋恵子氏著「沖縄の御願言葉辞典」ちょうだいする
10:20 せっかく早く来たのに興味ある話のおかげで授業に遅れる(沖縄時間というものあり)
さあ学生諸君は憶えたかな ありゃ大丈夫かな 今日発表会やるんだよ
さああともう少し
12:00 芸大の前の「あしびゅうなあ」にて学生諸君三人と昼食 私はゴーヤチャンプルー定食 こんなにいっぺんにたくさんゴーヤを食べるのは初めてというくらいたくさん しかもとても美しくて美味い
13:30 少し自習の後またやってみる (さあ稽古と思ったらあら扇がない あ しまったチャンプルーのテーブルの下だ あわてて取ってくる) 
だんだんできてくるぞ もう少し
16:00 あっという間に発表の時間に プログラムもすって学内にも貼る
於 音楽棟4階大講義室  「羽衣」 
シテ 名嘉ちはる ワキ 上間友美  地謡(4年生) 飯島香織 上原美希子 大城淳紀 与那覇桂子
まず舞台の上で装束を二人につける 
ワキ 段ノシメ 白大口 萌黄水衣 中啓
シテ 金摺箔 赤縫箔 鬘 鬘帯 面(若女) 天冠 中啓 (長絹の用意)
短縮版ながら劇の部分、舞の部分それぞれに最小限を備える まずまずの出来か 本邦初演はキリのシテとワキの合舞
二年間の蓄積あってできたこと みんな基礎があるからできる
謡には苦労する セリフに組踊り風の抑揚があってこれは沖縄の能「羽衣」になっている これもなかなか面白い
来年は今までやっていない「序の舞」に挑戦したい
みんなまたやろうね 新作能にもお手伝い頼むよ
島すしの常連の越さん夫妻見に来ていただく また大将の差し入れあり ありがとうございます
19:00 片付けて荷物も明日送っていただく手はずにして6月出産予定の「ケイちゃん」と打ち上げ会場へモノレールで 国際通り おう、ケイちゃんの彼がステージで唄っている ここでも働いていたんだ この前牧志の市場の三線屋さんでバイト中の彼に会った こちらも「身重」100k とてもいい唄をうたってくれる 「月ぃぬ美しゃ」をリクエスト これは実は八重山の民謡(子守唄) 彼は与那国の出
沖縄で「どこ」は大事なことのよう 新作能の中で「どこ」というをどうするのか
24:00 いろんな人が集まってくれたがそろそろ閉店 また会おう みんな元気で
〔07/02/19〕【沖縄日記】5日目 【118】
08:00 仲村君(新聞社勤務をやめて琉大医学部在学中、北谷在住、母君が読谷の出身とか)の迎え 高速道路を使って中部読谷村へ
09:00すぎ 米軍上陸地を眺める丘の上 泊城 1945年のその日には見える限りの海に米軍艦艇が 途中ススキあり(井筒に使えるよ)
10:00 山城さんと落ち合いその案内にて集団自決のあった「チビチリガマ」へ
中には入れない 外も厳しい 重い 上に上がって山城さんの持ってきてくれた塩で清める
10:30 読谷村役場の小橋川氏の案内にて(米軍の通信施設 通称「象の檻」にて落ち合う)1000名の人が全員生き残った「シブクガマ」へ 
ここは懐中電灯等あれば中へ入れる すべるので靴注意
読谷村では戦争での死亡率20パーセント台(他の町村では40パーセント以上) それはもうすでに日本軍がいなかったから! よかった
米軍は地形を熟知していた 住民保護のための専門兵員1000名(ハワイへ移住していた人たちなど)もいた 米軍上陸のここから本島の南と北で大きな差 
ガマから上がって来たればサトウキビ畑の中で今年初めて聞く鶯の声              しかし現在なお米軍の占拠多い
11:00 生き残ったフクギへ 沖縄では象徴としての樹木は松ではなくこのフクギか
11:30 嘉手納の道の駅 展望台にて嘉手納基地の滑走路見る 偶然仲村君の新聞社時代の先輩又吉氏に会う その望遠カメラにて配備されたばかりのF22四機見る かつてベトナム戦争当時にここで見たB52思い出す
12:15 首里へもどり 学校のそばにて仲村君と沖縄そば
12:40 授業へ 三コマ 去年の学生も少し来てくれ地謡を
最後に面をかけてみる 思い切った演技を!
17:30 終了
休憩時間に佐藤太圭子先生と新作能について話す ご主人の後輩がひめゆり部隊の方々の聞き取りを映画に作っているとのこと やがて見る機会を
また歩いて帰る
今夜はホテル少し上の「エグジットラウンジ」にて静かにワインとステーキ グラッパで〆
〔07/02/18〕【沖縄日記】4日目 【117】
09:30 又吉先生より電話 平和祈念堂へお連れしようかとのこと ユタや霊の話
10:00 山城さんの迎え(前任の助手藤田さんも一緒) 車の中で「月のかいしゃ」聴く 多田先生の沖縄の新作能の第一稿の中にこの唄有
10:30 国立劇場おきなわ見学 企画制作課の安里梨律子さん 舞台技術課の丹治薫氏に色々説明を受ける
11:30 牧志の市場 旧正月のため公設市場はお休み アジアの市場! 残念
花笠食堂にて昼食(私はソーキそば)
12:40 また授業に遅れる
最終日の発表会の演出ほぼ決まる 「羽衣」 能の劇と舞を体験するべし
17:00 また早く終わる(学生の美術卒業展見学のため)
私もその展覧会少し見て帰る
また「島すし」 お客の越さん夫妻 ギャラリーを開店予定 20日の学生の発表会にいらっしゃるとのこと
バタンキュー
04:00 夜中に目が覚めてこれを書く
今回目に付いた自然 花では桜、朝顔、そして玉稜の外の石塁の上には「いずれがあやめか杜若」 アイリス?(もう迫ってきた銕仙会での「杜若」をフト思う 今回はぜんぜん自分の稽古できず 何もそのものを稽古するのが稽古とは限らず 自分を深めるべし) 鳥ではツバメ、桜にメジロ、名前のわからぬ鳥たち 風は強からず ちょうど月はなし
〔07/02/17〕【沖縄日記】3日目 【116】
10:15 池田氏の迎え 集中講義に来ていた三浦文子氏とともに与那原のユタ玉城氏宅に向かう
11:00 玉城氏宅 早速私を見てくれる お金に縁がない 計画性がないが大丈夫とってもいい人だとのこと「虹が見えた」 よく歩くなど体を鍛えること 体重を減らすこと
沖縄の新作能来年上演 大丈夫 三人の中心人物 スタッフ スポンサー
蓮太郎のこと 一番に「寝坊」 だが大丈夫 しっかり生きていく
12:40 午後授業開始にまた遅れる 昼食抜き
17:00 夜舞台がある学生がいたので少し早めに終わる
歩いてホテルへ帰る
「島すし」へ 適当に刺身から煮物、焼き魚、寿司出してくれるのでバランスよい食事とうまい泡盛 客同士の会話 大将は宮古出身
早稲田観世会OB仲村君と連絡を取る (19日に読谷へ)
蓮太郎にうちのメールを転送してもらう(N氏よりボストンのワークショップ後援OKの連絡 有難い)
〔07/02/16〕【沖縄日記】2日目 【115】
9:00過ぎ 池田氏の案内にて南部糸満市へ。
・沖縄平和祈念堂…所長比嘉正詔氏 琉舞や色々なコンサートも ここでの上演も
・平和の礎…一名一名の名が刻まれている その尊い命が今の平和と作っている 居るだけで泣けてくるところだ いつか全部の名前を見なければならない ここから主人公の名前・地名を探そう
・平和記念資料館…主査福永隆次氏の案内 前面に見える美しい海と美しい建物と沖縄戦の悲惨
・沖縄県…長崎県・市もそうだがきちんとしたものを持っている そうでなければそうは復興しないよ 権力機構でなく人というものを愛するその人々
13:30 那覇にて通信会社 T氏 ユタの話し 与那原の玉城氏を推薦 明日の予約を早速取ってくださる 池田氏とラーメンにて昼食
    別れて 那覇市歴史博物館へ 那覇市制75周年 詩歌集 「那覇を詠う」購入
    バスセンターよりコンベンションセンターへ
18:00 浦添市ライオンズクラブ30周年記念事業 「琉球舞踊かりゆしの舞」 県立芸大の学生の公演(今日はこれのために授業はお休みにした) こういうことをやっていただけるのはまことに有難いことなり みんながんばっていたよ 少し演出上気になったところはいくつか有り
 裳のような「カカン」(プリーツスカートのよう) 横浜の能に使えるか 
 空手の演舞あり なかなか 全日本の人三人
〔07/02/15〕【沖縄日記】1日目 【114】
10:35   ANA125便 朝起きて荷物をまとめる 慌しい事おびたたし 約3時間のフライト その時間の覚悟がなく乗った身には結構長く、海を見て何か切ない思いになる 西風に遅れて到着
14:20からの授業にはまたもや遅刻。まともに初日着いたことないね 今日は二コマ 三年生二人 九月に続いて 前年度履修した四年生はもう卒業だが手伝いに(遊びに)来てくれる予定
17:30   又吉静江先生のお世話にて学長・学部長にご挨拶 多田先生作の沖縄の新作能「沖縄残月記」の話する
18:00
(に遅刻して)
  「ぱやお 泉崎店」(店長 真栄田貞子さん)にて 
前副知事K氏 テレビ局のT氏 多田先生の御弟子T氏の友人池田氏の設定 新作能の話 ユタの話 話しはずむ 池田氏夫人の車にて送っていただく
    今回の宿泊は都ホテル 1326号室 暖かいので空調使わず 部屋の中ではほとんど裸なので浴衣代まけてもらおうか これから毎朝同じメニュウの朝食
〔07/02/12〕アニータさんにスウィトピィ 我家の梅も五輪、六輪 【113】
 今日のゴミ出しは「缶・ビン・紙・布」。休日もやるようになって感心感心。
 うちは紙、布とアルミ缶は町内会の資源回収で出すことにしているので、実際はアルミ以外の缶とビン(一升瓶は酒屋が持って帰る)だが三袋持って行く。
 「誰だこんなに飲んだのは!」
 朝食はいつもはパンが多いのだが、今日は炊き立てご飯にワカメの味噌汁。一昨日の私の分だったブリの照り焼き(境港からの天然ブリ。氷見産のはやはり高いらしい。銕仙会の面に「氷見」作の「蛙(かわず)」有。名品なり)。明太子に・・・。おかわりをしたご飯のお米は、奈良県御所市の従兄弟が送ってくれた「叶田(はんだ)米」―大和のコシヒカリなり。
 パンも食べたくなるねとかみさん。パンと言えば代々木八幡に住んでいた頃よく食べた、デンマークパンの「イエンセン」のケシの実パンとシナモンパン。この辺にもああいうパン屋さんがあったらねえ。
〔07/02/06〕柏崎に雪は降りおるや 放射能は? 【112】
 今日は稽古能、〈柏崎〉の古式(世阿弥の自筆本を参考にした演じ方―小書〈思出之舞〉に近いか)と〈小鍛冶〉の黒頭。
 この〈柏崎〉の思出之舞は寿夫先生のものを学生時代に銕仙会の例会で見て感激した思い出あり。すごかった。地謡もすごかった。
 それでそのすぐ後で、つい日本女子大の能のサークルの子から「何か次の自演会に出す仕舞でいいのがないかしら」と聞かれて、〈柏崎〉!と言ってしまって、結局その地謡を謡うことになり、長くて難しい「二段グセ」に四苦八苦した思い出あり。当時日本女子大(師範は野村四郎師)や跡見短大(寿夫師)の仕舞の地謡をよく謡わせてもらったが、早稲田でやっているものよりずっと難しいものをやっていて、ヒーヒー言ったが面白いことであった。柏崎の君は九州佐賀は鳥栖の人であったが如何お過ごしであろうか。
 新潟柏崎は富士高時代の友人広瀬君のふるさと。一緒に鈍行で行ったね。青海の海岸で撮った写真があるね。今は茨城在住、元気でやっているだろうね。
 柏崎は原発(うその報告は遺憾なり。)が出来て、変わったろうね。
 ああ〈柏崎〉の能では夫が鎌倉で客死し、息子が出家遁世して、柏崎から善光寺へ探しに行くんだ。古式のセリフでは内陣に入り込んだ母親の狂女に対して僧がここは女人禁制だから「出でよ出でよ!」と迫る。しかし母は強い。女人こそ如来の慈悲を受けるものだと逆に迫るのだ。さて「大臣は」何と返答するや。お、いや「僧は」、であった。
  今回は山本順之師、三月にNHKの録画有。響の会でもこの小書無しではあったが演じていただいている。

 夜、赤羽の稽古を終えて帰り、駅から歩く。今日はマフラーが暑い。踏切を越えたところで「クサヤ」を焼くにおい。おお、いいにおい。ああ、スイスのホテルで焼いて大騒ぎになったのは野村耕介。今度3月に新島でワークショップ有。本場のクサヤに期待。
 蕎麦屋の大菊さんの前で「モンチャン」のお散歩と出会う。もう目が見えなくて音と匂いで歩いている。ご主人も時々散歩させていらしたが(とてもその姿が風情のあるものであった)、去年秋に急に亡くなったとのこと。この前かみさんとお線香をあげに伺った。奥様はお茶の先生。お寺の幼稚園でも月に一度教えているとのこと。ご主人の亡くなった後でボーっとしていて、間違って一番いいお茶を持って行ったら、園児たちがみんなおいしそうに残さず飲んだそうだ。4月にはアメリカのボストンの日本語学校の幼稚園児たちにもワークショップ有。でんぐり返りの練習しとこうか。
 そうこの前の小学校のこと、書いておかなくちゃ。バット、ベリイスリーピイ、ネックストタイムね、グッナイ。
〔07/02/02〕♪若ーかく明るい歌声に 雪崩はー消える 花も咲く 【111】
 朝8:30ゴミ出し。生ゴミは火曜と金曜。野菜のくずなんかは庭に埋めちゃうからスーパーの袋ひとつ分あるかないか。今朝はちびて鼻緒もとれてしまった下駄を名残惜しくも出す。これはいつか京都に雪駄で行ったとき、鼻緒が切れそうになって、青木さんからこれはもういいからと頂いてきたもの。それからでもずいぶん履かせてもらった。ご苦労様でした。
 ゴミの集積所は座間中学校の通りの向かい。出して帰るときはうちに向かって西に登る道。一番向こうはがけになって切れていてその向こうに、丹沢の雪をかぶった峰々が見える。短い時間だが、そのまるでアルプスに向かって歩みを運んでいるような気がする、なんだかうれしい、すがすがしい時間。
 ♪青ーおい山みゃーくー 雪割りざーくーらー 
 空の果てー 今日も我らの ゆーめーを呼ぶ

 吉永さんはお元気かしら。JRの駅ではいつもお見かけするけれど、たいていお一人でどこか淋しそう。今度温泉に誘ってください。いつでも参ります。

 昨日はうちの子供たちが通っていた座間市立相武台東小学校の5年生131名の諸君に能のお話と実演。総合学習の時間。体育館の真ん中を舞台にしてその周りを取り囲んでもらう。幸い暖かくてよかった。卒業式なんか寒かったこと有。
 去年も早稲田の観世会のメンバーに手伝ってもらったが今年も。去年は卒業する三人娘だったね。東京にいる子は会う機会もあるが信州諏訪に行ったのはどうしているかい、元気にやっているか。
 今年は卒業予定の「お姉さん」二人と2年生の「お兄さん」二人(約一名大幅な遅刻で気の毒にみんなの真ん中で大目玉を食う)。
 そして特別参加に「うちのかみさん」。この人は5年生の子供たちと同じねずみ年で、一番元気か。最初少し体や気持ちをほぐすのをやってもらう。「象さんのぶらぶら」や「がっこげっこがっこぴょんぴょん」?などなど。途中でも宮沢賢治の「雨にも負けず」。

 ここまで書いて出かけた。今日は明日の国立での「若手能」の申し合せ。〈屋島〉シテ長山桂三。すっかり10時からだと思っていたら1時からだということを昨日発見。1時からは青山でお弟子さんたちの稽古の予定だったので連絡網を回して少し遅くしてもらう。結局3時過ぎから始める。9時に終わってかたづけて表参道の駅を9:40頃、相武台前駅降りて歩いて変える途中まだビールの自動販売機やっていたからまあ11時前だったか(もしかして買ってあるかと思って買わずに帰る。正解。しかも湯豆腐にお銚子一本付いて。) ああ、満月だ!

 ♪月がとっても青いからー とーまわりしてかー・・・

 いやいや

♪腹がとっても減ったからー とーまわりしないでかーえろ

  ハハハ腹には月が、いや肉が、つきもの。
 閑話休題―久しぶりに出たね、これは高校時代から大学のときもやった詩の同人誌の名前にもした言葉―それはさておき、小学校のこと、中身を書いておかなくては・・・。しかし夜も更けたり、明日のこともあれば、続編をおまちゃあれ。
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