響の会〔清水寛二・西村高夫〕
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●2007年04月・05月
〔07/04/19-20〕しみかんのボストン日記 其の弐 ─ そして帰來荘 【129】

◆4.19
 笠井氏帰国。早朝なのでお見送りは出来ず。気をつけてスーツケース無くならない様に!ああ、彼は持ち込み荷物だけだった。
 11:00 西村氏とホテルの食堂にて始めて朝食。ヴァイキング。ベーコンにソーセージに卵。緑の野菜なし。焼きトマトあり。
 12:00 片桐氏の迎え。秋のボストン美術館でのワークショップ決定の知らせ Northeastern Universityへ。
 13:30 ワークショップ開始(通訳はBUの学生の臼井さん)階段教室 はじめの神舞の途中ですぐ後ろを黒人の親子が横切る(これを書き始めたのは実は21日の夜、あれ、ここはどうだったか。内容がそれぞれのところで少しずつ違うのだがどう違ったのか、だんだんわからなくなってる・・・。)
 そう、印象的なこと。遅れてきたでっかい黒人の親子が(左のドアから入ってきて)、どうするのかと思ったら、私の舞っている教室の前のスペースの後ろを通って、ほとんどぶつかりそうになって右側の端へ行って二列目の席に座ったんだ。さりげなく舞ったつもりではあったけれども、その場面が印象的で、それからどうしたっけ?(後の内容がなかなかはっきりしない。全体にはいい感じだったよ。)その親父さんは後で何か能の演技のことでいい質問をしてくれたよ。そして帰り際に握手をして、パンフレットにサインを求めて(子供のも)帰った。来るときの飛行機で見た黒人の親子の映画を思い出す。
 それから、通訳の臼井さんに何度も「もっと大きな声で」と言ったこと。ワイヤレスマイクをしていたんだが、いかにも口元の声。しかもどう訳すかで緊張しているから口ごもって、結果私に「もっと大きな声で!」みんなの中で気の毒ではあったが、声というものを出すことがどんなことだか、その材量にさせていただいた。
 質疑応答ではそのクラスの二世の男子が進行・通訳。ああ、これが爽やかなアメリカの男子学生。サンキュウ!
 そう、始まるまで〈杜若〉のDVDを流しておいたんだ。それをそのまま忘れて15:00 終了 すみやかに移動を!
 16:00 Tufts University ワークショップ開始(会場に10分前に到着急いで準備 取りあえず「一石仙人のDVDを流しておく 通訳は緊張気味のゆきえさん)
「神舞」
〈隅田川〉キリ
〈羽衣〉装束つけてキリ
 質疑応答 どこでも結構的を得た質問やその答えからまた幾つかの能の特色をしゃべることの出来る質問が来る
 17:30終了予定が少し延びる
 19:00 中華料理「常熟」にて、タフツを主に各方面の日本人の先生方との夕食会 十余名円卓を囲む。楽しい時間をすごす。また来る機会を得そう。
予定表では「常夏」となっていた。何回か移動中に「常熟」の看板が見えていたので「ああ、ここだったんだ」。我が家のマンドリン娘と同じ名の「伽耶」というお店も発見。

◆4.20
 ボストン大学 ワークショップ 「サムライ」を学んでいるクラス
 では修羅物をやりましょうと、仕舞〈敦盛クセ〉と〈屋島キリ〉。つい「花鳥風月」という言葉を出してしゃべり始めてしまい、通訳の臼井さん(彼女はここの学生)困った様子。すまないね。こちらもちょっとそれに時間をとられすぎてしまった。
 羽衣の装束付け
 質疑応答 授業時間一杯 先生も学生諸君もこの教室も次の授業がある。
 ああ、秀吉のことをしゃべりそこなった。おお一石仙人の事も(ここから後は実は帰りの飛行機の中で書いている。アリューシャン列島にかかってから。高度35000ft、対地速度573マイル、外気温−60度、あと4時間ほどか。もうすでにボストンの日々がずいぶん昔の事のようになって、後半は忙しくてなかなか書けなかったが、さて思い出すかしらん。と書き出したが、やっぱり何時からどうしたのか予定表を見ないとまったくわからない。それはどこに入れたっけ。ああ、今はほかの作業をしようか。向こうでやるべき課題だったのは〈昭君〉と〈七騎落〉・・・)。そしてついにこのボストン日記に強制終了のときが来た。連休に書こうなどと甘い見通しだった。書くべきことはもう書けない。ボストンの後半のことは、ワークショップのパンフレットを見ていただきたい。子供たちのことも書きたかったが、機会があったら。

--------
 今日は5月8日、〈昭君〉の稽古能あり。そして午後〈横浜三時空〉の稽古の予定だったが中止にしていただく。
 「帰來荘」 荻原さんの山荘。この2日に逝ってしまった荻原さん。
 亡くなった八王子の病院から、3日朝、ご姉妹の判断で荻原さん自身の、住民票もここにあった穂高の山荘へ遺体を運び、そこでの通夜。荻原さんの愛した静かなこの自然の中に、「帰り来たって」。
 ストーブに薪を燃やしながら、この炎や線香の煙は、絶えず揺らめいて、しかし、荻原さんの体はまるで動かないのだ。朝がやってきて小鳥たちが鳴き始めてもまるで動かないのだ。まるで息をしていないかのように、まるで痛くないかのように。しかし、・・・。
 お葬式の写真は、響の会通信の時のをデータで送ってもらって、使わせてもらいました。明るくてとてもよかったです。    おやすみなさい、荻原さん。
 そうだ、ボストンで西村さんのスーツケースが出てこなかった時も、荻原さんに電話して、どうしたらいいか聞いたんだ。そしてまた後から荻原さんからも、どうなったかとボストンに電話があった。いつまでも心配をかける子供たちでした。
 「ボストン日記」の最後にはふさわしくないかもしれないけれど、「荻原さん・・・!」

〔07/04/15-21〕しみかんのボストン日記 其の壱 【128】
◆4月15日 ボストンへ
 成田よりユナイテッド航空UA884便14:00発、シカゴ経由にてボストンへ。
 11月の「一石仙人」公演のための事前ワークショップ、計15回へ。
 成田までは結局、相模大野からバスにする。9時発。この重さ(装束一組他あり、自分のパンツは三枚しか入らなかった)では駅の乗り換えはしていられない。
 夜になってから荷物を作り始めたので寝たのは4時ごろか。
 バスの予約もしてなかったので、8時にタクシーを呼んで、(日曜日ですいていたので)25分にバス停に着いたら、バスはあれども人の姿は見えず。
 一番乗りで無事乗り込み、しかも高速もすいていたので、12時カウンター前集合でよかったのだが11時についてしまった。まあ楽に着いてよかった。
 ほへー、しかも飛行機は40分延発。一行は西村高夫・笠井賢一、そして小生。早速ビールにランチ(ヘルシーセット)。向こうで使う携帯を借りる。さて操作がわかるかしらん。
 ユナイテッドは初めて。ありゃ、そうかいきなり昼食だったか。またビール。夜食にカップラーメン。またビール。
 映画を(日本語吹き替え)2・3本見る。このところ映画館に行ってないなあ。新しいのは飛行機で見ることが多いなあ。
 あまり眠れず。夜中?にマティーニを貰いに行ったら(007カジノ・ロワイヤル見たから?)、無くてジントニックを二杯。
 アリューシャン列島の上ごろか、トイレの隣の通路に立ってそれを飲みながらなんだか不思議な感覚。
 〈一石千人〉のせりふ「空(くう)もなし、時も無し。」がフト浮かぶ。
 ビッグ・バンから私は繋がっている。この宇宙の膨張の中に!
 能の構えでしばらく立っている。
 シカゴで、入国審査・乗り換え。ここは晴れている。入国審査に長い列。英語でベラベラ聞かれたら困るなと思っていたら、幸い、「何しにいくの?」「ノウ・ワークショップ」。「どのくらいの期間?一週間?二週間?」「テンデイズ。」 向こうは英語、こちらは日本語?OK。やさしい人でよかった。
 しかし、結構2時間の乗り継ぎ時間があまり残らないほど。ターミナル1のユナイテッドの国内線へ。乗ってみたら西村さんの隣に、肘掛を上げないと座席に入れないような人。飛行時間約2時間。
 私はコトッと眠りに落ちて離陸を知らなかった。途中フト目を覚ませば、下に五大湖のひとつか、美しい景色が広がっている。アリャリャ、しかし雪綿のような雲にすべて覆われてきた。ああ、天気予報のとおりだ。
 ボストン空港は冷たい雨じゃんじゃん。今回のワークショップのコーディネイトをしてくれている片桐夫妻の出迎え。「実現しましたね。楽しくやりましょう。」
 さてここで、後になってそんなに長引くとは思わぬ事件発生! 西村さんのスーツケース(私の唐織も一枚入れてもらっている)が、もうみんな居なくなってしまったのに、ターンテーブルから出てこない! 何とシカゴに残っているらしいとのこと。後の便でついたらホテルに届けてくれるというのでひとまずホテルへ。さあそれが・・・。
 ホテルはHyatt Regency Cambrigde。
 落ち着いたいいホテル。戸や棚や椅子を見れば結構古そう。蛍光灯のないのが落ち着く。キングサイズのベッド。大きな枕が二段重ねで三つ並んでる。How? 私は別に困らないのだが、冷蔵庫はない。一旦荷物を置いて夕食へ。ワークショップの日程に入っているLeslly大学の校舎に入っているビルの日本料理屋さんBlue finにて。私はさば焼き定食。ほかに皆で焼き鳥・肉じゃが・お刺身盛り合わせ・・・。ここはWhere?
 片桐宅(一人住まいのおばあちゃん92歳の一軒家の三階)によって、ホテルへ。無線ランOK。私は蓮太郎のノートパソコンを借りてきた。重いものを持ってきて有効に使えなければその甲斐が。中に入れてきた例の「羽衣イングリッシュ」(仕舞羽衣キリの型付けをサイモンさんと訳したもの)を片桐さんのパソコンへ。今回使うかもしれない。
 時差を足してまことに長い一日。ぐっない!

◆4月16日 雨のボストンマラソン ワークショップ初日
 夜が明ける。冷たい雨と風。ええー、これで走るの!気の毒なり。このホテルにも参加する人が大勢泊まっているらしい。
 朝食、片桐夫妻よりおにぎりの差し入れ。西村さんの部屋で食べて出かける。まだカバンはわからない。
 18:30から1時間一コマと元々の予定表はなっていたのだが、こちらに来てみれば11:00から2コマ。Brandeis University。少し郊外。今日は市内の学校はほとんどマサチュウセッツ州の休日(独立の戦争に関することらしい)でお休みとか(ああそれでマラソンやってるんだ)。
 片桐夫妻の車にて。Brandeis U.のTheater内の教室にて。
 「ああ、このホールも秋の〈一石仙人〉の公演に使えるのでない?」
 一時間目は「鈴木メソッド」を学ぶ人たち。
 鈴木忠志とこう繋がるとは思わなかった。先生はスコットでリア王などをやったことのある人。私と同年。
 私たちも鈴木忠志氏の早稲田小劇場の利賀村での演劇フェスティバルなどでの能に参加しているし、観世寿夫師が癌をおして出たのは岩波ホールでの鈴木忠志演出『バッコスの信女』―「神の誓いの顕れは、急がずされど過たず。人間の心惑いて我執に迷い、神々を敬わぬものあれば神意はこれを匡したもう。ゆるやかに流るる時の歩みをば巧みに秘して、神々は不敬の輩を討ちたもう・・・」。その台詞が久しぶりに浮かんでくる。
 いつかのモスクワでの観世榮夫を団長とする能公演も鈴木氏との縁から。
 はじめに私の神舞(テープにて。水波ノ伝のもの)。
 西村さんの仕舞「屋島」。彼は紋付ないので、洋服。「かえって良くわかるでしょう?」
 実際に動いてみる。カマエとハコビ、サシコミ・ヒラキ、ユウケン・・・。やはりすずきメソッドを実際にやっているだけあって、わずかな時間だが皆動く。
 二時間目は関野先生の日本文化のクラス。
 今度は私の仕舞「羽衣キリ」から。
 西村さんに「羽衣」の装束を全部つけて、同じところを舞ってもらう。
 一人で装束をつけるのは大変だが(少し笠井氏に押さえてもらったり―あっ、まだ!)、基本的に装束をつけるのは楽しいし、能の美しさもわかっていただけると思う。
 少し質疑応答もあってちょうど一時間。
 両時間とも通訳はマシュー・フレーリ助教授。楽しくうまく訳していただいた。現代文学まで講義の由。去年暮れの法政のシンポジウムでお目にかかったプリンストンのトム・ヘアー先生のお弟子さん。まことに世間は狭い。
 終わって学食のようなところで先生方と昼食会。
 結果、西村さんの靴下と笠井氏のコートが行方不明!
 ボストンマラソンでは車椅子部門で男女とも日本人が優勝したらしい。

◆4月17日 もともとの予定は「終日フリー」!?
 朝9:00に昨日のBrandeis U.のChair、ロビン・ミラー女史を表敬訪問。
 関野先生の案内で授業中の日本語のクラスを(突然)訪問。少し能のお話と質疑応答。
 担任の小泉先生はかの音楽学者小泉文夫氏の姪御さんとかで、リチャード・エマート氏とは同級の由。
 まことに世間は狭いのだ。
 ホテルに戻って昼食。鞄はまだ出てこない。
 2:00日本国総領事館へ。
 11月の「一石仙人」公演の後援をして下さる事になっている。どうぞよろしく。
 西村さんのスーツケースのことも聞いてみるが、特別な何か有効なことはできないとのこと。残念。
 3:00MFA(ボストン美術館)へ。
 11月18日にワークショップの計画あり、その打ち合わせ。
 会場は講義室のようなところ。その日はこどもの日?らしく親子連れ対象。50名を1時間半二回。これでほぼ決定。来週正式決定とか。
 日本美術の展覧だけ駆け足で見て帰る。能関係は今回はなかった。
 竹細工の展示、なかなか良い物あり。子供たちのワークショップをしていた。
 空港へスーツケース探しへ。いろいろ手を尽くして連絡しているけれども、ともかく一回行ってみようということになり行ってみる。しかし、手ぶらで帰る。
 市内に戻って夕食は片桐夫妻と五人でボストン名物シーフードレストラン。
 白ワイン。生牡蠣・生浅蜊(普段は食べる西村氏が今日はやめとくと言う)。
 それに私はステーキつきのロブスター!小さいのを頼もうとしたら小さいのがないシーズンだという。まあいいかと思って頼んだら、普段頼んだものは全部たべる主義のこの私にして食べきれない。ああ、このおいしいものがもったいない!また今度食べるぞ!
 こちらでは外に出る時は着物で通している。帯がきつかったんだ?

◆4月18日 お昼はSUPPER UDON 夜はホウレンソウの胡麻和え・・・
 朝食は昨日の満腹。
 まだ寒い雨。それでも少しマシになったのか、前のチャールス・リバーでエイトやフォアのボートの朝練。
 昨日からこの川を見て〈隅田川〉を考えている。カモメも飛ぶ。「あれなむ都鳥!」 
 ちょっとやってみよう。
 ホテルで少し足を引きずっている人、中には一人けんけんの人あり。ははあマラソン参加の人たちか。
 12:00−12:45 Lesiay University
 表現療法を学ぶクラス 約15名(先生方や大学院生も含むらしい)
 まず神舞をテープで。(この神舞はレコードからとったものでゆっくりでやりにくい)
 それから〈隅田川〉の説明を少しして最後の場面、シテの「今一声こそ聞かまほしけれ」からやる。もちろん作り物の塚も子方も鉦鼓も無いけれども・・・。
 それから猩々のキリの仕舞(最後にユウケンの型を入れて)。
 それからみんなで立って、カマエハコビ。そしてユウケン。
 それから「めでたけれ」の謡をみんなで。
 OK!
 この大学は元デパートを買い取って校舎にしている。一回に日本食の食材屋さんや日本食堂。昼食にそのうちの一軒で、スーパーウドン。天麩羅に肉に・・・。時間がないぞ。
 14:00 Tufts University 下見およびホール見学
 少々遅刻。広くて環境いいね。リスがキャンパス内の道路を横切っていく。
 森田先生。また明日よろしくお願いいたします。
 MIT(マサチュウセッツ工科大学)のクレスゲ・ホールを見る。はい、やりましょう。
 11月の〈一石仙人〉公演は一応ここを予定している。ただし現在いくつかの障害。
 ホテルに戻って明日の通訳をしてくれる臼井舞さんと打ち合わせ。
 「まあそんなにむづかしい事は言わないから。」?
 Harvardのサンダー・ホール見学。というか勝手に入って見てくる。大変クラシックな建物内装。はい、ここでやりましょう。日本から来た人にはここが最高?
 またホテルに戻って、片桐氏も帰って(お疲れ様)、さて夕食はどうする。
 鞄はまだ出てこない。
 西村氏に日本酒を!と思って、三人で日本食の「竹村」へ。
 まずビール! 「ノウビア。」!? あれなんか変。では日本酒。おお、久しぶりにこういうお酒を飲むよ。おつまみにHourennsounogomaae、Yakitori、・・・。これまた甘い!
 お客は皆Susiなどを食べているが、「河岸を変えよう!」
 その近くの食堂というのかバーというのか、ともかく入って「BEあr!」
 Wild turkyで〆て、というかそのころ急に睡魔が襲ってきて、(これが時差というやつだ)目が開いてられない。
 冷たい雨。折りよく通りかかったタクシーを店のかわいいインド系の女の子が停めてくれて帰る。
 鞄はまだだ。
 メールを見るとセルリアンの〈長崎の聖母〉のチラシの校正第一案。いくつかの点、気のついたところ、また無線ランうまく繋がらないので電話で伝える。
 笠井氏は明日早朝帰る。しかし肝心の事決まってないよ。
 まずは気をつけて。
 笠井氏は今日のワークショップのスタイルを気に入ってくれたらしい。
 「挫折と祝言スタイル」とでも名づけるのか。〈隅田川〉と〈猩々〉。
 能の演劇としての説明にも、少し動いてみるにもよいか。
 今回の成果になるか。
 目の前のCharles Riverにグッナイ! 
 以下続編へ。西村氏のスーツケースや如何に!

◆4月19日 中華は「常夏」ではなくて「常熟」だった おや伽耶もあるよ

◆4月20日 舞の途中で舞台横切った親子が後で「サインを!」 スーツケースの三段入れ子 

◆4月21日 Charles Riverの夜明け ボストンのお茶室
・・・

〔07/04/03〕花に雨降るも道理 十年寝太郎が朝飯食って出勤 【127】
 早や春休みもおしまいか。土筆も昨日で食べ納めか。シュンランの色も早や移りにけりナ。

 梅の木は花が落ちてまた真冬の姿に戻っていたのだが、わずかに赤い芽が出始めてきた。蓑虫が一つ揺れている。
ウラシマが咲いている。長い釣り糸をたれて。モッコクの下、トクサの隣。生垣の際、道から覗き見る。写真を撮りたいけれどうまくいかない。
 アケビも花盛り。ワインレッドの貴婦人。日の光に透かすともっときれいだが、今日はお陽様もなし。
 ジュウニヒトエが森になってきた。これもお日様に美しく蛍光。
 山椒が少し伸びて葉も何枚かになった。そろそろ天気がよくなれば少し木の芽に頂くか。
 一昨日か、かぼちゃの双葉がまとめて何本か出ていたので、摘んで炒めて食べてみたら「ニガ〜イ!」。
サカキの花がもう黒い玉になりかけてきたので、少しフラフラしている枝を切る。短いのをたかだか何本だが、おお、すっきりするね。切った枝を玄関の屋根の雨受けの甕に挿す。この前稽古能で内弟子の安藤君がやった〈胡蝶〉の中では「甕に挿す山吹の・・・」、今日は「甕に挿す榊葉の・・・」。秋には〈野宮〉でこの榊を鳥居の下に。
スィートピーも咲き出した。いや、おっと言いそこ間違い、これはフリージア!数えると蕾も入れて七つ花のついたのがあって、まるで空也上人の「南無阿弥陀仏」。

 いつか「アニータさんにスウィトピィ」とこの日記の題を書いたことがあったが、その説明まで行かないうちに閉じてしまったので「何のこっちゃ?」だったろうね。一昨日はまた「アニータさんに桜の花びら」だった。
 アニータさんは座間駅前商店街のお店。前は婦人服のお店だった(前の記事はその閉店に行った折、スウィトピィはその頃は花屋さんにて)が、4月1日より画廊に。開廊トップバッターは、女子美の学長にこの4月からなられた佐野ぬいさん。女子美の長い歴史の中で女性の学長は二人目とか。絵は抽象(油彩・水彩・コラージュあり)。明るくて素敵。余裕があったら求めたいところ(せめてと絵はがきを何枚か求めるが、これもいいよ)。
 ここのおかみさんが謡の稽古をしている。ご主人が何年か前からパーキンソン病、一昨日お目にかかる。近年絵を書いていらっしゃるが、画廊にすれば二人でいる時間が増えるとの思い。
 うちから谷戸山を越えて歩いていったが、座間駅裏の桜並木でチラチラと降ってきた桜の花びらが、フト右手の指の間に。そのままお店まで行って「アニータさんに桜の花びら」。

 かの南米のアニータさんは、この前日本に来たようだったけれどどうしたかしら。
 うちの長男、蓮太郎は昨日入社式。JOGMEC―独立行政法人石油天然ガス・金属鉱物資源機構。こんな長い名前は人になかなか言えないよ。川崎に本部。うちからは小田急から登戸で南武線に乗り換え終点川崎、約1時間か。学校行くよりはずっと近いよ。何もなければいくら起こしても夕方まで寝ていた人がちゃんと一人で起きて、ネクタイ締めてご飯もちゃんと食べて、新しいスーツ・新しい靴で出かけて行く。ああ、雨降るわけだ。
 配属が決まって、金属資源探査推進グループ、なんと南米、ペルーの担当とか。
 ペルーと言えば例の日本大使館の占拠事件が起こった時、能の公演でもう後何日かで行くという時だった。結局キャンセルになってしまって行かなかったが、ああ、そのペルーだ。子供たちが熱心に読んでいた漫画の「タンタン」も行ってるよね。おお、この前国立科学博物館でナスカ絵だとか見たね。いつか行こう。スペイン語やっておいてね。
 この前、銕之丞師に無事卒業就職の報告。子方以来のことあり、ある感慨。
 「外国に行くのかな」と仰っていたがそのとおりに。

 一昨日そのアニータさんの帰りに、また谷戸山を通って、夕暮れの少し雨の煙る鶯の声の中、「心残りならまた摘んで帰ったら」と妻。ウムとまた土筆を摘めば、また結構いいのが。もしかしたら今季最後で今季最高か。ちょっと離れて摘んでいてかみさんの方へ行ってみると倒れている。アリャ、植え込みに躓いたらしい。右足首捻挫。亭主の好きな赤烏帽子に、こりゃ実に気の毒。

 もうそろそろと歩けるか。私も春休みおしまい。今日は夕方から青山へ(実は昨日も打合せで夜8時半に青山へ行ったが)。銕仙会の「西行桜」講座の今日は初日、私の出勤はないが拝見しよう。そして明日申し合わせの明野の「巴」の装束と、その後の「横浜三時空」の稽古(第一回目)の後での写真撮影用の装束の用意をしよう。

 豆腐屋さんのプー。「花咲いたら雨だね」。カッパの中で笑顔。寒いよねえ。
 今日はストーブたいてる。ああ、ラジオで甲子園の決勝も始まってるらしい。うちの末のソフト娘がなんだか背番号が1番になったらしい。わん!
 さあ、昼ごはんの支度をしようか。
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