今日は淡路阪神大震災から15年。
あの時、銕仙会では特別予算を組んで義捐金を送ったが、私自身は何もできなかった。
それからも何もできていない。
昨日は早稲田観世会OBの青山倶楽部の稽古。
終わって、私の誕生日祝いを兼ねて新年会(青山骨董通りの「ぼこい」にて)。
久しぶりに女将さんの笑顔に会えた。内弟子時代からだから、30年以上変わらぬ笑顔。
今年は年女だったかな? お元気で!
11月の響の会にいらしてくれたのに、ずっと伺えず、幹事さんの計らいに感謝。
私の誕生日は1月11日。満○○歳(聞かれるとこのところ何年も35歳と言っているが・・・)。
今年はちょうど成人式の日、銕仙会初会があり「淡路」の地頭だった。
朝起きてかみさんに言われるまで、自分の誕生日だと気が付いていなかった。
淡路島・神戸は実は私の故郷の一つ。
4歳まで明石海峡に臨む江崎灯台(今は無人。別府航路や山陽線で西に向かえば、
明石大橋を過ぎてすぐピカーッと光っている)に住んでいた。
そして、淡路島の後は10歳まで神戸に住んでいた。
父は大阪府寝屋川市の出身。河内のあんちゃんが戦中戦後のどさくさの中で灯台守(海上保安官)になった。
母は奈良県御所市(葛城・土蜘蛛の里)の生まれ。戦中戦後のどさくさの中で灯台守の妻となった。
神戸以降は灯台からは離れて、海上保安庁の施設や総務などの仕事。
ちょうど沖縄に赴任している時、どさくさに紛れて私は銕仙会に入門した。
今は田無(西東京市)に二人して住んでいる。元旦には久しぶりに伺いました。
時々入院したりしているけれど、どうぞ元気に過ごしてください。
私の初めての自分の会は『淡路の会』という名で「淡路」を舞った。
それがのちの「能において地を照らす試み―地照舎」の発想につながり、葛城・土蜘蛛からいろいろな「地」に広がっていった。
このところ『地照舎』は催せずにいるが、ひそかに温めているテーマもあり、
また「長崎」や「沖縄」の能を舞っているのも方向としてはその延長線だと思っている。
「淡路」は国生み伝説をイザナギの神が語り舞う力強い脇能。
震災を起こした断層が、かつて淡路の島を創り、その強い記憶が日本の神話となったものだろうか。
ああ、また今度は地球の向こう側で地が震えた。
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