響の会〔清水寛二・西村高夫〕
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●2008年02月
〔'08/02/29〕タミフル飲んで野守のシュミレーション 【149】

ついにインフルエンザB型発症。昨日よりタミフル。死に至る病だと実感。まだうんうん言っている。幸い天気が良いので本人共に日光消毒。目をつぶって舞台のシュミレーション。今日は野守。水道橋の楽屋、装束着けて…。残念ながら書く体力なし、頭痛し、面白いので詳しく是非今度。今になってみれば火曜の稽古能でみんなにばらまいたかも。よく寝て美味しいもの食べて抵抗力でやり過ごして下さいね。

〔'08/02/19〕ホトケノザ フキノトウ シュンラン 【148】

 今日の最高気温予想は9℃。お日様はずいぶん明るくなってきたのに寒いね。それでも玄関脇のフキノトウはずいぶん開いてしまった。蕗味噌用にまだ開いてないのを二つ。私はまだ冬眠です。

 那覇は19℃らしい。先週火曜日から行っていたがその時は15℃位。雨も降って寒かった。一昨日予定を早めて午前中の便で帰ってきたが、空港へ向かうタクシーで運転手さんが「せっかく晴れたのにもう帰るんですか?」。
 その空港で、結局変更がもう一つあとの便になってしまい、到着ロビーで東京マラソンの実況を見ていたら、ちょうど二位の一般参加の日本人選手がゴールしてウルッと来たところに「清水さん!」 アリャ、INSLAの長野さん。福岡出身金沢在住長野氏に那覇空港にてバッタリの図。東寺ではお世話になりました。私はまだなんだか疲れが取れなくて冬眠です。沖縄の能も、ちょっと足踏み。まあ、あわてずに行きましょう。でも次の会議日程を策定。ちょうど良かった。

 実は多田先生ご夫妻に先日お世話になりました。ありがとうございました。
空手娘が原因不明の腹痛にて救急車。どうも入ったところがなかなか・・・で病院を紹介していただいて転院。
 それが先週の火曜日。私は稽古能で〈野守〉をやって、走って羽田から沖縄へ(ジェット気流向かい風強く、遅い!)。また走って芸大の授業へ。授業の間に色々連絡。いつもは夜は泡盛タイムだがなかなか気がそうはいかず、二日ほどはホテル内でひっそり。ようやく落ち着いてきたとの連絡で・・・。

 今回の沖縄行き収穫。
 まず食べ物初体験は、イカ墨の茶碗蒸し・ウミガメのお刺身に生血・ひーじゃー(ヤギ)の汁・お刺身。ぜんざい。
 ウミガメは「苫屋」さんにて。運転の人がいたのでお酒入りの生血は私が二杯。「元気出ますよ!」いつもはこんな事ないんだけれど、すみませんお刺身色々舟盛山盛りをずいぶん残しました。大将に生年月日を聞かれて「1953.1.11」。(そうだ、うちの住所5−3−1だった。) 「お金たまりませんね。」!
 そう、そのとおり。去年も結局面を一面手放しました。まあもうそのつもりになって生きますよ。とりあえず今年の活動のために鼓と笛も放出しましょう。

 ヒージャーは浦添のお店「アライブ」での芸大の親睦会にて。もしだめだったら他のものもあるからと誘われていったけれど、(独特のにおいはあるけれど)おいしい。これも「元気出ますよ!」 〈猩々〉のキリを謡う。司会がかの「佐久本先生」!空手世界一!その教え子たちも世界一。この前その演舞を見たが素晴らしいもの。うちの空手娘の憧れ。芸大にいらっしゃるから是非挨拶して来いと言われていた。握手していただいて元気を貰う。

 ぜんざいは沖縄そばの店「ちょうでぃぐぁ」にて。そばは「すば」。毎日のように昼はこれ。この日は学生たち全員で行く。学生の友人が兄弟(ちょうでぃ)でやっているお店。とてもうまい。沖縄ぜんざいは言ってみれば氷小豆。小豆よりもう少し大きな豆だったけれど。これはサービスにいただく。私も含めて男子二名、チョコレートも。

 読谷のガマへもう一度行こうと思っていたが、天気もそんなだし、元気もそんなだし、日程も縮めたので、せめてもと、首里を少し歩く。

 一中健児の碑。玉稜(たまうどぅん)の裏。現在は首里高校になっている一中の沖縄戦で亡くなった先生、生徒たちの碑。資料室もあり。ちょうど土曜日でお休みのはずが見せていただく。14歳の写真を見ればまだ子供だが、立派な軍人として戦闘に。遺書遺髪。

 玉稜。第二尚王朝の墓。沖縄戦で破壊を復元。ここの能を作りたい。

 県立郷土劇場にて「伝承者

 …と、ここまで書いて途切れている。今日は実はもう24日。よく晴れてはいるがちょっと寒い。しかし、うちの梅(薩摩紅梅小さくて地味だがかわいい。二三日前に蕾のないニョロっと出ている枝たちを剪定してキリっとした。)もぽちぽち咲きだしたし、シュンランも咲いて、フキノトウは花畑。

 …と、書き出したらアニータさんが絵を届けてくれた。
 19日に上の書きかけで出かけたのは、座間駅の方のギャラリー・アニータさん。生まれて初めて油絵を買ったのだ。

 …と、また上のところから日が経ってもう26日。絵は工藤実さん(パーキンソン病ながら憑かれたように絵を描いている)の「紅富士」。
 絵をかけてから、光が丘の病院へお見舞い。どうもその前の日、富士高校の同期会のコンサート(於杉並区勤労福祉会館)、あるいはその前の日の響の会の会議(兼新年会)のあたりからどうも元気がない感じだったが、ついに昨日は熱が出て一日寝ていた。

 今日は稽古能は行かねばならないから(〈杜若〉の地頭)行って、そのあと早稲田大学観世会の自主公演(3月2日)の舞囃子の申し合わせを見て、後の青山の稽古日はお休みにしてもらって帰ってきて寝ていた。あ、歯茎が原因かと心配だから、歯医者さんには寄った。予約10月4日をサボったままだった。「以外に悪くなってないですね。」

 さてまた寝よう。しかし、この日記いつまでたっても書きあがらないので、人がみたら何だか分からないだろうし、面白いこと一杯あったのにここらでちょっと打ち切り。
 リ・アップ、もといリセットが必要そう。あんまり間があいてるからこれでアップしよう。さてお休みなさい。

〔'08/02/04〕雪中の佐賀往復 真夜中の豆まき 雪だるまが3、4… 【147】

 今朝は良く晴れて雪景色がまぶしい。
 昨日はかみさんとその実家佐賀白石へ日帰り。朝5時起きで真っ暗な雪道を駅へ「♪ゆうきの降る街を〜」。

 一昨日は国立の若手能〈松風〉。シテの浅見慈一氏、よくキッチリと立っていたように思う。一歩先へ進んだよね。(明日は私の〈野守〉の稽古、負けられないよ。)
 それから夜は一年ぶりにて新橋へ。金田中にて例のおばけ(節分にて若い芸者衆が仮装しての寸劇や踊り)。今年は閑先生はじめいつものメンバーに本田さん加わって七名参加、榮夫先生に献杯。いつもの小千代姉さんは82、清み姉さんは榮夫先生と同じ80・・・。
 美酒なり。杯を重ねる。お元気でまた。
 帰ればもう午前、アリャ雨かな、ちらちらかな。

 起きてみればまたもや「ああ、ふったる雪かな!」。飛行機は飛ぶやしらん。
 チェックイン時刻ぎりぎり(7:35発に7:18)に羽田カウンター。しかも佐賀行きは一番端っこの搭乗口。お土産も買わずに走って搭乗。しかしそれから翼の雪を落としたり、結局30分遅れて離陸。向かい風強く、飛行時間2時間。

 佐賀空港はよかよ、のんびらっとして。

 妹のマアコさんに迎えに来てもらう。すみまっしぇン、急に。しかもジャスコのパートば休んでもらって。

 白石の実家は、ああ電話もせじ来よったもんじゃ、あいにく留守。

 大井のおんちゃん方。80になんしゃ。新しいトラクターの来たばっか。赤いボディにアクリルの全面風防、冷暖房完備、カッコいい!これで東京まで、是非!

 干拓のマモルおんちゃん。この前たんぼで倒れて左目がよう見えんようなった。だんだん回復して、医者もストレスになるより酒も飲んでよかて言いよったとのことで一献。たまたまマモルおんちゃんの妹さん夫婦もみえる。息子さんが心不全でぽっくりいかれて、「涙の枯れる日はなかとよ」。

 つらいことだけではいかん。赤いお知らせ。うちの空手娘が先週「この人」と連れてきた。勝浦出身の武道館に勤める人。「押忍」! 幸い天気も良く、谷戸山公園の長屋門まで、「これがうちの門」とかみさんと二人してお迎え。里山を歩いて案内するこの小さな家は「離れです」。「てめえこの、うちの娘がやられるもんか!出直して来い!」という台本も用意したのだけれど、残念ながらこれは実際には採用されず、「ふつつかな娘ですが、どうぞよろしくお願いします」。「うちの前に積んだ丸木を今夜中に薪にしろ!」ということも無しに、昼からビール、もう一度ソフト娘に石っ子蓮さんも帰ってきて夜にもビールで乾杯。今度はご両親にお会いしましてご挨拶を。

 兄には先で良いかと聞いたらしい。「いいんじゃない」。その蓮太郎はまたペルーに出張に出かけた。黒塗りのハイヤーが迎えに来て成田へ。(なんだ俺たちは重い荷物を引っ張っていくんだぞ!) でもこの時(きちんと自分の仕事を見つけてくれて)良かったという実感あり。夫婦で見送る。元気でがんばれ。

 さて高島病院(ここで蓮太郎も生まれた)の父ちゃん母ちゃん。義男ンちゃんとおとえさん。ばあちゃんはもう平成9年からお世話になっている。マアコさんが大きな声で話しかけるが、目もよう開けよらん。手で広げればじっとこちらを見てはくれる。だけどこの前「じいちゃんじいちゃん」と大きな声で呼んだらしい。じいちゃんはこの前から。98歳。もうかみさんの名も私のことも分からない。しかし「誰やったかの。忘れてしもた。」と笑うその顔は神様仏様。小さな体に百姓の大きな手と何度も握手。

 マアコさんちへ。この前新築なって、私は初めて。だんなのマサアノリさん、彼も倒れてまだ左手に麻痺が残るが、ちゃんと社会復帰し、車も運転して以前からの会社へ。うちの4倍の敷地、車庫だけでうちぐらい。就職してうちの近くへ来ている娘のヤヨイちゃんが今度長崎出張でしばらく戻ってくるとか。息子のフクちゃんも今度就職。おめでとう。

 さて佐賀空港よりの帰路。羽田が込んでいるとの事で少々延発。ちゃんぽんば食べようか。帰りは追い風で1時間10分、アリャ半分道ね。雪は止んでいるし、相模大野へのバスに乗ろうと思ったら今日は欠航。

 電車で帰って、12時ごろ玄関から、二人して小さな声で「フクは〜うち!オニは〜そと!」。

 ああ、雪だるま一つ、前の駐車場にあるなと思っていたら、朝見たらハハ、いろんな所に四つも五つも。この辺の子供たちもやるな。大人も作ったかな。

 雨樋を伝う雪解け水の音、チュンチュンの声、バックしてお昼に帰ってくる紫ダンプの音、豆腐屋さんのラッパ。さあお昼ご飯だ。

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