響の会〔清水寛二・西村高夫〕
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●2007年07月
〔07/07/21〕舞台にはヨウリョクソふる 小学校なら今日から夏休みか 【132】

ニューヨーク公演最終日 於 ジャパンソサエティ前公園特設舞台
番組 能〈北条〉(復曲太閤能)梅若六郎
   狂言〈井杭〉      野村萬斎(子息と)
   能〈井筒〉       観世銕之丞

 19:30開演 昨日は22:00時終演。
 公園の木の下、毛虫の糞がたくさん落ちてくるのだ!葉緑素だと言う。確かにくそだ。小さな木の実だと言う人もいたが、否定せずにおいた。そのほうが平和。実際にその毛虫のなんと強烈な姿をしていることか。
 三日間の公演、初日は夕方二度の夕立で、結局雨は降らなかったが屋内での公演。音環境としてはそのほうが集中できてよい。外は道に面しているし、条例で大きな音は出せないとかで音響機器が十分に使えず、まあ客席には聞こえているらしいが、演者はお互いに音が聞こえないのだ。

 私は〈北条〉の後見と〈井筒〉の地頭。なぜ小田原攻めの太閤能〈北条〉なんかをやるのだとは思ったが、アイ狂言でうまいこと説明している。でもまだ? 〈井筒〉は物着で、しかも短縮版、約1時間。やっぱりいい作品。

 こちらについた翌日リハーサルの後、勘三郎氏の平成中村座、歌舞伎「法界坊」見る。
 う〜む、客いっぱいだし、総立ちの拍手だし、・・・。でも、ああ、私は鎮魂の芸能「能」でよかった。効きすぎの冷房だけではなく、寒かった。
 これはホテルのロビーで書いている。今、大倉源次郎氏が「二番打つのはやっぱりきついね、背中がパンパンだから」と散歩に(彼のサイトには写真付でいろいろ報告があるでしょう。そちらを見てみてください)。僕の部屋では無線ランが繋がらない。端の部屋なので隣のホテルのものが強くてだめらしい。幾つかメールをやり取り。

 ここはRoger Smith。古い小さなホテルだよ。ロビーに椅子は4つ。いいよ、落ち着いていて。ちょっとエレベーターは怖いけれど。こんなレンガの十何階建ての建物が何十年も壊れずにあるんだねえ。蒸気爆発のあった通りRexingtonに面している。あれは42thか。ここは47th Street.あぶなかったねえ。まだ通行禁止の部分があっておかげで通行量が少なくいつもより静かでよかったが、アスベストが飛んでるといううわさ。

 今朝は朝食食べる。(はっと起きたらもう12時という日もあり。)コンチネンタル。パンとジュースとヨーグルトとコーヒー。銕之丞氏と萬斎親子。
 昨夜は偶々ご覧になった三井物産の方々に中華料理を何人かでご馳走になる。晩餐の〆に皆で「千秋楽」を謡う。

 さてそろそろ出かけるか。今日のワークショップは私たちの担当ではないが、行って見学しようか。昨日は高校生たちのワークショップを担当。「道成寺」の「祈り」をやってみる。
青山で稽古していたHさんが子供さん(8歳と3歳)二人連れて見学に。こちらで博士号。がんばってるね。
 青山のお弟子さんに二つ能の型付けを書いてくる約束したけれど、全然できてないよ。大体今回の公演の形はできたし、今日も天気はよさそうだし、夜までにちょっとやってみようか(〈横浜三時空〉の本の整理は帰りの飛行機か)。

 六郎氏が帰ってきて、萬斎氏が出かける。かの親子はヤンキースの試合を一度見に行ったらしい。今日は土曜日だから、「メリーポピンズ」のマチネーやってないかなとさっき源次郎氏。

 さて、わたしは・・・。昼ごはんは何?丼屋?ジャパンソサエティまでぶらぶら行って、街頭のサンドイッチにしようか。
 もう明日は帰る。

〔07/07/02〕二ヶ月のカレンダーをめくる ああ夏の花 【131】

 朝おきてほとんど必ず新聞を持ってトイレに座る。午前中家にいるときは、二度三度行く時もある。トイレの中に張ってあるカレンダーをめくる。5月6月分。五島美術館の「業平の東下り」。筆禅道の寺山旦中先生の死去、荻原さんの事故から始まった二ヶ月。最後の週は新作能の台本を4本抱えての毎日だった。鏡を見ると前頭葉付近から白いものが何本か。ついに来たか。

 今日は二度。間に庭をチョキチョキ。キキョウ、トマト、オクラたちがきれいにかわいく咲いている。南天が何本も重なって出ているので、葉をちょっとすこうとしていたら、アリャ、一番いい花を切ってしまった。難点が難転。
 シーズのフクチャンが寄っていく。
 角を曲がったタッチャンちの萩がもう咲き出している。

 4月のボストンから、ずいぶん頑張ったね。(日記はずいぶんお休みしました。)ちょうど5月の連休でその骨休めだと思っていたら、荻原さんが逝ってしまった(しかしちょうど山荘でずっと付き添うことが出来た)。6月銕仙会例会のあとの土日で長崎へ行って浦上のミサに出席しようと思っていたら、榮夫先生が逝ってしまった(長崎はキャンセルして通夜・葬儀に)。

 国立の連続の「葵上」のあと、これは無理やりに沖縄の慰霊祭へは行ってきた。前夜祭、平和祈念堂での志田房子さんたちの鎮魂の琉舞の素晴らしかったこと。おのずと涙が伝う。芸能の持つ鎮魂の力。美しさ。まばゆい太陽の下、平和の礎(いしじ)に刻まれた全沖縄戦戦死者22万余の方々の名前のその重さよ。アメリカから、朝鮮から、日本各地から、そしてウチナーの人たち。

 志田房子さんは東京在住で、かつて銕仙会で舞っている(その時私は内弟子だったか、幕上げや琴を出したりするお手伝いをしている)。それは沖縄学研究所の外間(ほかま)守善先生と荻原達子さんの関係で銕仙会を使ったものだったろうか。先日の荻原さんの49日に岡谷へ行ったときに荻原さんの同級生の方から、外間先生を囲む会を毎年やっていた事を聞く。
 志田さんも「タッチャンが・・・」と。

 多田先生の「沖縄残月記」(沖縄戦で子を失くしたが、その体験を語ることなくして世を去った「おおばんば」が、ユタの口寄せにその体験を語る)。6月29日のINSLA「自然科学とリベラルアートを統合する会」第一回講演会にて、部分だが謡で試演。
 先週は長崎、横浜、沖縄と戦争のただ中だった。ああ、一石のチラシとも格闘した。

 しかし、この二ヶ月にあったのは「死」ばかりではない。
 二回結婚式に参列している。二回ともなかなかいい結婚式だった。幸せを分けてもらった。
 そして我らが仲間の子供が二人生まれている。馬野氏と谷本氏。父ちゃんご苦労様。あ、大変だったのはお母ちゃんの方だ。元気でね。

 さて、能楽ジャーナルの村上君の〈杜若〉や〈昭君〉の評にあるように、舞台にいい結果は出ていないけれど、踏ん張り所。「演出・清水寛二」などと書くことの恐ろしさよ。

 今日は国士舘の授業。何でみんな出来ないんだろうね。楽しいよね、型を舞うって。さあ来週は仕舞の試験(サシコミ・ヒラキ・左右)だからね。

 木槿も咲いてきたね。「ひめゆり」をもう一度見に行こうか。

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