響の会〔清水寛二・西村高夫〕
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●2006年2月
〔06/02/27〕医者のはしご 山芋の千切り 【039】
 久しく休んだ日記、復活。
 今日、午前は歯医者さんから眼医者さんをはしご。歯医者さん「この次で今のところは終わりにして、また手術の予約をしましょう。」ガビーン。ようやく前のところが埋まってきて、それでもまだ舌がついそこへ行く。眼医者さんは近所の人の奨めにより海老名まで行く。左目にモノモライ。白内障も気になっていたから。「しこりが結構あるけど大きくないし、切って痛い目をするまでもないでしょう、薬でいきましょう。」 白内障はまだ気にするほどのことはないとの事。なんだか見えにくかったのは疲れからか。

 帰ってきたら今日のカルビーさんのお稽古はみんな出席できないのでお休みの電話があったとの事。最近は青山の稽古に来てもらっていたのだが九時までの制限があり最後のほうは少しずつしか出来ないので今度から月に一度は赤羽の本社で(以前はそこでやっていた)やろうといっていた初回。残念ながら仕方ない。

 妻と自転車にて、郵便局(大阪の娘に送金)と座間洋蘭センターへ。今やっている蘭の国際展示会でここの蘭が寄せ植部門で最優秀賞。題名は「オペラ座の洋蘭」。
 帰って夕方から黒澤明の「七人の侍」のDVDを妻と蓮太(風邪、熱がでてきたか)とパソコンで見る。カルビーさんこの時間を有難うございました。前編後編二巻。三時間半ぐらいか。1954年作品。いつかどこかの映画館で見たことあり。高校時代か。
 この前帰りに駅で蓮太郎と一緒になり、DVDをレンタル屋さんへ返しに行くのにつき合い、その二三日「天才監督 木下惠介」と言う本を読んでいたので、木下作品を借りようと思ったけれど、ビデオしかなく(家はビデオを見ることが出来ない)、黒沢作品にした次第。

 このところ沖縄での集中講義など楽しく日記を書くこと多かったのに、残念ながらくたびれたのか実際に書くことが出来なくて、しかもなんだか悲しく悔しい事もあって、めげていたがようやく回復してきていて、そこにこの映画は成功だった。
 負けてたまるか。

 去年の暮れから庭に活けてあった深谷ネギ(一箱分)がようやくなくなった。フキノトウも食べてしまいました。シュンランは三輪咲いてます。梅と榊と伽羅の蕾が膨らんでます。妻は伽羅の花粉が怖いと言ってます。山千皆大好きです。皮むき面白いです。
 明日は稽古能と夜は銕仙会の「講座」。今日はこれまで。GOOD NIGHT!
〔06/02/09〕今朝はコートを着ないで出かけたよ。 【038】
 今日は明日の銕仙会定期公演〈当麻〉(シテ・浅井文義/ツレ・鵜沢光)の申し合わせ(於 青山)。9時より(実際には10分ほど前に始まった)。いつもの例会の申し合わせは9時半からなのでついそう思ってしまうのだか、今日のような例外も(しかも早く始まる事も)あるので、気をつけるべし。行ったら「わあ、始まってる!」が怖い。今日は私は大丈夫、30分前にはついてたから。役は銕之丞師と後見。

 装束を出してから(長刀や面を持って)急いで帰る。小田急線にこのところ「快速急行」なるものが出来、停車駅が少なく、速いので遅刻しそうな時は助かる。しかも今日はガラガラだった。
1時半から座間市立相武台東小学校にて能の講座。六年生4クラス130人あまり。体育館にて。
手伝いに蓮太郎と早稲田観世会の今度卒業予定の三人娘(サブちゃん、ハマちゃん、イズタニ)。12時に相武台前駅に三人と待ち合わせ。私は3分遅刻。駅の立ち食いそば(ここは椅子有)にて「菜の花そば」。学校まで徒歩15分。蓮太郎は自転車にて紋付等持ってくる。

 相武台東小学校(略して相東小・そうとうしょう)は、うちの子供達全員がお世話になった学校で、今回も一番下の子がお世話になった先生が六年生の担任で声をかけてくださった。校長先生も蓮太郎時代にいらした先生が校長先生になって戻ってきていらしたので話がとんとんと進んで今日になった。
 子供たちが通っている頃は、子方があったのでその稽古や本番のために、遅刻早退も多く、その度毎に一緒に学校まで通ったので(四人の時間差があるので10年以上通っている)、私も懐かしい。我が家は車がないので徒歩(30分ぐらいかな、学区の端の方なので遠いが、幸い通学路は車のほとんど通らない道なのでのんびり安全にいける)。あるいは自転車。
 ついでに言えば、いま小田急線の複々線がずいぶんできて時間も短くなったし、混雑もずいぶん緩和されたが、その頃はひどいもので、稽古や申し合わせに連れて行く時はつぶされない様にするのが大変だった。よくやりました。「親子ともに褒めてつかわす」。

 今日はまず私が少し導入のお話をしてから、仕舞〈橋弁慶〉。弁慶を私、子方をサブ、地を蓮太郎。長刀と太刀に子供たちの目が輝く。いい子供達、よく集中してみてくれる。次に仕舞「経正キリ」。シテはハマちゃん、地をサブとイズタニ。
 それからハマちゃんに稽古用の長絹をつけ、面や烏帽子、稽古用の太刀もつけて、もう一度さっきの少し前から私が張り盤であしらってやってみる。
 今度早稲田観世会の自主公演で〈経正〉の能をシテ・浜田でやるので稽古はもちろん進んでいるのだが、面をつけるのは実は今日がはじめて。本人はそんなことをやらされるとは思わずに来たのだが、やらせてみる。元気にできたが、ほんとの舞台なら落ちてるところ(ここは同じ平面なので大丈夫)。子どもたちもよく見る。小休止。仕舞〈猩々〉(イズタニ)。それから子供たちに正座をさせて最後の「つきせぬ宿こそめでたけれ」を謡わせてみる。大きな声だそうね。よしよし。それから質問。たくさんの質問有。「なぜ能をはじめたんですか?」、「どのくらい正座が出来ますか?」から「トマトは好きですか?」まで有。
 思ったより寒くなくてよかった。子供たちの目がくりくりとしてかわいかった。

 終わって校長室で校長先生と4人の担任の先生としばし歓談。去年の冬にやった茂原の教育委員会主催の中学生の能体験講座の話もする。(今度もしやるときはもう少し実際にやってみるほうを多くしようか。)お菓子も出る。全員に謝礼も頂き、ありがとうございました。

 我が家まで歩いて帰り、ビール(残念ながら私はまだ我慢する、ううう…)と食事。皆就職は決まっているのだが、「卒業できるかどうか…」と約一名。今日はまた早稲田で稽古とのことで三人娘帰る。が、結構飲んだし稽古にはならなかったかもね(電車で寝ていけば大丈夫か)。蓮太郎は家庭教師へ。皆さん、おつかれさま、ありがとう。

 このところ歯の手術痕が気になってあんまり温まらなかったが、今日は久しぶりにお風呂にゆっくり入って体を洗う。こんなに長い間アルコール抜きなのも久しぶり。歯医者の先生にいつからいいか聞いてみようか。「え、まだ飲んでないんですか」と言われたり…。ははは。
〔06/02/05〕神護景雲二年。 立春の雪 郵便やさん有難う 【037】
 昨日の雪がどんどん融けていく。の枝からしずくがポタリポタリ。
 今朝はソフト娘が商業経済の検定があると言って早く一人で起きて行く。昨夜真っ赤な顔で八度八分の熱(インフルエンザだったら明日は日曜だし保健所へ連れて行かなくちゃと言って)でご飯も食べずに寝た。今朝も七度七分だと言いながら、七時前にユニフォームを着て寒い中を出かけた。

 もうこの間で卒業試験も終わって、自由登校期間。ソフト部も引退、基本的には暇なはずだけど結構忙しい。昨日はエアロビクスの講習。途中でおかしいと思いながら最後までやってきたらしい。検定、一級を取る最後のチャンスらしい。そして夕方からコーチとの夕食会らしい。そしてその間はやっぱり練習に出るみたい。かみさんが父母会の仕事もあり、弁当を届けに出かける。

 石っ子蓮さんも、家庭教師がある(小田急線鶴川からバス)と言って、(十時からなのに九時半近く)遅刻すると言って、何も食べずに出かける。こら、せめてお茶でも飲んでゆけ。
 そうだ私も学生時代(荻窪に住んでいた頃)家庭教師をやっていた。近所の小学生二人。農林中金にお勤めの人のお宅。遅刻していたのか。彼らももう40を超えているか、元気でやっているだろうか。

 洗濯物を干す。いい天気だ。豆腐屋さん、今日は寒いから持ってきたと言っておからをくれる。ありがたい。「日向と日陰じゃこう違うんだもんね」。家や車や木の陰には雪。もう立春、お日様の力は強くなってきている。毎年の事ながら嬉しい。
 我が家は幸い南向きなので(日の出も日の入りも見える)、お日様があれば暖房は要らない。この二階の子供たちの部屋も今は(殊に風邪菌消毒のため)窓を空けている。全体が温まるためか、夜も石油ファンヒーター一台だが大丈夫(家も昔と違って隙間風無いから)。しかし昨夜は設定18度で14度までしか上がらなかった(ヒータ−は廊下から居間に向って吹き出させているので)。

 そう、前の家では陽があまり当たらなかったし設定自体が14・5度でなかったか。そう、青山の内弟子の頃は外の洗濯小屋にいたから寒い日は朝起きると顔が凍っているようだった。ストーブつけっぱなしで寝て、芯を焦がして(そうそれからやかんの水が無くなって取っ手が焦げた時もあった)もくもく煙が出て困った事があったなあ。それより見所が寒かったから(隙間風だらけであの広さにガスストーブが三つ)、人の稽古を廊下の端に座ってみているときの寒さ(前の銕之亟先生のお弟子さんの稽古の終わりは十時十一時がざらだった。それから玄人の稽古があったり)。毎年しもやけで、一度崩れて医者に行ったら、今頃こんな人がいるのかと驚かれた(それが甲に残ってすわりだこのモトとなった)。
 日当たり日当たりと思って、今の家は散歩の途中で土地の売り出しを見つけて引っ越した(さてここで昼飯にしよう)。

 このところ家にいるので本を少し読んでいる。林京子全集(先日朝日賞(たしか多田先生も選考委員)を受賞された)の第二巻。戦前の上海時代、そして戦後初めての上海訪問のことを書いている。今日は少し声を出して読んでみる。
 私も長男の蓮太郎が生まれる年の夏に十日間中国を旅行している。初めての海外旅行、今までで唯一の仕事抜きでの海外旅行。北京と東北地方、所謂「旧満州」。そのツアーの参加者のほとんどは戦前にそこに居た人たちだった。解放後初めて日本人が来るというところもあり、今ヨーロッパに二回いけるほどのお金がかかった。九州の実家にお産のため帰している妻を見舞うお金もなったのに、義妹から結婚祝いにもらって大事に貯金してあった分から出してさえ、私をそこへ行かしめたものは何だったろう。

 今日は日曜で郵便屋さんお休み。昨日、去年暮れの乱能のDVDが届く。有難う。そのお礼状と去年御病気のお手紙を頂いたのにお返事をお出ししていなかった方に葉書を出す。この、手紙のお返事やお礼をすぐ書くということがなかなか出来ない。色々な方に不義理な事をして申し訳ない。人間としての(能役者としての)実力不足。今年の重要課題(年賀状は量の問題でなく、なかなかどうしても書けないんです。頂いた方ごめんなさい。郵便局から配る年賀状、この辺に配る分郵便局から遠いので31日から元旦にアルバイトの人が配るまで預かっていますけど。私も配るほうは二回荻窪郵便局でやりました)。
 一昨日は高校時代現代国語を教わった川島第二郎先生に郵便を出す。先年同級会でお会いしたら、先生が「最近私は日本のキリスト教のことを調べているのです」とおっしゃったので、長崎の能を書きたいのだとお話したところ、江戸時代はじめのキリシタン弾圧のことを書いた本(「日本聖人鮮血遺書」明治44年6版発行、日本における16世紀から18世紀初頭までの殉教者をずっと記している)を後日(消印を見たら平成12年11月)早速送っていただいたのであるが、そのままお返ししていなかったのである。すみません。ようやく長崎の能は浦上天主堂で実現しました。結局私が直接書くことは出来ませんでしたが、キリシタンの事は活かすことができたと思います。ありがとうございました。五年以上後無沙汰致しました、先生お元気でいらしたでしょうか。

 また一昨日は「日本地名研究所通信」送って来る。日本地名研究所は川崎(川崎市が援助しているのは地方自治体としてエライ!)の溝ノ口にあり、所長は谷川健一氏(谷川先生には「地照舎」の第二回「大和龍田」の取材でお会いした事あり、「万葉集をやりなさい」と言われたが、これもなかなか出来ていない)。大会やシンポジウム、研究会などになかなか参加できないが、通信を読むだけでも面白い。今市町村合併でなんだか不思議な自治体名が出来ているけれども、全国に地道に地名を研究している人たちがいるのは心強い。地名は自然と人間の生活の歴史、本来の地名を残さねば。
 同封の冊子「地名談話室」に「寒川」地名に関する記事あり。私は行ったことがないが娘のソフトボール部が毎年必勝祈願に行く神社「寒川神社」の「寒川」はどういう由来だろうかとかみさんと話していたところだった。
 「寒川」地名は韓鍛師部の軌跡と題する秋田地名研究会の木村清幸氏の説の中、「…『続日本紀』の神護景雲二年(768)の項に、讃岐国寒川郡に居住する韓鍛冶秕登と韓鍛師部の127人が坂本臣に改姓し、和泉国和泉郡に移住した記録…」の記事あり。寒川は百済からの古代製鉄技術集団にかかわる地名だったんだ。
 しかも「じんごけいうんにねん」! 
 これは地照舎でも取り上げた能〈采女〉の中に出てくる。前シテの里女が春日大社の縁起を語るところで「神護景雲二年に河内の国枚岡より、この春日山本宮の峰に影向ならせ給う…」とあり。この年に、この国にいろいろな政治的変化があったのだ。
 古代製鉄技術集団。この前笛の松田さんオイリュトミーの宇佐美さん松山さんとお話したとき、龍の話題から、能〈龍田〉の話になり、製鉄技術と干拓の話になった。
 まだ能には掘り起こすべき、発掘すべき事多し。

 郵便ではないけれど、いつも行っている(と言っても二月に一回か、なかなか行けない)青山の床屋さんからメールを頂く。青山ZEROのマスター(お兄さん)古郡氏より。柴田君のブログから響の会を発見してとの事。お世話になってます、またよろしく。
 青山ZERO:http://homepage3.nifty.com/hair_cut/

 昨日は早稲田の稽古をお休みさせてもらって、それから高校(都立富士高校、中野富士見町にあり、当時は知らなかったが杉並能楽堂に近い)の時の仲間で、いつも明野の薪能を見に来てくれている仲間の集まり(新宿韓国料理屋さんで)も欠席させてもらった。名古屋から来たり、ちょうどオーストラリアから出張で来ていた人もいたのに残念だったが、まだ人前に電車で出かけて、しかも韓国料理は無理そうなのであきらめた。しかしお天気がよかったので近くの谷戸山公園を散歩した。久しぶりの森の空気が、胸に心地よい。梅はまだまだ。めじろが鶯餅のようで「おいしそう」。向こう側へ下りて、星谷寺まで行ってみる。本尊は聖観音。真言は、オン アロリキャ ソワカ。農協の売店にも寄ったが、大山や丹沢から寒気が吹き出してきているのが分かったので退きあげる。あの雲と寒気が立春の雪となったのだな。(帰ってきて寝てしまって、起きたら一面の雪に星が輝いていた。)
 大山へ沈む夕日のシルエット。さあ皆無事に帰って来るかしらン。私もそろそろ社会復帰を考えよう。

 ああ、日記を書き始めると、だんだん方向がもともと書こうとしたことと違っていってしまう傾向アリ。大事なことを書き落としている。
 今度の響の会のチケットが早々に完売となってしまった。宝生能楽堂が最近補助いすが出せなくなってずいぶん違う。後はキャンセルを待っていただくのみだがあまり見込みない。有り難いやら、あと申し込もうとしている人に申し訳ないやら。
 銕仙会の公演が満員のとき当時事務局長だった荻原さんが電話で断っているのを聞いて、寿夫先生が「どうして断るんだ、断ってはいけない。」と怒っていらしたのを覚えている。でもなかなか追加公演は出来ないし、「どうぞ申し訳ありませんが是非他の公演にいらしてください。ありがとうございます」。ともかくいい公演をして、他の公演にも(まだ秋の公演が発表できないのだが)大勢様にいらしていただきたいものである。
〔06/02/03〕ばら色の日々、いや、薔薇色の人生 と豆まき 【036】
 今夜はイシモチの煮付け、厚揚げの煮物、ほうれん草の胡麻和え。ゴマすり係は私。
 左だけでゆっくり噛んでいくのでなかなかはかがゆかず、(いつもは「早飯早○○芸のうち」と言ってパクパクが早い、そしてたくさん食べる)いつもより少量で、(しかもお酒無しで)満腹。左のほうだけで食べるつもりが油断すると食べ物が右に進入してくるのだ。ストップ帰れ、まだダメ!大きなくしゃみをしたら引き攣れて痛かった。まだ鏡を見ると腫れている。大きな口があけない。抜糸までダメだろうか。
 結局今週の仕事はみんなキャンセルさせてもらった。すみません。

 昨日の谷本健吾君の結婚披露宴も残念ながら欠席させていただいて、蓮太郎に行ってもらった。「感動的だった。」と言って、なかなかいい顔をして帰ってきたので、きっととてもよい披露宴だったのだろう(自分だけがそんないいものを独占しなくてよかった、とも言えるのかもしれない。)。残念な事であったが、またお二人と一席設けましょう。「おめでとう、健吾君、淑子さん。」

 さっきラジオで「バラ色の人生」が流れてきた。今日のはルイ・アームストロング
 私がうちの奥さんに始めて会ったのは、劇団転形劇場が「小町風伝」(作・演出:大田省吾)を古い木造の銕仙会の舞台で上演した時だった。
 その頃私は内弟子で、寿夫先生が亡くなってすぐ後で、なんだかぼんやりしていた頃だった。まず舞台の板を上げての修理をしているとき(山尾さんという宮大工の棟梁ともう一人は源さんだったか、二人でやって、すごい職人さん達だった ─ これも毎日見て手伝えるところは手伝ったり)に転形の人たちが見学に来たのを覚えている。今度ここでやるのだということだった(小町風伝は矢来能楽堂で初演されていて、その再演)。私はその初演をよく知らなかったが、銕仙会での稽古や本番は(他にいる場所がないのだから)こちらの稽古や本番の時以外は、全部見ていたり、あるいはこっちの事務所で聞いていたりした。何日稽古があったのか、本番は10日ぐらいあったのだろうか、もうはっきりしないけれど、毎日午前中はこちらの稽古ということで舞台装置は全部見所の片側に撤去してもらっていた。本番で疲れた後に、大変な作業だった(そう、役者が装置も小道具も衣装もやるのは能も一緒か)。本番では私も客席の整理なども手伝った。何しろ300人以上来てしまうんだから。
 もともと演劇がやりたいとは思っていたのだが、能に入ってしまって、一本の芝居をこんなに続けて、しかも稽古から本番(仕込みからバラシまで)を毎日見たのは初めてだった。面白かった。そして能舞台の面白さ・すごさも分かった。
 「小町風伝」は太田さんのそれ以後の沈黙劇の出発点だが、この劇は全部が無言ではない。セリフもあった。その中で一番大きな声を出していたのが小野たよ子、すなわち今のかみさんである。稽古を見ていると私達と違って始まる前にみんながてんでに柔軟体操のようなものをやっている(能の人は基本的に何もやらない。いきなり稽古や本番となる)。その中でなんだか殊に人と違ってやわらかいのが小野たよ子であった。「何だあのぐにゃぐにゃは?」

 えーと、何を書き出したんだろう。
 そう、「バラ色の人生」は小町の劇中、古いアパートの一室(劇のはじめにごくゆっくりした時間の流れの中でー20分ぐらいかかったかー役者一人一人が色々な家具を運び、この部屋が能舞台の上に作られ、最後にはまた何もない舞台へと帰っていく)に住む小町(老女)と(その夢に出てきたのか)少尉さんとの幻想的な場面で使われた曲。
 かみさんのセリフ(古アパートの管理人の奥さんの役)の第一声は「アーた、運動会始まってますよ!」

 ありゃ、今日はこんな事書こうと思ってなかったのに・・・。
 おっと遅くなった、豆まき、豆まき! 
〔06/02/01〕「直心」から「壽山福海」へ 【035】
 今日も雨。静かに降っている。「雨も必要だけどねえ…。」と豆腐屋さん。今日も買う豆腐一丁135円。

 はやカレンダーを一枚めくる。私の予定を書き込んでいるのは、書の「筆禅会」が出しているカレンダー(監修:同会師家・寺山旦中師)。一月は鈴木大拙師の「直心」。二月は山本玄峰師の富士の画賛「壽山福海」。毎日見るのによい。
 年初にこのサイトに載せた私の年賀状は恥ずかしいものだった(期間限定でよかった)。字はその人をあらわす。せめて今年はまっすぐ字が書けるようにしたいものだ。実は寺山先生の奥様が私のところでお稽古されていて、私も少し寺山先生のところに通ったのだが、しばらく御無沙汰してしまっている。先生は「お忙しいのだから仕方ないですよ。目習いでもいいんですよ」と仰ってくださっているが、本当の私のやる気を問われている気がしている。また初心。

 今朝は一番に歯医者さんへ。蝋梅の花びらの雨のしずくが美しい。待合室で「暮らしの手帖」を見る。この前は三国蓮太郎。今日は三岸節子。ああ、やはりちゃんと原稿用紙にきちんと書きたい。
 「今日は無理しないでください。2日目に腫れることがあるから。」と先生。「はい」(もう昨夜のうちに、今日の銀行のお稽古をお休みにしてもらっています)。

 昨日は稽古能をお休み。せっかくみんながやってるからと思って、〈花月〉を一回謡って、それから三年ぶりぐらいにかみさんの稽古〈羽衣〉を少しして、歯医者さんへ。「あれどうしてだ、あ、これじゃ…うーん、骨移植だ、では骨移植しましょう」。歯周病の手術。ちょっと切るだけだからと言われていたのだけれど、内側にあった骨瘤(こつりゅう:骨の小さな出っ張りかー私の場合下あごの歯の内側少し下に左右に二つあって、取ったらどうだろうとは思っていた)をのみで削って歯の横の融けてなくなってしまったところへ移植。わお!
 先生がを固定して「はい」と声をかけると、看護婦さんが「はい」と答えて槌で打つ。まるで能の〈小鍛冶〉みたいだった(看護婦さんの「はい」がきれいな声でよかった)。麻酔で痛くはないが結構な衝撃。口を大きく開けてじっと目をつぶって…。
 いい先生。ちょっとぶっきらぼうで大胆で、縫合も「えいえいえい」という感じ。説明も必要最小限。でも腕はいいんだろうな。全部で30分(骨移植は大学病院程度のことで、しかも診療代は有り難いことにだいぶサービスらしい)。駅から家に帰る途中の住宅街の個人歯科医院。先代から世話になっているという人も多い。

 帰ってよく寝た(今日も実によく寝る)。

 久しぶりの手術。高校三年生のちょうどこの頃、盲腸で入院したな。あれは荻窪病院。お腹が痛いと言ったら親父が「あっためろ」。結局それが盲腸だった。麻酔が切れてから痛かったな(今回は痛み止めを飲まなくても大丈夫だった。やはり腕なのか)。受験前のいい休養になったのか、夏まで全然勉強してなくて浪人を覚悟していたのが、なぜだか受かってしまった(こんな日記は書いてはいるが、実は暮れからずっと休眠状態で、そろそろペースを上げてと思っていたのにまた休養。まぁ、いいか、三年寝太郎ということもあるし、よか)。

 今朝は食パンのミルク粥。昼は小さな土鍋で水から炊いたおかゆ。おいしい。が、噛めないという事は大変な事だ。右をやったのでそっちは使うなということで、左でそろそろと食べるのだが、豆腐の味噌汁に入っている細かく刻んだねぎが意外に固い。豆腐はありがたい。

 傷がふさがったらその歯の神経を抜いて固定しますとの事。それからまだ幾つかの箇所あり。来週からはなかなか日程的に厳しくなってくるね。去年サボるんじゃなかった。皆さん歯医者さんへは是非お早めに。
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