昨夜は(ホテルの周りは客引き一杯で落ち着かないので)結局また首里都ホテルとなりの島すしさんへ。いつもの人たち。今日は大将の宮古の高校の同級生のグループも。ハブ酒を頂戴する。おお、後で効いてくるか。泡盛は瑞泉の古酒。大里さんが日本酒をついでくれたけれど、申し訳ない、もうお腹一杯だし、もう飲めないので・・・。またこんど。2500円。 今日はまず浦添市立美術館(てだこホールの隣)へ。(ああしかしホテルの朝食にパンがなくなっているのは悲しい。おにぎりはあるのだけれどね。)常設展は「漆器」。それから市民文化祭の絵画・書・写真など。残念ながら図書館はお休み。(暑い。美術館のトイレで肌シャツを脱ぐ。)山(丘)を登る。食堂「城」で「肉野菜炒め定食」。浦添ようどれ館へ。ガイドをお願いして(幸い理事長さん)約2時間、浦添城(ぐすく)跡や「ようどれ」を案内していただく。なんと さんも昨日の国立の組踊を見ていらした。徒然草のごとくやはり知った人の案内があるといいね。日米両軍が必死で奪い合った「為朝岩」の下まで。ここが外間守善先生が戦った沖縄戦最大の激戦地といわれた「前田高地」か。戦後すぐには草木一本もなかったらしい。このどこかで薪能が出来たら。また来ます。 沖縄タイムス本社へ。一階のギャラリーで古い琉舞の写真展。芸大を今度三月で定年になる佐藤太圭子先生・又吉静江先生、若い!あ、志田房子先生も。後でお会いします。 牧志の市場へ。ケイちゃんとユウ君がバイトしている三線屋さんへ。2階の工房へ。おお、ずらりと作りかけやら材料やらいろんな三線が・・・。 ああ、飛行機でその後まで書けなくて、実は今日はもう12.8!(えっー、二週間も経ったのか。) その日そのあとは桜坂劇場で志田真木さんの会を見て、最終の飛行機に飛び乗り帰ったんだ。そして「夜間飛行の耳にまだ三線の音が・・・」となる次第。しかし日が経って、委細省略させていただこう。 この二週間に響の会の〈玉鬘〉シテを含めて、八つの舞台やお話あり。お疲れ様!皆さん、ありがとう!ああ、少し緊張からほぐれてきたような。 しかし、今日は米軍のジェット戦闘機が随分飛んだな。(ここは神奈川県座間市なり。)また土曜日に沖縄、国立劇場おきなわ組踊公演を拝見に行きます。そのときに日記何か書けるかな。今日は半月を少し過ぎたから、向こうで満月になるか。「月のかいしゃは・・・」
今日は「国立劇場おきなわ」での「第五回研究公演」を拝見。 琉球王の王位継承認定のための中国から来た「冊封使」接待のための「御冠船踊」の舞台復元のための研究公演。首里城北殿前の「うなー」に設えられた「舞台」を国立劇場の舞台の上に復元。下手奥深い角度で短い橋掛が有る能舞台様の舞台。屋根はもともとあるのだが今回は照明等のため割愛とか。 第一部は又吉静枝師監修の琉球舞踊五題。最初の老人(若い石川・嘉数コンビ)の第一声「あーとうと(尊い)」が舞台全体を清め、その冊封使の宴に時空を超えてつながった。後の若い人たちの舞ぶりの気持ちよさ。又吉先生お疲れ様、ホッとなさったでしょう。 第二部が瀬底正憲師指導の組踊「二童敵討」。敵討ちの二人の兄弟の弟、亀千代役に今年芸大での学生(この国立の組踊の研修生でもあった)金城真次君。いい童振りだったよ。 公演の前に沖縄県教育庁生涯学習振興課、生涯学習推進センター主催の「沖縄県民カレッジ美ら島(ちゅらしま)沖縄学講座」の(5)「国立劇場の概要と組踊への誘い」に入れてもらう。小劇場にて劇場の紹介(棚原憲一氏)と組踊の解説(大城学氏)。 公演の後にレファレンス・ルームを見る。今度公演ビデオや資料を見に来よう(その後又吉先生の妹さん玉城千枝先生に夕食を。ごちそうさまでした。今度浦添にて何かお手伝いできましたら)。 昨日は夜、県立芸大奏楽堂での琉球芸能専攻の学内演奏会。プログラムがよく分からずに行ったのだが、古典曲独唱等の後、第二部は去年教えた学生(今4年生)6人の女子(国指定無形文化財の組踊は男子のみ)で組踊「手水の縁」。ああ、よく練習したんだな。去年よりぐっと舞台姿が安定して「美しく」なったよ。 地謡の間、じっとしてる演技もあり。「組踊」は見るだけでなく、「組踊」を聞くという言い方もあるそうな。やっぱり琉歌! 立ち方のせりふを「唱え」というらしいけれど、これと地謡が重なるときがあり、これも結構面白い。 打ち上げは失礼して、例によって池田さんと「桃太郎」にて、泡盛は「菊の露・ゴールド」。今度、沖縄県東京事務所、うかがいます。 8・8・8・6字の琉歌。今朝の琉球新報を見たら本土の新聞の短歌・俳句投稿欄にあたる所は「琉歌」! さて今夜の泡盛は?
また沖縄へ向かう。 21日 県立芸大琉球芸能専攻学内演奏会 古典音楽の演奏と組踊「手水の縁」 22日 国立劇場おきなわ研究公演 古典舞踊と組踊「二童敵討」 23日 「志田真木の会in桜坂」 琉球舞踊真木さん初の沖縄での単独公演 羽田までの電車、小田急で海老名まで、それから相鉄にて横浜まで、あとは京急。安部公房の「砂の女」の続きを読む。この文体! (私もやってみたい。) 女優の金沢碧さん(昨年新島でのガラスのワークショップでご一緒した)が、ニューヨークで一人芝居としてこれをなさるそうで、その中で能の演技や舞を考えていらっしゃり、昨日からお稽古。当日は来年5月4日、私も伺いたいが、残念ながら公演あり。さて稽古がどう進んでいくか、楽しみ。 機中、新聞は朝日と日経読む。アリャ、両方北海道版だね。両紙ともに前田美波里さんの資生堂全面広告が2面!日経文化欄に琉歌の記事あり。前城淳子さん、琉大准教授。近代琉歌の研究で今年度中原善忠賞受賞。琉歌は和歌と違って8・8・8・6字30文字。記事の頭に一首あり。「秋や百草も 物よ思みましゅら 庭のかるかやの 露のしけさ」 飛行機は今日は那覇空港に南から進入する。喜屋武岬から。右手に摩文仁の丘、平和祈念堂も見える。風力発電の大きなプロペラもいくつか。低空飛行のグラマンからは全部丸見えだよね。 到着は結構遅れたね。1時半過ぎモノレールに乗って見栄橋駅へ。まず琉球銀行へ行って振込み。明日富士高の時の川島第二郎先生の聖書に関する出版記念会あり。残念ながら欠席会費。 あさっては泰明小学校のクラス会もあるのだが残念ながらそれも欠席。 銀行からはまず沖縄そば。ソーキそばにジュウシイ(沖縄風炊き込みご飯)。 そしてホテルチェックイン。予約を忘れていて昨夜予約。松山(いわゆるナイトスポット!)のホテルソルヴィータ。 玉鬘を少し謡う。このところ、うちの梅ノ木のてっぺんまで延びた夕顔最後の蕾が寒くなったからか、咲ききらない。今夜ぐらいはどうだろう。あれは夕顔の子で玉鬘か。この前から玉鬘研究会、響の会の集いと〈玉鬘〉について皆さんと語る機会が重なり、また銕之丞師にも稽古を見ていただいた。キリの仕舞の部分に普段と違った型の示唆あり。うん、その前をこうして・・・。 そういえば、この前の銀行のお稽古も源氏物語の曲が多かったね。〈須磨源氏〉〈夕顔〉〈浮舟〉〈半蔀〉そして〈玉鬘〉。当日の装束や面のイメージもまとまってきた(チラシとはずいぶん違うかも。そしてこの前の銕仙会での西村さんのとも)。この曲の分かりにくさにはやっぱり夕顔と源氏の影を考えるのがよいように思う。そして禅竹は「長谷の玉鬘」として書いたのではないかと思う。今回「長谷寺」へは行ってこれなかったけれど、ああ行きたかったな。 しかし、ああ僕は病んでいるか。部屋がかたづかない。出てくるときは資料やなんだかをかき回してわーと出てきて、帰ったらひっくり返して、もうだめだね。 そして気がついたらチケットを売っていない。〈玉鬘〉のチケット持ったままだね。あかんわ。 ああ、この部屋は冷房が入っている。やっぱり暑いからシャツを一枚脱いで出かけよう。
昨日は青山倶楽部の稽古。目黒の区民センターにて、2時より5時。久しぶりの人も含めて男子3名女子3名。仕舞〈井筒〉〈班女〉〈殺生石〉〈鍾馗〉〈葵上〉〈田村〉。謡は男子が〈玉鬘〉、女子が〈隅田川〉。 帰りに、雨降って寒いから(権の助坂の途中)ラーメン屋さんが多いしどこかにと言っていたら、沖縄料理の店があったので、ついそこに。「オリオンビール」から、泡盛「北谷長老(ちゃたんちょうろう)」へ。北谷はいつも沖縄で世話になる仲村君(稽古に来ている彼らと同世代)の住所。「ミミガー」「ジーマミーどうふ」「ひらやーちー」「島だこ」「ゴーヤチャンプルー」・・・「沖縄そば」。 今日は国士舘21世紀アジア学部の授業。14:40より二コマ。仕舞〈熊野〉。12月の最終講義ではその仕舞で試験!覚えてくださいね。響の会の〈玉鬘〉も見に来てくださいね。 一昨日は熱海のMOA能楽堂で「秋麗の演能会」。旅館の「石亭」さんの主催、長山桂三君の承り。能は桂三君の〈羽衣・和合之舞〉と銕之丞師と二人での半能〈石橋・師資十二段之式〉。私は〈羽衣〉の後見と〈石橋〉の地謡。〈羽衣〉で扇を広げたら裏になっているではないか!アリャどうしたんだろう?シテは気がついてないようだったけれども、しかし、すみません。 終わって東中野の梅若能楽堂での、新作能〈花供養〉の稽古へ。多田富雄作。白洲正子さんの没後十年追悼能(本番は12月26日国立能楽堂にて)。シテ梅若六郎(今度改名をされるらしい)師。私は後見。真野響子さんがアイ狂言のような途中で白州さんのことを語る役で特別出演。これが初めての稽古。NHKの取材あり。しかし西へ東への一日だったね。 二昨日は、朝〈玉鬘〉を山本順之師に見ていただく。いくつかの課題とヒントあり。このところ自分で、変わってきたなと思うところあり。さてそれをもっと活かして。正直言えば〈玉鬘〉はつかみ所の無い能だけれども、当日までにはもっと面白くなっていきそう。 終わって順之師が「〈芭蕉〉を謡ってくれないか?」。今度国立の公演であり(次の火曜日の稽古能にて)。銕仙会内弟子の安藤君と二人で謡う。しっかりした能なので、逆にできるだけは軽く謡いたいところ。しかし、キリが乗りすぎたか。 それから久しぶりの荻窪へ。(高校時代から数年荻窪駅から青梅街道を少し外に行った杉並区桃井4丁目に住んでいた。)杉並中央図書館にての「知的好奇心応援教室〜大人の国語〜落語・能・昔ばなし〜」。まあ、よい老後をという講座(ああ、その前の日は横浜の小学校でワークショップだった)。私は二回を担当。初めての今日は「世阿弥に学ぶ「老年学」―散らずで残りし花(佳き老年とは)」。2時間結構あっという間。つい〈井筒〉の話なども。「風姿花伝」を久しぶりに音読。なかなか音律いいよ。しかし時間がなくなってきて、一部分しか読めなかったので、実際に謡を歌ってみるという次回も「風姿花伝」読もうか。 それから青山へ戻って、早稲田の学生の稽古。この前の発表会を終えて、執行部が交代、新しい執行部の挨拶あり。こちらこそよろしく。厳しく楽しくいこうね。しかしまあこのところ少人数だから、仲良くやって、まずは来年たくさん人を入れよう。 帰りの電車でまた〈井筒〉のことを考えていたら、業平の「筒井筒 井筒にかけし・・・」の歌と、紀有常の娘の「比べこし 振り分け髪も・・・」の歌のことで新発見あり。前シテの登場で謡う「西」への執着が、この曲のテーマの一つと私はお話しているが(このことはあまり言う人がいないみたいだ)、それを補強する要素になりそう。もう少し暖めてみよう。 今日の晩御飯は今年最後のムカゴご飯。粒は小さいし数も少ないが、「うまい!」。 山芋の黄葉は「侘び」。ムラサキシキブの玉も少し色あせてきた。おう、〈夢浮橋〉の宇治公演が土曜日か。思い出しておかねば。夕顔のつぼみが開きそうになって昨日から咲いていない。12月の気温とか、さすがにもう寒いか。明日も雨か・・・。
今日は茨城県桜川市での国民文化祭、能は〈桜川〉に〈土蜘蛛〉。帰りのバスの中。ずっと常磐道は渋滞の中。さっきまで笑い声も聞こえていたのに、みんな疲れが出たのか、寝ている人も多く、しずかだ。 昨日は座間市での「ふるさと祭り前夜祭 いさま能」。市の協働町づくり課が主管。私は〈井筒〉を舞わせて頂く。会場のハーモニーホールは私の家から歩いて3分か。朝の9時から舞台の仕込みのお手伝い。銕仙会から事務所の武川君が来て、そして照明の野地さん。ホールのスタッフと市役所の人達と。 一昨日うちの周り色々歩いて、〈井筒〉の作り物に使うススキを物色する。いいのもあったが、結局当日市役所の方が相模川のほうから。 公演は最初に遠藤市長(10月1日から新任)の挨拶、野暮なことながら私の解説10分。狂言は山本則俊さん一家。〈佐渡狐〉。一昨日は〈狐塚〉。狐が続いたね。座間では狸は見たことあるけどね。しかし井筒はよくできた曲だ。(私の謡はちょっと〈野宮〉になりそうであせったけれど。)地謡に注文あり。やはり「コミ」をしっかりとって、つめて謡わなければ。よく分かった。 一昨日は響の会〈善知鳥〉。皆様お疲れ様でした・・・。 時は移って今日はもう4日。 昨日は結局、久しぶりの庭のチョキチョキとお昼寝。ああ、また片付けはできなかった・・・。 山芋のムカゴがそろそろ終わりか。枯れ始めた蔓(黄葉のきれいなところは残して)や、南天がモサモサ茂ってしまったところをとる。 夕顔が梅ノ木のてっぺんでまだ咲いている。 今日は稽古能二番。〈巻絹〉と〈善知鳥〉。午後から青山稽古日。お休みの人もいて、ゆっくり稽古。ぴったり9時に終わる。青ロマンにて帰る。 明日はセルリアンにて来年の〈沖縄残月記〉の打ち合わせ。琉球舞踊とのコラボレーション、なんだか楽しみな催しになりそう。 この前からソフト娘、沙羅が活躍しているらしい。満塁ランニングホームランとか、一試合2三塁打とか。報奨金を弾んじゃおうかしら。マンドリン娘は大学院に行って(授業料が終わらないんだね)熱帯雨林をやるとかのうわさ。石っ子蓮さんは今月末にまたペルーとか。私はまた今月も(そして来月も?)沖縄へ行きますよ。