響の会〔清水寛二・西村高夫〕
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●2010年01月
〔'10/01/17〕淡路の国生み 国揺すり

今日は淡路阪神大震災から15年。
あの時、銕仙会では特別予算を組んで義捐金を送ったが、私自身は何もできなかった。
それからも何もできていない。

昨日は早稲田観世会OBの青山倶楽部の稽古。
終わって、私の誕生日祝いを兼ねて新年会(青山骨董通りの「ぼこい」にて)。
久しぶりに女将さんの笑顔に会えた。内弟子時代からだから、30年以上変わらぬ笑顔。
今年は年女だったかな? お元気で!
11月の響の会にいらしてくれたのに、ずっと伺えず、幹事さんの計らいに感謝。

私の誕生日は1月11日。満○○歳(聞かれるとこのところ何年も35歳と言っているが・・・)。
今年はちょうど成人式の日、銕仙会初会があり「淡路」の地頭だった。
朝起きてかみさんに言われるまで、自分の誕生日だと気が付いていなかった。

淡路島・神戸は実は私の故郷の一つ。
4歳まで明石海峡に臨む江崎灯台(今は無人。別府航路や山陽線で西に向かえば、 明石大橋を過ぎてすぐピカーッと光っている)に住んでいた。
そして、淡路島の後は10歳まで神戸に住んでいた。

父は大阪府寝屋川市の出身。河内のあんちゃんが戦中戦後のどさくさの中で灯台守(海上保安官)になった。
母は奈良県御所市(葛城・土蜘蛛の里)の生まれ。戦中戦後のどさくさの中で灯台守の妻となった。
神戸以降は灯台からは離れて、海上保安庁の施設や総務などの仕事。
ちょうど沖縄に赴任している時、どさくさに紛れて私は銕仙会に入門した。
今は田無(西東京市)に二人して住んでいる。元旦には久しぶりに伺いました。
時々入院したりしているけれど、どうぞ元気に過ごしてください。

私の初めての自分の会は『淡路の会』という名で「淡路」を舞った。
それがのちの「能において地を照らす試み―地照舎」の発想につながり、葛城・土蜘蛛からいろいろな「地」に広がっていった。
このところ『地照舎』は催せずにいるが、ひそかに温めているテーマもあり、 また「長崎」や「沖縄」の能を舞っているのも方向としてはその延長線だと思っている。

「淡路」は国生み伝説をイザナギの神が語り舞う力強い脇能。
震災を起こした断層が、かつて淡路の島を創り、その強い記憶が日本の神話となったものだろうか。

ああ、また今度は地球の向こう側で地が震えた。

〔'10/01/10〕よしおちゃんのナンマイダ、ナンマイダ 【009】

肥前鹿島発18:23かもめ38号博多行きに飛び乗る。
昨日五時起き、朝一の佐賀行き飛行機で来た。
お寺は佐賀県杵島郡白石町西分の正徳寺、念仏の寺。大きくて、ストーブが幾つあっても足りない。
昨日が通夜、今日は葬儀と焼場と「三日参り」。
故小野義男氏。98歳、あと10日余りで99歳、数えは100歳たい。
座敷での朝の(子供達を連れて帰省してゴロゴロ寝ているうちの夏休み、クマゼミも鳴き出す頃)、念仏のナンマイダ、ナンマンダー、耳に目に浮かんできます。
今日は江口を、昨日は融を、蓮太郎と手向けに謡わせて頂きました。

長男蓮太郎(石っ子レン)は暮れに独身寮に出ました。南米ペルーやチリの鉱物資源の探査をやっています。
長女麻耶(空手娘)は昨年、武道館の潤ちゃんと東京湾の船の上で結婚式を上げました。
次女伽耶(マンドリン娘改め、熱帯雨林娘)は一昨日からマレーシアのボルネオに行って来れませんでした。紫シジミ蝶を追っているはずです。
三女沙羅(ソフトボール娘改め、黒猫娘)は、無事卒論を出したようです。飛行機から、そのテーマにした伊良湖岬がよく見えました。
あなたの二女たよ子さんは私と結婚して今年三十年になります。還暦を過ぎましたが、若い頃転形劇場で一番柔らかかった身体の片鱗は残っています。病院にいる母上おトエさんそっくりになってきたとおばちゃん達に言われていました。申し訳ありませんが、私は自分の紋付袴や装束は買っても、たよ子さんに着物一枚買ってあげた事がありません。久し振りの和服姿は農協で借りた喪服でした。
たくさんの親戚縁者村の方々集い、柔らかな時を過ごしました。
お寺も折しも親鸞さまの「御正忌報恩講」とて、素晴らしい飾りで、お念仏を拠り所としたお義父さんの旅立ちに素晴らしい舞台でした。
さっき、妹のマー子さんに送って貰って、短い時間でしたが、病院にいるあなたの奥様おトエさんに会ってきました。ずっと眠ったままですが、血色よく、口を動かしてくれました。

そして、博多行きのかもめ38号に乗っています。自由席満員、五人バラバラに座っています。みんな寝ているようです。博多から最終便で羽田に飛びます。お疲れ様でした。おやすみなさい。本当にありがとうございました。
明日の銕仙会の「淡路」一生懸命謡います。


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