まもなく今年も終わる。
最後の仕事はお葬式の受付だった(29日鵜澤久さんの母上、敏子さん86歳。お世話になりました。)
我が家の大掃除は無し。小掃除。あとは又明日以降に。
紅白歌合戦がラジオで始まって、久し振りに全員集まった子供たちがウノをやり始めて、夫婦で買出しに(おもちと鶏肉、イクラ、ついでに50%オフのアンパンなど)。
天の川がきれいだ。夕方も、夕日をバックに大山のシルエット、そして紺青の空、きれいだった。
一年頑張ったね。少なくとも病気はしなかった。する暇なかったのが本当か。
別れも出会いも多い年だった。
寺山旦中先生、荻原さん、榮夫先生、太田省吾さん、百代姉さん、又三郎さん・・・。夫婦ともにそれぞれ、指導を受けた人たちが逝ってしまった。
しかし、新たな出会いもうれしい年であったよ。ボストンをはじめとするワークショップで出会った人たち、新作能での仲間たち、響の会で新しい曲に臨んでのお客様方…。だけど、申し訳ないことにきちんと御礼は出来ていない。
さてまた来年は・・・。
最後の今月はああ、後見が多かったね。〈融〉、〈邯鄲〉、〈実方〉、〈松風〉、〈井筒〉、〈三輪〉。
響の会研究公演、集い・・・、ほんとにあっという間。
年の瀬は?
22日は百姉さんの49日。早稲田の龍善寺にて(納骨堂でタッチパネルを押すと、故人の遺影が出てくる)。終わって沖縄へ。ハハ思い出した、行きつ戻りつの人生。早稲田から地下鉄東西線で、日本橋で乗り換えるところ、ああ次だと思っていたら目が開いたら次の茅場町。一つ戻って、都営地下鉄から京浜急行、品川を過ぎて、ああ次の京急蒲田で乗換えだと思っていたら、蒲田を過ぎていて川崎。運良く羽田空港行きの特急があって、セーッフ!
23日。11月オープンの県立博物館・美術館見学して、国立劇場おきなわでの佐藤太圭子さんの会へ。すばらしかった。ことに「諸屯(しゅどぅん)」。正面で振り返ってじっと前を見たその姿の美しさ、哀しさに涙ながるる。琉舞を見て泣いたのは今年二度目。一度は6月平和祈念堂での志田房子さんたちの慰霊の舞。この二度はまったく自費で行った甲斐あり。来年も何度か行きそう。
24日。お休み日のはずだが、授業日数足らず、沖縄から帰って、国士舘の授業。〈熊野〉の仕舞。さあ次は試験だよ。
25日。銕仙会は大掃除。私はお昼寝日。
26日。銕仙会竣工記念日(25回目?)。榮夫・荻原両氏の追悼に〈卒都婆小町〉。銕之丞師の発案・主催(地頭山本順之師だが21日の申し合わせは欠席だったので、その時は私が。もっと勉強しなくては…)。
終わって例年のごとく工事関係者の方々と一献。青山能のあともそうだったが、結局タクシーで帰る。なかなかつかまらない。
この朝、文頭の鵜澤敏子さん永眠(28日お通夜で29日告別式)。
30日。昨日は何をしてたっけ? ああ、ぼっーとしてたのか。夜は、久し振りにみんな帰ってきたので、町田の「すし正」さんへ。ボーナスの出た蓮太郎のおごり。ご馳走様。
おお、下では百人一首が始まったらしい。
22:38
おそばの支度をして、又一杯やろうか。皆様、ありがとうございました。
来年もよろしくお願いいたします。
|