庭に花がずいぶん咲いている。アケビの高貴なワインレッド。ジュウニヒトエの蛍光の青い裳裾。ウラシマの釣り糸も長くたれてきた。サカキはもう小さな無数のランタンが黒玉に変わっていこうとしている。山椒の木の芽、紅葉のおてて。
《そういえば》 ツバメが飛んでいる。明野へ行くバスから見たのは、筑波山をバックに二羽力強く飛んでいた。昨日、座間の宗仲寺(来月何かやらなければならない。明日はうちのかあちゃんが花祭りの集まりで何かやることになっているその打ち合わせ)へ行って往復回り道しながらの(花の雪の中。しかしなかなか足が重くて進まないんだ)散歩でも発見!
《実は・・・》幸い左肩(まだ痛いしうまく動かないのだけれど)に明野の〈賀茂〉の直接の後遺症はなかったようだ。後シテの装束をつけて鏡の前に座って少し時間があったので、左肩を動かしていたらポキッと音がした。それが良かったか。
さて今度は〈野守〉。このサイトに舞囃子の写真を載せてくれたあの大きな鏡を「えいっ」と差し出さなければならない。
今回の〈野守〉は「黒頭」という小書(特殊演出)付き。後シテの頭が普通赤い毛の頭なのを黒い頭にする。赤いとやはり明るい、そう、童話風と言っても良いか。黒いとどこか獰猛な、鬼としてのすさましさと言えるか。白もあるがこれはやはり年功を経た神聖さのようなものがでるか。
先月の銕仙会の〈国栖〉は白だった。その前の月の〈車僧〉は赤だった。毎月変えてるんだね。
演出としてはもちろん毛の色が変わるだけではない。普通頭の上に「唐冠」を着けているが、これも省略してよいとなっていて、そのほうが只の、というか「地の中に押し込められた鬼」という感じがするかとも思うので、唐冠は無しで。扇も持たなくてもとなっていて、持っていると品が良いし、間も持つが、今回持たない。冠・扇なしは階級の外のものということにもなるか。
塚の作り物も省略してよいことにはなっているが、これはあったほうが良いので有りで。
鬼になってのこの後シテは激しい動きだが、この型(動き)も少し変わる。それは見てのお楽しみ。
前シテの尉(じょう=おじいさん)も少し型(演出)を変える。「野守の鏡」と言う名の池が出てくるが、それに何かシテが執着するような型になる。「安倍仲麻呂」が日本を懐かしんで詠ったという所は省略してもよいということになっていて今回省略するが、これは、「春日野全体」をイメージしていくのではなく、鏡を持つ「野守」のおじいさん=「野守」の鬼が「秘めているもの」に集中するということかもしれない。
さて、一体この「野守」は誰なのか?この鏡は一体何なのか?
当日パンフレットに奈良にお住まいの和田萃(あつむ)先生(京都教育大学名誉教授古代史専攻)が何か書いてくださるようなので期待したい。
雨が降ってきたらしい。さて稽古にいってこようか。
それから国立のコスモスさんに肩と全身の鍼治療に行ってこよう。
まあ鍼に行けるまで元気になったということだわい。
出かけようと下に下りたら、「おからやる?」。フライパンでおからの乾煎りをやる。これがサクサクとして気持ち良い。いつも私の係り。今日の仕上げはこの前摘んだうちの蕗入り。早速に昼ごはんに食べて出かける。
この前からずっと日記途切れている間、こういうのを自分で「復活の○○」と題名だけずいぶん名づけていた。例えば「復活の土筆摘み」、「復活のゴマすり」、「復活の風呂掃除」、「復活の梅の剪定」・・・。だけどなかなか本格的に復活しなくて文章が実際にものにならなかった。今日は「復活のおから煎り」!ああようやく文章になった。ようやく復活は本格化しました。さあ、鏡をしっかり持とうね。
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