響の会〔清水寛二・西村高夫〕
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●2008年06月
〔'08/06/28〕初めての110番 摩文仁の丘 浦上の丘 【162】

 今朝は座間のお稽古。チャリンコで行く。
 《実は・・・》この自転車この前盗難にあった。うちの庭から(私が鍵着けたまま置いといた)。朝起きて見たらばないので、初めての110番!パトカーが来たら・・・と思っていたら、駅前交番からお巡りさんがカブでやってきた。
 もうだめだろうと思っていたら、25日の朝早く警察から電話があって見つかったという。そしてすぐ持ってきてくれた。ありがとうございました。中学校の近くに乗り捨ててあったらしい。鍵だけ取り替えて早速乗っている。

 午後はお昼食べて、バタン!夕方まで寝る。それから少しチョキチョキ。花の終わった紫陽花や葉っぱの重なったモッコク・・・。
 この前庭に咲いている花を数えてみた。
 キキョウ・白蝶花・三つ葉・都忘れ・野蒜・カタバミ・大カタバミ・庭石晶・露草・ホタルブクロ・紫陽花・ドクダミ・のたで・ちび赤まんま・薔薇・南天・孔雀キキョウ・ホルムチカ・ブライダルベール・トマト・シクラメン・名も分からない草・・・。
 この狭い庭に20種類以上の花が咲いていた。あじさいはもう終わりなので刈る。
 この前〈皇帝〉の時、ツレの楊貴妃に掛けていた掛け衣は、紫陽花の柄の縫箔。榮夫先生が中国で刺繍させたもの。

 ああ一週間。


●21日 響の会 大失敗
 初めての〈皇帝〉。全体にはまずまずかな。あとの打上げでももっと出てもいいのではないかという意見があったから、よかったということか。
 しかし、やること一杯だから、開演二時間ちょっと前に楽屋入りしてからまったく休む暇無し。
楊貴妃の入っている小宮の向きに二説あり。私はワキに向かって〈楊貴妃〉で出している向きを採用する。悪鬼も無事幕に飛び込んで怪我もなくよかった。さてこれで様々な災いをはらうことが出来ただろうか。

 ああ、しかしいくつかの大失敗!
 出演料は同人二人交代で一人ずつお渡ししているが、約一名封筒がなかったのに気づかず、渡しそびれる(青山能のときお渡しする)。申し訳ありません。
 そして気にはなっていたのだが、開演時間をチケットには1時と印刷されていて(本当は1時半)、いつからか手書きで修正していたのだけれど、それ以前にお渡ししてしまった分についてのフォロウをきちんとしそこなってしまった。
 早く着かれた方々、申し訳ありませんでした。
 《実は・・・》チケットの席番の判子押しをやったのは私です。その時に開演時間に気がついていたら良かったのですが、ポンポン押すのに気持ちよくやっていて・・・、大変失礼いたしました。


● 22日 浦添よーどれ
 朝6時に起きて沖縄へ(慰霊祭出席のため)。
 今日は慰霊祭前夜祭が摩文仁の丘の平和祈念堂で行われるので、それにと思っていたが、又吉静枝先生の琉舞の会が、浦添市の「てだこホール」であるとのことで、そちらにうかがう。前から二番目の席にて。子供たちもたくさん出て楽しい会。先生と妹さんの玉城千枝さんとの息のあった「加那ヨー天川」。とっても素敵。
 会の前に浦添城址付近を探索。ここは首里の王宮が営まれる以前に王宮のあったところ(以後浦添氏の住いとなっていたが、薩摩に焼かれてしまった)。浦添ようどれは当時の歴代の王の墓。ともに沖縄戦で破壊されてしまった(最大の激戦地の一つ「前田高地」―荻原達子さんが習った沖縄学の外間守善先生はここで戦い奇跡的に生き延びた―が続いている)が、現在ずいぶん復元されてきている。ようどれからは東方の霊地、久高島が見える。北には普天間から、嘉手納、読谷が。もしかしたらこの「浦添」は、探していた沖縄の能をまとめるヒントになるかもしれない。
 後は例によって、首里の島寿司さんへ。


●23日 沖縄戦全戦没者慰霊祭
 琉大医学部3年の仲村君が迎えにきてくれる。南部、摩文仁の丘へ。平和公園特設テントの中、一般参列者の席に。11時52分より。首相、衆参両院議長他挨拶や県知事の平和宣言、小学生の詩の朗読、献花、全員での黙祷など。自衛隊や米軍の司令官たちも参加している。梅雨のあがった沖縄は暑い。
 終わって平和の礎(いしじ)に。沖縄戦での全戦没者(県外海外の方も含めて)22万余の名前が出身地ごとに、黒い御影石に全員刻まれている。
 参拝の長崎県出身の方(現在は奈良県大和郡山市在住)とお話しする。父上が「小禄(海軍の沖縄司令部や飛行場があった)方面」にて亡くなった。御本人は当時6歳。
 帰りに、健児の塔・ひめゆりの塔に。ガマは涼しい。身が震えてくる。

 夜、県庁のIさんと語らう。島寿司さんへも。Iさん曰く「こういういい店の近くに住まなくては」。彼は首里に近い浦添市在住。私は一人でカウンターにお座りになっていたご婦人より「あなたなんかに沖縄のことは分からないから、お帰りなさい!」と言われる。その人が帰った後でみんなが怒ること怒ること。大丈夫、私はまた来ますから。
 Iさんは今月二人目のお子さんが生れたとの事。遠慮せずにもっと早く言って下さいな、奥さんがだんな様の帰りを待ち焦がれているんでしょう。

 ホテル(今回は松山の繁華街の中)に帰って新聞を見たら、沖縄タイムスの夕刊の一面、慰霊祭の写真に一般参列者の焼香のところ、ありゃー、私が大きく写っているではないか。フロントのお兄ちゃんに2部頂戴する。


●24日 首里城正殿
 県立芸大に。すぐそこにあるのになかなか行けなかった首里城の正殿を見学。なんと昨日平和の礎でお会いした奈良の方とまたお会いする。その時たまたま横にいらした方が、大宮薪能やサントリーホールでの能を見たことがあるとおっしゃる。どうぞ今度は響の会に。
 芸大の前の「あしびゅーなあ」でお昼(ゴーヤチャンプルー定食)を食べていたら、またその方々と。これから石垣へ行かれるらしい。

 多田先生の「沖縄残月記」、そろそろ実現に向けて具体的な事を。


● 25日
 自転車戻る! 早朝の「座間警察です」との電話にはびっくり。
 10時歯医者。
 16時青山能研究公演〈百万〉鵜澤光。
 18時半青山能〈鵺〉柴田稔。これは私は後見。今回装束は相棒の谷本君に着けてもらう。今日は普通の赤頭なのだけれども、演技・演奏に白頭風のところがいくつかあって遺憾。
打上げは失礼して、青ロマンで帰る。


●26日 長崎の聖母打ち合わせに福津市へ
 また機中の人。大鼓の白坂信行君(彼はJALで、私はANAだった)と福岡空港で落ち合って彼の車で福津のカメリアホールへ。途中でラーメン。
 制作上の打ち合わせいくつかと舞台面での打ち合わせ。
 今回〈長崎の聖母〉は3回目の上演だが、初めてのホールでの上演。舞台をどう作るか図面上で書いていったことが、実際に現場に立ってみるといくつかの変更点。ホールの技術スタッフの方と検討。仮花道は使うが、能舞台の形を活かしたところも。結構時間かかった。宿題もいくつか。
博多20時発の長崎行き特急に。
 中町教会で打ち合わせ中のSさんを尋ね、やっぱり銅座の「鷹」さんへ。客は私たち二人。出て1時半か。このSさんが「清水さん、能でなんか原爆の慰霊のものが出来んとやろか?」とおっしゃったのが〈長崎の聖母〉のそもそもの始まり。「去年に引き続いて今年も8月9日に上演できます」と報告。今度は沖縄に取り掛かっています。Sさん「沖縄には・・・。」 もしかしたらルートが出来るかも。よろしくお願いいたします。


● 27日 浦上の丘 恵の丘
 9時過ぎにホテルを出て、まずは松山の原爆爆心地へ。しばらく木陰のベンチに。原爆が炸裂したのはこの頭上、8月9日11時2分。
 Sさんと浦上のカトリックセンター、そして浦上天主堂へ。平野神父に御挨拶。お互いにこの天主堂での初演の感動を。
 宝来軒でチャンポンとチャーハン。
 Sさんと別れて原爆資料館へ。ここのロビーで昨夜の鷹のママさんにばったり。「あらーっ!」
小学生や中学生の見学多くあり。アメリカ人の若い見学者も何人かあり。
 三山(みつやま)恵の丘の長崎純心大学へ。結構遠いが、自然の中でいい環境。片岡学長が新しくなった博物館を案内してくださる。〈長崎の聖母〉の写真も。
 帰って如己堂、永井隆記念館へ。今年は永井博士生誕100年だった。(2月3日。なんとその前日に、娘さんの茅乃(かやの)さんが亡くなった。)私は〈長崎の聖母〉の後シテに少し、永井博士の奥様(永井氏自筆の絵が資料館にあり)のイメージを持っている。

 19時のフライトにて東京へ。満席、4人掛けの真ん中で、ワインを飲みながら(結果2本)「ふっー・・・。能というのは、本当に死者との交信だな。」
 ああ、この前沖縄の帰り、飛行機に携帯電話を忘れた。電話をしたら幸いあったので、そしてちょうど折りよくまた飛行機だったので羽田で受け取れたが、今度は忘れ物無いように。響の会から忘れ物続いてるからね。
 羽田からは相模大野行きのバス。「しまった!ワインのおつまみを一つ、座席ののポケットに入れたままだった!」

〔'08/06/19〕約一名線路上を逃走中! 【161】

 今日は明後日(6/21)の響の会の申合せ(10時より水道橋・宝生能楽堂にて)と明日(6/20)の国立能楽堂の〈安達原〉の申合せ(三時から国立にて。シテ長山禮三郎氏)。響の会申合せは、〈隅田川〉〈皇帝〉の順。〈隅田川〉は高級な曲だけど、みんなよく分かっているから、初演のシテの演技の目処がつけば大丈夫。〈皇帝〉の方は慣れないから、それぞれの分担、仕事をきっちりやってみないとわからないことがいっぱい。一畳台二台。作り物も二つ。鏡の作り物は謡本に古式と書いてある方を使うが、これの飾りは昨日西村さんが試行錯誤、何時間かかかってやってくれた。登場人物も多いので、幕上げが15回は最高か?全員揃っての稽古は今日のこの一回だけだから、気を入れて!幾つかの点で「ああして下さい。こうして下さい。」「こうですね。ああですね。」悪鬼との戦いもほぼうまくいったし、悪鬼が切られて倒れて幕に飛び込む所もOK!悪鬼に何点かの注文を出したが、まあ今日やってみて桂三君も目処が立って安心したことだろう。楊貴妃役の谷本君は、ただジッと座ったまま。足も痛いし、大事な役だし、一番演技が難しい役かもしれない。あと二日、もう一考えを。

 さて私の鍾馗。先ずは皇帝役の宝生閑先生の貫禄にあやかろう。前シテの出を工夫してみた。方針はこれで、もう一考えか?腹の座り加減か?しかしちょっと悪鬼を切るところで、いきがって拍子を強く踏み過ぎた。あきまへんえ。

 〈安達原〉の申合せ終わって青山に一度寄り、装束やチケットのことなど確認して帰る。
 今日は六時すぎの唐木田行きの青ロマンスカー、新百合ヶ丘まで。昨日は稽古日終えて9:46の青ロマンで町田まで。これが二時間かかった。先ずは経堂での人身事故!通過したと思ったら、今度は柿生の線路上で客同士のトラブル!約一名線路を逃走!しかも警官が追いかけているから運行の見込みが立たない!幸いお弟子さんから貰った大太巻きを持っていたので、二つ食べる。あぁ、いつかずっと昔、大阪へ後輩の結婚式に行くのに、新幹線止まって何時間も缶詰になった時、ういろうだけ売れ残っていたので二本食べたら甘くて気持ち悪かったな。あの時は電気も止まって、電話も通じないし困ったな。結婚式でも初っ端に謡を謡うはずの奴が連絡無しに姿を現さないのは困っただろうね。

 あぁ、彼はこの前の東寺の一石仙人を見に来てくれた。今度またゆっくり飲もう!

〔'08/06/06〕蛾眉山月 谷戸の田圃は蛙の大合唱 あっ、蛍が 【160】

 まったく何日ぶりだろう、午後から体が空いた。

 9:30より小早川修氏の修能会の申し合せ。〈賀茂〉と〈井筒〉。於観世能楽堂。
 代々木八幡まで歩いて小田急線。楽屋でお弁当(百万石のいつもの)食べてきたので、うなぎの「吉野」も素通り、素直に帰る。電車でよく寝る。

 帰りの駅からがなかなか道はかがいかない。梅雨空が晴れて暑くなった。足重い。
 帰ってミルクコーヒーにカステラを食べて、やっぱりバタンキュウ。夕方おきて外を見れば蝙蝠が二羽飛んでいる。おおチャンスだ、かみさんと谷戸山へ。

 丹沢の上に二日の月。通り抜ける森の中はぐっと暗い、まだ空は白いのに。谷戸の田圃は田植えがまだ。暗くなるまでしばらく蛙の歌でも聴いていよう。こっちで鳴く、あっちで鳴く、そのうち大合唱になってくる。そうすると暗闇が迫ってきて、水の流れの際の植え込みに、ふとホーッと光るもの。何か反射かと思って目を凝らしていると、明滅する。それがいくつか、あっ、あそこにも。そしてやがてふわりと飛び始める。明滅しながら流れの上でランデヴーするものも。
 〈葵上〉に「沢辺の蛍の影よりも、光君とぞ契らん・・・。」と目の前の扇を右に払いながら左右に飛ぶ蛍を追い、角に止まってぼっーと正面を見る型有り。来月銕仙会に〈葵上〉出る、長山桂三君。谷戸山から帰って彼に電話。

 ああ、このところよく働いた。5月後半から17日間に17公演。その中に〈千手〉のツレ(青山能)、〈蝉丸〉のツレ・〈岩船〉のシテ(清門会)と装束を着るものや、新作能の〈薔薇の名〉などいくつかの主後見や地頭など、責任の重いものが続いた。なかなか充実した日々。


◎ 清門会
 5月24日、10時から19時、会員それぞれにきちんとした舞台をつとめてくれた。20歳から82歳まで。若い人たちは人生の「ずっと先輩たちが若い!」と言い、高齢の方々は「若い人から元気を貰った!」と言う。私もほとんど全曲に出てから〈岩船〉はおまけだったが、謡ったり舞ったりすることの楽しさを満喫した一日だった。20回の記念がしっかり刻まれた。また次回よい会に。

 能は〈誓願寺〉と〈蝉丸〉。ずいぶん大きな声で厳しい注意もしました。二人とも、目に涙をためてよく耐えて稽古してくれました。私も、ここはこうするのだなと発見したこといくつも有り。
〈誓願寺〉はこういういわゆる素人会では、出ない曲。大変だからね。何曲か舞ってきたからできる曲。本人のたっての希望。面も本人所蔵の〈孫次郎〉。以前はまだあどけなさの残る表情だったが、今回稽古で掛けてみたら、割合キリッとして大人の色気もあり、「これでいってみようか」。自身のものを掛けることが自信に? 正解。一番最後の場面にあと5センチで舞台から落ちる!という特別な見せ場もあったけれども、よく落ち着いて舞っていた(ようには見所に見えただろう)。
 〈蝉丸〉のシテ「逆髪」の役は今回最年長。面は掛けずに小さな黒頭に直面、緋の大口裳儀胴姿でやってみる。背中もよく伸びて声も凛として「若い!」。私が弟の「蝉丸」の役。面は銕仙会所蔵の新面の「蝉丸」。これは普段あまり使わないもので、掛けてみると視野が狭い。それでシテがどう舞っていたか、実はよく見えなかったのだが(しかも《実は・・・》私も初役! 最後の別れの場面では「あれあれ泣かずに行っちゃうよ、お姉さん!」ということもあったが)、よくシテの位と品格をきちんと保って、精一杯元気にやっていたよう。

 この日会員にお付き合いくださったシテ方・囃子方・ワキ方・狂言方の玄人の先生方もよく守り立ててくださってありがとうございました。
 打上げも結構深夜に及んで、私はシンデレラになったところで帰ったが、まだずいぶん残っていたな。ほい。


◎ ナンタケット・バスケット
 25・26日は、浅見慈一君のところの代々木舞台で、ボストンのナンタケットバスケットの展示会とコラボレーションした能のパフォーマンスのお手伝い。
 去年秋のボストンでのワークショップのときお世話になった「えっちゃん」の主催。(ブルーマンに連れて行ってくれた「ゆう子ちゃん」も来ている)。
 このバスケットの姿には海の香りがする。と思ったら、ナンタケット島はあの「白鯨」の舞台だったんだね。エイハブ船長。高校時代か、興奮して読んだな。えっちゃんの解説でよくその由来がわかった。また秋にボストンに行きたいと思う。来年を目指しての「一石仙人ボストン公演」もよろしく。


◎ 仙台〈隅田川〉連続公演
 27がリハーサルで27・28・29日、5公演。狂言は〈鬼瓦〉(山本家)。
 市民会館、計5000人のお客様!生協の主催。去年ここでこの団体に能のワークショップ。ボストンのワークショップで隅田川をやったことからこの公演につながったような。
 はじめに私の担当で、お客様モデルの装束付けと、隅田川の一節を「一緒に謡ってみよう!」。狂言と能の時は、ホールの舞台の両横に詞章の投影。これもきれいにうまくいっていたような。舞台の上も気が入っていたし、お客様にもよく見ていただいた。

 夜は、牛タンはやめて毎日魚介類。カキにホヤにタコに・・・。
 一つ残念だったのは、初日リハーサル(私が地頭)で、ある人を大声で怒鳴ってしまったこと。今まで何回か注意した事をまた言わねばならなくて、そしたらなにかつべこべ言うのでつい・・・。仙台にいる間、せっかく気持ちよく滞在するはずがエネルギーをそがれて困った。しかし、どうやって君は自分の能を作っていくつもりなのだ?


◎ 塩尻 岡谷
 6月1日は塩尻能。〈半蔀〉の「立花供養」(シテ鵜澤久)と〈融〉(シテ浅見真州)。〈半蔀〉は後見で、正先に花(広山流―暮れに亡くなった久さんの母上はこの流儀の高弟だった―の家元活ける)を出す。重い! 〈融〉は地頭。大鼓は亀井忠雄先生で、なかなか・・・。いい曲だね。
弁当は食べる時間なし(帰りの電車にていただく)。

 帰りに西村さんと岡谷で降りて、荻原さんの御墓参り。この前の一周忌にはこられなかった。妹の純江さん来てくださる。ちょうど昨日が母上の命日だったけれど雨でお参りできなかったので、今日参ったところとの事。一年たってようやく落ち着いてきたとの事。大阪の反核能の方々が大阪へ呼んでくれた事などお聞きする。
 私は町田から八王子経由。中央線に乗れば、あの日八王子から初対面の荻原さんの御姉妹と一緒に半信半疑で穂高へ向かった車内で(連休で込んでいて立ったままだった)見た山川を思い出す。ああ、純江さんの表情も少し和まれたようだ。


◎ 修善寺あさば
 3日は、朝稽古能(〈隅田川〉・〈藤戸〉)のあと修善寺のあさば能へ。
 舞台移築100周年記念公演の一つ。〈翁〉(シテ銕之丞・三番叟万斎)。
 〈翁〉は100年にして初めての事とか。舞台の内外に厳粛且つ躍動感みなぎる〈翁〉の世界が広がる。いつも〈翁〉の舞台に出るときはうれしいものだが、こういう記念すべき時に出会えるのありがたいこと。
 私は西村さんと後見。通例の能とは座る位置も異なるが、この位置から見る〈翁〉の舞台も格別。ただし楽屋での差配、舞台上で面紐を縛ることなど責任は重い。はじめ幕が上がる前に少し幕を開け、舞台や見所に向けて切火を切るのは大変晴れがましいもの。幸い開演までには雨は止んだが、橋掛かりの後ろを素襖では歩きにくいので、終わって舞台からの引き方を通例から少し変えて、地謡後見が囃子方の後に従って幕から帰る。
 終演後は例によって修善寺からの電車内にてうなぎのお弁当を開ける。ロングシートだから食べにくいけどね・・・。
 私は、新幹線小田原から小田急線にて。


 昨日・一昨日は、青山と銀行のお稽古。会のあとなので少しスローに。「今度の仕舞は何にしましょうか?」また何か新たな面を探っていきましょう。

 また蛍は来年に会えるかしら。子供の頃田舎では「乱舞」だったね。蚊帳の中まで入ってきてホッーと光っていた。谷戸山の蛍、数は少ないけれどなかなか切なく美しく舞ってくれました。ありがとう。

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