響の会〔清水寛二・西村高夫〕
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●2007年11月
〔07/11/23〕サンクスギビングのフライト 一歩手前 【143】

 まもなく、ようやくアラスカからベーリング海へ。映画3本見てずいぶん窮屈にうとうととして、まだここだった。

◎11月22日 ワシントン11:50発全日空NH001便
ボストン8:00発(ボストン空港は濃い霧の中、調布空港の有視界飛行なら当然欠航)ユナイテッド航空724便より乗り継ぎ。1:30に寝て4:00に起き(セルリアンの〈長崎の聖母〉第二部の残りを見る。一部より少し改善されていたが・・・)、ホテルを5:15に出て今ここ。何時だかわからない。
 「ここはいずくにてもなし。またいずくにてもあり。時とても、現在にても過去にてもあるべし。」―〈一石仙人〉
 どうも洋上に出たようだ。行きの二の舞は踏むまいとしているのだが、殊に右の涙腺が危ない。一歩手前。泣くな!
 また簡単にしか書けないね。

◎20日 ブランダイス大学にてワークショップ。
 日本語の授業2コマ分。少しオーバー。リクエストにより、〈巴〉を中心としたボストン美術館でのプログラム。西村さんを帰したので、一人で装束をつけ、囃子をあしらいながら地を謡い、床几や長刀、唐織を脱ぐなどの後見の仕事も。通訳はアメリカ人の漢文の先生。まことに要領よく訳していただける。
 ボストン・ジャパンソサエティ、日本協会の会長も美術館に続いて見て下さる。なぜああいう足の使い方をするのかという本質的な質問も。
 学部長も混じって先生方と昼食会。
 なんとこのブランダイス大学は戦後の設立だが、当初「アインシュタイン大学」という名前になるはずだったという。〈一石仙人〉の縁あり。さっき新作について質問あり、〈一石仙人〉の話をし、「茗荷悪尉」の面を見せたばかり。
 立派な劇場もあり、ここでも上演しましょう。
 夜はどうしたっけ、そうイタリアン!

◎ 21日
 日本協会の日本人理事の方とお話。鎌倉薪能を少年時代から見たり手伝ったりしていたそう。また慈一君とはヨットの話題で盛り上がる。そう私も灯台守の息子。海のにおいは大好き。
 現代美術の新しい美術館のパフォーマンス空間や、ボストン・コモン(中心部の公園。たとえれば日比谷公園か)の、夏にはシェークスピアをやるという野外音楽堂のような建物を見る。
 夕方より、ブロードウェイにてブルーマングループのパフォーマンスを見る。顔・頭をまるで青く塗った三人のパフォーマーが・・・。楽しい舞台。毎日満員という。
 全日程終了、打ち上げに52階の展望レストランに行くが、一瞬なぜ曇りガラス?ああ、雲霧の中。ジャズバンドの演奏。東寺一石仙人の舞台を作った坂野さんはここボストンのバークレイを出たサックス奏者から宮大工へ。ボストンへサックス持って来ましょうね。

◎22日
 サンクスギビングデイ、感謝祭。みんなお店もお休みで七面鳥を各家庭で食べる日とか。故郷へ帰る人も多いと聞く。
 なるほど当初〈一石仙人〉の公演をこの20日に予定していたのだが、無理だったねえ。延期になってよかったか。延期になってもう公演の実現可能性が遠のいたと思ったが、ともかく春に決めてきたボストン美術館でのワークショップだけはやろうと思ってきたら、ブランダイスでもできたし、色々な方々にもお会いできて、何歩も下がっていたものが、一歩は前進した感有り。皆さんよろしくお願いいたします。
 ああ、そして今。
 本当のところを言うと、どうしてこんな大変な面倒くさいことをやってしまうんだろうとも思う。今年のように新作能が続いては、その消耗はひどい。収入も結局持ち出し(子供の授業料も払えない)。昨日も「どうやって清水さんはストレスを解消するんですか?」と聞かれて、つい、「いや、仕事やっていれば」などと答えてしまったけれど、もちろん以前より仕事(舞台を勤める・その準備の諸々)をすることが、苦にならなくはなっているけれど、自分の答えに「ほう、そう?」。
 行きの機内であんなに泣いたのは、今年の色々なことの反動ではなかったのか。
 役者の業なのか、私自身の業なのか。
 「薄氷の深田に駆け込み、弓手も馬手も、鐙は沈んで、降りたたん頼りもなくて、手綱にすがって、鞭を打てども、引く方もなぎさの浜なり、前後を忘じて、控え給えり、こは如何に、浅ましや。」―〈巴〉
 日付変更線を越える。
高度 10748m
対地速度 時速844km
東京、成田まで 3394km
外気温 −52℃
少し暑いな、機内は。 「はっくしょーん!」
ハテここはどこだ どこへ行くのだ

〔07/11/19〕ボストンの眼福・口福 またまた高砂や 【142】

 今日は雪が降った。少しだけど。
 着流しに羽織だけでは少々寒い。 

 午前ボストン美術館、前回ワークショップをしたタフツ大学の森田先生のご手配により、能装束の収蔵庫を特別に学芸員の方に見せていただく。一枚一枚に棚。唐織・厚板・縫箔・狩衣・長絹・・・。ビゲローのコレクション。保存のすばらしさ。江戸時代の意匠の大胆さに「おう!」。そして退色してなお「鮮やか!」。もう眼福そのもの。これらを着てやれば曲の解釈が変わるだろうというくらい。学芸員の方とその美しさにうなずきあう。
 そして、美術館内でのご手配をお世話していただいたM夫人(昨日のワークショップも見ていただいた)に美術館のレストランにて、昼食をご馳走になる。ボストンマグロの炙り?これは口福。

 昨日は12:30より、ボストン美術館レクチャー室にてワークショップ(小生・西村高夫・浅見慈一、通訳國枝美佳、協力片桐一雄・美智)。

《内容》
・メンバー紹介
・土蜘蛛の仕舞(西村・清水・地謡浅見)
・神舞(清水、テープ演奏による)
・能の簡単な説明(清水)
・ボストン美術館所蔵の浮世絵の中にある能の図3枚と巴の武者絵の紹介(清水、パワーポイントによる)
・〈巴〉の後シテの装束付け
・〈巴〉のロンギからトメまで演技の解説と実演(シテ浅見・地謡清水・後見西村)
・質疑応答
・参加者全員による祝言の謡「つきせぬ宿こそめでたけれ」

 50人分用意した椅子が足らず、途中で足し、なお且つ立ち見あり。1時間半の予定、質問多く(しかも内容の濃い)少々オーバー。
 これはボストン在住の片桐夫妻のコーディネート。日本から同行の美佳さんは美智さんの長姉(名刺には「アフリカ理解プロジェクトスタッフ」)。
 関係者、参加者より好評をいただく。サンキュウ!(ただし地謡に二箇所?危ないところ有)

 14:00より講堂にて磯崎新氏の講演有。ワークショップの前に磯崎氏と美術館エントランスにてお会いし握手(私は初対面)。かっこいいなあ。磯崎さんは本来「一石仙人」ボストン公演を見るために(元々は20日の公演の予定が結果来年以降に延期)、この時期ボストンに来る予定にしていたのだ。
 こちらのワークショップが延び、少し遅れて講演を聴きに。ご自身英語にて「桂離宮について」淡々としかも熱を持って語られる。(英語わからないところ多いが写真・図版に助けられる。)終わって挨拶すれば、東寺行きたかったけれど、予定あり伺えず、多田先生によろしくとのこと。実に素敵。

 夜、慈一君の昔のヨット仲間(先輩)宅にて、そのお仲間に声をかけてのホームパーティ有、ご馳走になる。
 ここでは〈熊野〉を想定してまた慈一君に装束を着け、一サシ。

 そしてその御夫妻が一週間前に結婚式を挙げたと聞き、三人で「高砂や〜」。
深夜までありがとうございました。

 帰ってバタンキュウ。
 そして今朝。
 無事起きて(時差ボケは怖い。早く目が覚めてしまって二度寝をしたら結果「あ、こんな時間だ!」ということ有。)そのボストン美術館見学。タクシーで行ったが、運転手にボストン美術館といっても通じない。正式にはMuseum of Fine Arts,Boston。オー、ファインアーツ!OK!

 ボストン美術館にてのゆっくりした昼食の後、西村・浅見・小生を昨夜のY夫人がいくつか案内して下さる。ボストン・オーケストラのホール(Ozawa!)や市内を横切るチャールス・リバーの野外音楽堂など。昨夜〈一石仙人〉のお話をしたら是非協力しますということになって、早速会場の可能性を探る。実はY夫人は非常に繊細なナンタケット・バスケットの先生。お店も拝見。このバスケットは大統領就任のパーティにでも持って行ってよい唯一のバスケットとか。(近年日本でも教室やお店を開かれている。)残念ながら、ちょっとお土産にはなかなか予算が・・・。

 夕食は片桐夫妻姉妹と居酒屋ブルー・フィンにて。Big YakitoriにOsasimiにカキフライ定食。ヤッコも付いてるよ!sakeは白鹿!

〔07/11/17〕ワシントンの待合室には雀がチョンチョン 【141】

 ボストンへの乗り換え、ワシントン、ダラス空港。入国審査の人数が少なく、待ち時間あまりなく助かる。7月のニューヨーク公演はビザを取ってきたのだが、今回はビザ無しで、そのことについて、何か質問されるが説明も出来ず、しかし幸い國枝美佳さんという優れた通訳がいてくれて無事通過。今回は文化交流で、アメリカのドルもって帰らないから。

 一行は、西村高夫・浅見慈一・國枝美佳、それに私。ボストンでの今年二回目のワークショップ。
ボストン美術館とブランダイス大学にて。

 ANA NH002便成田11:10発。
 相模大野から6:00発の高速バスを予約しておいたのだが、昨夜は国立での〈実盛〉(シテ片山九郎衛門師)から帰って荷物も作らず、ご飯食べて(おでんにお銚子!)お風呂入って寝てしまい、5時に起きてあわてて荷造りし(装束は昨日持っていって青山で三人で確認し、慈一君に託す)、タクシーを呼んだら、「今いません」! ああ、装束持ってっててよかった。自分の着替えだけだから、自転車を駅まで飛ばし(面の鞄を前の籠に。これは内緒!)、小田急二駅、階段を走って、発車一分前に間に合う。よかった。
 バス、ああ、なかなか渋滞しているみたいだなと感じつつ、ずいぶん眠ってもう着くかなと思ったら、2時間走ってるのにまだ都内、有明の前! ああ、早めの便を予約しておいてよかった。慈一君の車で三人一緒に来ているはずの西村さんからも、渋滞につかまってるとのメール。浦安過ぎてようやく流れ出し、飛バス飛バス。ハハ、これは京成のバス。あとは順調でまあまあの時間に着き、私が少し先着。

 チェックイン。何かこのようなもの入ってますかと渡された表に、刀あり。そうだ、「刀と長刀入ってます」。今回は〈巴〉をやる予定で、装束の中に折れないように念入りに入れてきた。あけるのは大変。能に使う模擬刀と説明し、X線かけて確認してもらい無事OK。
朝ごはんにお寿司を食べて(ビール付き。つい2杯)結団式。さて出発。
 搭乗間際になって、来月の稽古日、一日場所が決まってなかったのを思い出す。青山がいっぱいなのだ。西村さんが使っていて、このところ響の会の集いもやっている市谷の亀ヶ岡八幡宮の集会所を西村さんに聞いてもらう。幸いあいていた。OK!

 日本の領海を離れたのが影響するのか、地面を10000メートル離れたのが影響するのか、はじめの食事が出て(ワインの小瓶を2本ばかり)、食べ始めようとして、なぜだか泣く。危なかった、ほとんど号泣しそうだった。通路側の席で隣の中の席は空いていて幸い。

 映画は「瀬戸内少年野球団」と「カサブランカ」を観る。(ところどころ少し揺れあり。)それから8月セルリアンでの〈長崎の聖母〉(第一部)のDVDを初めて見る。うーん、自分の謡にダメを出す。来年あるところで公演のお話あり、その課題をクリアーしよう。成田でノイズキャンセリングのヘッドホン買ってきてよかった。普段はなかなか見る間がないので、ボストンにいる間に〈長崎の聖母〉第二部(一部と装束や型、少し変えたところあり)と響の会の〈野宮〉を見て帰ろう。

 そして今、ワシントンで乗り換え、国内便の待合室。今度はユナイテッド航空。
 ありゃ、なんだかスズメが一羽、ベンチの間をチョンチョンしているぞ。

〔07/11/11〕披露宴の高砂や お通夜での高砂や 【140】

 今日は京都観世会館での青木道喜さんの社中の会、新幹線日帰り。行きは6時に家を出て、小田原からひかりで行く。能〈藤戸〉、素謡〈鸚鵡小町〉ほか、しっかり。

 今は帰りののぞみの車中、新横浜まで。

 この一週間はなかなかだった。
 昨日は逗子での催し、一昨日はテッセンカイの例会(〈恋重荷〉を地頭山本順之師の隣で謡う。)

 先週は神戸へ日帰り往復。そうだ同じ小田原からのひかりだった。生田神社にて、早稲田観世会卒業の藤田慎二郎君と高澤理恵さん(彼女には一石仙人東寺公演でいろいろお世話になった)の結婚式・披露宴。二人ともよく稽古して、舞囃子や能まで。笑顔の似合う二人。祝辞のトップバッターで、「高砂やー」を謡う。ちょうど高砂からこの神戸の沖を通って住吉に能の中の船は着くのだ。新郎の目に涙。ありがとう。最後お開きについ出しゃばって、新郎新婦と早稲田の卒業生たちと〈千秋楽〉まで謡ってしまった。すまない。でも、いいお式でした。実はこの生田神社のそばに小学3,4年生のころ住んでいた。まことに久しぶりだが、二次会は失礼してまったくそこだけで帰る。

 実はその朝かみさんの姉さんが身罷った。二人して結婚式に招待されていたのだが(かみさんはいつかインドからお土産に買って帰った服をはじめて着る予定だった)、前日どうももう呼吸が・・・なので、一人で行く。

 翌日から5・6・7日と伊豆七島の新島だった。これは新島ガラスアートセンターの20周年記念ワークショップ(インターナショナル、英語飛び交うなかで)の中でのパフォーマンス。天候心配な中で、スタッフよくやってくれました。地面の上での舞、三体早変り、即興の舞の初体験。実は、この作業は大変楽しかったです。中学校での能講座も出来た。詳細はまた。(あるいは新島ガラスアートセンターのサイトにて。)往復は調布飛行場からの飛行機(19人乗り)。帰りはキャンセルが出たので、便を早めて皆さんに挨拶もせずに帰ってきてしまった。

 帰った7日が姉のお通夜だった。(翌日の葬儀は銕仙会の申し合わせで出席できなかった。)一昨年暮れに一回目の手術をして、去年夏に再手術。そして入院中に婚姻届を出したが、結局結婚式はできなかった。随分がんばった闘病生活だった。普通葬儀では〈江口〉や〈融〉、〈卒塔婆小町〉などを謡うが、導師の、故人はもう成仏しているという説法に力を得て、今回は特別に祝言の〈高砂〉を謡わせてもらう。

 高砂や この浦舟に帆を上げて この浦舟に帆を上げて 月もろともに出汐の 波の淡路の島影や 遠く鳴る尾の沖過ぎて はや住ノ江に着きにけり はや住江に 着きにけり

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