響の会〔清水寛二・西村高夫〕
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●2006年5月
〔06/05/29〕台風一過 ドピーカン 一転にわかに掻き曇り 【054】
●5月21日 台風一過 ドピーカン 一転にわかに掻き曇り おお虹が出た
 昨夜の嵐が去って今朝は五月晴れ。暑くなりそう。

 昨日は九時半から〈小督〉の稽古。銕之丞師にツレの西村・慈一君に内弟子の二人。作り物の「片折戸」が青山にはないので(来週火曜日稽古能でも使うので)、昨日のうちに国立から借りておいてくれた。あるつもりということも出来るが、やはり置いてみないことにはわからないこともある。

 昔、舞台監督の土岐八夫さん(世阿弥座の海外公演や各地の薪能・ホール能などでずいぶんお世話になった。長崎の御出身でいつか長崎での公演で「清水さんなんかやろうよ」とおっしゃってくださった。残念ながら肝臓で先年亡くなったが、去年の長崎の聖母では、土岐さんの愛弟子の小坂部さんに舞台監督をやっていただくことができた)が、「下手な役者の時は早く舞台装置を作ってやらなくちゃ」とおっしゃっていたのを思い出す。先代銕之丞先生もそういう考え方。小道具や作り物など実際のものは、なくてもあるように動けなくてはいけないが、実際にやってみるのが一番。
 いやこれを置いてみるとなかなか狭いんだよね。しかし思ったよりまあ動けるかといったところ。もう一工夫。当日が楽しみ(なかなか能を楽しんでやれるなんて今までなかったね。今回は楽しくやりましょう)。

 この曲題名になっている「小督の局」はツレ(西村さん)で、私のやるシテはメッセンジャーの「源仲国」さん。物語の中心はやはり小督の局だから、西村さんにがんばってもらおう。そういう時西村さんは頼りになる。「清経」や「一石仙人」でもそうだった。物語をきちんと押さえた人物像、そういう謡を謡ってくれる。よろしくお願いします。

 終わって、西村さんと秋の研究公演の地割の事や来年のことなど話す。「井筒」の地頭を西村さんに。今後私達の、そして銕仙会の地謡を作っていく課題多し。ただ覚えて大きな声出してるだけでは地謡にならない。
 このところ思うのは「地謡は座ることが三分、聞く事が三分、謡う事が三分。」 
あとの一分は…。
 …………。
 んだけれど、虹のことまで行ってなかったんだべな。
あれ今日のことは? 書かねば…………。


●5月25日 ミーカンーのはァなァがー さァいてーいる…
 今朝はさわやか。
 昨日は土砂降り、ピッカリピカリ、ゴロゴロ、ドッカーン。青山能(長山桂三君の〈天鼓〉ほか、私は役なし楽屋で働き)が終わって、かあちゃんが昨日から頭が痛いといって寝ているからと打ち上げを欠席して帰ったら、相模大野で電車が止まった。相武台前駅で停電。ははあ、さっき上原君(代々木上原駅)から「お弁当(今日の楽屋のあまり、百万石)三つとアンパン三つ(おシテ長山君への差し入れのおこぼれ)を持って帰るよ」と電話したらすごい雷だと言っていたから、さては落っこったか。すぐさま改札を出てタクシーへ。誰かピックアップがいるかと、うちに電話して誰が帰ってないか聞くと蓮太郎がまだ。蓮太郎に電話するとまだ学校。では気をつけて帰れよとタクシー乗り場に行けば、すでに長蛇の列。こういうときは携帯があるといいね。でもさすがに大きな駅、まもなく乗って(大野からはほぼ行幸道路をまっすぐ)、うちまで2010円なり。結局、蓮太は新宿で埒が明かぬと、渋谷から田園都市線を回り、中央林間からタクシーで帰ってくる。

 今朝は晴れた。かみさんはどうにか治って、横浜のおば様からお誘いのあった国立の文楽へ。私がこのところいつもしているのがこの御主人の形見のネクタイ。かみさんが東京へ出てきて、演劇学校へ行くためにお手伝いさんをしていたのがこの家。それ以後ずっとお世話になっている。文楽へ行くのも久しぶりだろう。

 ぬれ縁でゆっくり朝食。コーヒーとトースト。シジミチョウのランデヴー。時折カタバミにとまる。トカゲはいないかと思ったら、お、出てきた。黒いのがモッコクに登っていく。シーズのフクちゃんが通る。今日は奥様(御主人のこともあり)。娘同士が同級生。ピアノ教室をやってらっしゃるが昨日は生徒さんを(あまりの雨に)送って行ったとか。このフクちゃん、必ずうちの玄関によっていく。
 お陽様に足を暖めてさする。左の甲の表面がしびれたまま。坐る後遺症か。


●5月28日 桑の実熟して鳥喜ぶ もみじのヘリコプターも赤く熟す
 このところ途中までしか書けない時や全然書けない日が続く。途中の日は割愛させていただこう。せっかく浮かんでいた文章、文体も、霧散霧消。

 今日は休養日。

 朝、駅まで自転車をとりに行って、帰りにまた、かにが沢公園を廻る。
 泰山木の白い花。始めて見るユリノキの花。もみじの種がヘリコプター。真っ赤なのもあり、緑と赤混じるもあり。
 桑の実が熟して赤から黒へ。すずめも山鳩も。うまいよ。えちごではくわいちご。

 このところ胸の痞えを攻めているのでか、咳が苦しい。昼寝。タイガーバームを塗ってみる。
 それにしても榮夫先生、閑先生、本当に声がきちんと体に響きますね。
 昨日の幽の会〈邯鄲〉。
 もちろん年齢の見えろところもありますが(79歳)、あれだけ動いてハアハアしてないんだからね。パンフレットに山本東次郎氏のよい文章「榮夫さんから受け継ぎたいこと」あり。 転載させていただきたいくらい。
 今回子方は狂言の山本泰太郎氏の子息凛太郎君。私が装束つけるめぐりに。いい子だよ。
 地謡後列は山本順之、若松健史両氏に清水・西村。やってきた甲斐ありというところ。

 明日は山形で榮夫先生と〈清経〉(シテ松山隆雄氏)の地を一緒に謡った後、〈土蜘蛛〉を前後にわけてシテ(私が後)。ワキは閑先生。西村さんが「頼光」の役。勉強させていただきます。
 山形の東北芸術工科大学は民俗学の赤坂憲雄氏のいらっしゃる学校。地照舎を始めた頃お会いしたことあり。それこそテーマの〈土蜘蛛〉。それも明日の楽しみ。

 午後から晴れて夕方屋外作業少し。モッコクの病葉を落としたのと、ナンテンの蕾のついていない三本を切る。ナンテンの箸でも作るか。
 夕食は、エボダイの煮付け、山芋(すって「トロロ」と切って山芋千切り「山千」)、湯豆腐(このところ寒いからかうちで流行っている)、アスパラのベーコン・トマト炒め。
 ああ今日は早くお風呂に入って早く寝よう。
 しかしせっかくだからこのところの事を一行ずつでも書いておこうか。


●21日(再び) 響の会委員会と「集い」
 集いは響の会当日に告知できなかったので集まりが心配だったが、いつもの方々がいらしていただいてなごやかに色々な話題。今度は告知を早めて新しい方にも。次号「通信」も進行中。

●22日 午前 青山能〈天鼓〉申し合わせ
午後 〈邯鄲〉申し合わせ 
夜 新橋「米村」さんにて久しぶりに「流れの女の会」。詳細はいずれ。

●23日 午前 稽古能〈山姥〉・〈小督〉 地とシテ 〈小督〉いくつかの課題発見 
   午後 「笛市」稽古 面を使うことに

●24日 朝 座間市役所にて秋の「ふるさと祭り前夜祭薪能」11月4日の打ち合わせ
   それから歯医者 次の手術は6月10日(銕仙会の翌日)に
   夜 青山能(5.25参照)

●25日 午後青山稽古日(1時〜9時) お休みの人有り比較的ゆっくりできる

●26日 大宮薪能 「乱」観世銕之丞 楽屋で皆来る前に永島忠侈さんと〈小督〉の話

《発見!》
・ 集英社の「青春と読書」6月号に多田先生のエッセイ「比翼連理」
・ 「国立科学博物館ニュース」446号に藤田大五郎先生の「能楽に見る自然史5 笛」
「新・能楽ジャーナル」35号の評談能楽展望に村上湛氏の発言「…ところが今、銕仙会系の「采女」は、多くの場合非常に重い。…」とあり。
 十年余前、響の会研究公演での先代銕之丞師の〈采女〉はそうでなかったはず。私達は〈采女〉と小書「美奈保之伝」の着いた〈采女〉は違う曲だと思えと教わっている。
〔06/05/15〕皐月雨 お隣さん雨ですよ 【053】
 朝ぎりぎりすべりこみセーフ!DVD返却開店10時、自転車で(Tシャツ短パン少し涼しいがさわやか)三分前に返却ポストへ。
 「がんばっていきまっしょい」 僕はよく知らなかったが、田中麗奈主演。伊予の国の高校ボート部のお話(響の会の編集委員・長谷部君は松山の出身)。
 子供達が借りていたもの、かみさんと二人昨夜拝見。ボート漕ぎたくなるよね。そして映画に出たくなるよ。なかなかしかし複線になりそうなところあっさりいくんだねえ(誰か映画に出してくださーい)。
 帰りにかにが沢公園を廻る。以前はこの公園のすぐソバ(緑ヶ丘4丁目)に住んでいた。ダンボール再生工場がなくなってマンションの建設工事中。住んでる側の景色は良いだろう。
 桜の並木もはや緑の緑陰のこかげ。

 さわやかで思い出すのは海外公演初体験のドイツ。ドイツ・スイス・オーストリア・フィンランドを40日かけて廻った(六月から七月初旬)、第三回世阿弥座(24年前か、蓮太郎がまだ一歳になる前)。ドイツ・スイス・オーストリアはアウトバーンをバス移動で一月まわった。最長移動はウイーンからハンブルグへの1000キロの移動(運転手はハンス。大きな人だが大きなバスをぴたりとつける)。
 最初の到着地がドイツのバードデュルクハイム(この名前が、この前思い出そうとして、電車に乗ってる間思い出せず、降りて歩き始めたらフトでてきた。しかし違ってるかも。自信がなくなってきた)。ここは温泉保養地で、三日ほどいきなりのオフだった。贅沢。今なら考えられない(全体の日程が短くきついので、着いたとたんその日にリハーサルもあり。もっとすごい時は機内で紋付に着替えて、空港から直接劇場入りしてリハーサル&本番ということもあった。しかも機内であまり眠れなかったので、さすがにその時は体調を崩し、何日かどこへも出かけずホテルと劇場のみだった。いつかのパリ)。
 この出発直前に風邪をひいて39度の熱で飛行機に乗った私は、ここでの休養で助かったので、よけいいい印象かも(出発前日の稽古を休んだら、電話がかかってきて「出てこい!」)。
 小さなホテルで、朝食の食堂(おいしいパン!)の外のウッドデッキが、新緑に囲まれとてもさわやかだった。

 帰って家の角を曲がるといい匂い。甘い香り。家の前の駐車場の生垣にスイカズラの花が咲き始めた。蝶が飛ぶ。黒アゲハ(カラスアゲハ?)に白い斑入り。始めて見る。縄張り争いか、アゲハチョウがそれを追う、二人で追いつ追われつ、ヒラヒラ舞に舞う。

 ネギ炒め添え目玉焼きでトースト二枚半。

 甘い香りの中で伽羅の剪定の続き。昔刃物を重技利けり。昔はものを思わざりけり。この前より着実にうまくなってるというか、チョキチョキがスムースにどんどんいく。比較的大きな古い枝も落とす。また組織を思う。
 かあちゃんはアケビをすいている。どんどん茂るからね。
 雨が降り出したので、今日はこれまで(結果1メートルほど)。

 〈小督〉を謡う。

 この前の〈花月〉で実は一句抜かした。萬先生に後の打ち上げで指摘された。「春の遊びの友達と」の前の「花に心を引く弓の」。大切な一句。誰も指摘してくれなかったけれど、申し合わせでも言わなかったらしい。すみません。自分自身をチェックする機能にかけていた。そして戯曲をもっと読み込むこと!
 もっと〈小督〉を読むべし!

 夕方から今日は銀行のお稽古。トップバッターは〈芦刈〉。この曲は地照舎でいつかまたと思っている曲。これからやりたいもの、色々とプランが浮かんでくる。少し回復してきたか。まだもう少し。

 多田先生から久しぶりのメール。少し体調を崩されていたらしい。
 例のリハビリの問題について文藝春秋の来月号にお書きになったとの事。
 「……。それにしても書き進めるうちに、この国はいつからこんな冷たい国になってしまったのかと、悲しくて仕方がありませんでした。文中でも「小泉総理に問いたい」と書きましたが、いったいどうなるんでしょうね。私とは別に署名活動をしているグループが、ネットで署名を集めているので、ぜひご協力下さい。http://www.craseed.net/のホームページで署名用紙をダウンロードしぜひ集めてください…」。

 昨日、一昨日、河口湖。一昨日は赤松の森の中の薪能、雨降らずによかった。昨日は屋内で、ジャンジャン降り。屋内でよかった。しかし寒かった。やはり袷を持っていくべきだった。昨日午前中に富士山の五合目まで行った人は雪が降ってたそうな。

 味方玄氏の承りの仕事。気持ちのよい二日間。有難うございました。宿泊はホテル「登り道」だっけ? 薪能の後は皆で「牛角」でワイワイ。私達のテーブルではもっぱら面や装束つけの話題。

 御殿場線に久しぶり乗る。新緑の梢に藤。河口湖への道ではまだ八重桜。
 帰りに御殿場まで乗せてくれたワキの則久英志氏の車のナビが、どうしたことか反対方向へ導き、樹海の細い道へ。あれ変だよと元の道へ。

 山の田の 田植えのすみて 水しずか
〔06/05/15〕トカゲの日向ぼっこ お、お前は脱皮中か 【052】
 昨日一昨日とうって変わって気持ちのよい五月晴れ。朝飯前にまたフト思い立って、生垣の伽羅の剪定。風を通さなくっちゃ。何かチョキチョキのやり方がわかったような気がして、どんどんやる(もちろん本職のようにはいかないが)。ミヤコワスレムラサキツユクサ三寸あやめ(それぞれに素敵な紫)、そしてトクサ君(すばらしい緑のグラデーション)たちに風と光が行くよ。これは組織にも必要だな…風通しを良くして、人を育てよ!などと思いながら、チョンチョン。ハハ、幅1.5メートルくらいにて今日はこれまで、また今度。

 昨日は部屋に寝転んで庭を見ていたのだが、雨が降りそうで降らなかったので、フト思い立って(あ、あそこからあの辺までやればと)サカキの枝を落とす。これがしばらく前から課題だった。乗ってきて梅とモミジも。すっきりして、オクラを蒔いた猫の額の畑に落ちる影がなくなった。まだもう少しか、それはまた今度にとっておく(誤解のないように、梅ノ木はてっぺんまで手が届くくらいの高さ。花バサミ一丁でやってるんだから。モミジは腰くらい。サカキは顔くらいか。もとより「庭」だとか「畑」などというほどの広さはない)。

 朝食はトースト(バターにブルーベリージャム)、目玉焼き、コーヒーに夏みかん。
 夏みかんはすっぱいですよと近所の人にいただいたもの。ビタミンCが効く気がする。黒ワンのフクちゃんちからはお宅のサクランボをいただいた。市販のように甘くないけど素朴でおいしい。さっきチョキチョキの時お散歩に通ったのでお礼を言う。「それは、よかった」。うちの前はお散歩ロードでいろんなワンちゃんが通る。フクちゃんは二人(二匹)。

 また庭。ツバメたちのさえずり。ムクにヒヨ。スズメにカラス。森からホケキョにチュピチュピ。小鳥達は小さい体で元気な声だ。そう昨日夕方ソフト娘とバントごっこをしてバットを振っていたら、バットが二羽(二匹?)、ヒラヒラ。唐揚にしたらうまいかも。
 ノビルの花茎が伸びてかわいい花。黄色いカタバミニワゼキショウ。コラ!バラの蕾のてっぺんをかじったのは誰だ。もうアジサイも咲き始めるか。トマトの二葉、シソの二葉。ポピーの花も、オクラの二葉も食われてる。犯人はナメクジかな。
 いろんなトカゲがうろちょろ。一匹ちっこいのが、生垣の下で日向ぼっこ。おや尻尾のほうになにやら。ははー皮か。脱皮の後か。ちょっときょろきょろして、ふっと生垣の向こうへ。元気でな、また会おう。ひかりとかげ。

 ニューヨークから来たカレンさん。御自身の芝居(残念ながら日本ではやらないのだそうだ)のお稽古が忙しくなって、このところ羽衣の稽古できなかった。最後に装束をつけてと思っていたのだけれど、叶わず、もう明日帰国。この前、神田にて笠原氏と三人で一杯やる。彼女は焼酎。コンニャクは大丈夫、でもネギはダメ。またいつかお稽古やりましょう。ニューヨークでお会いしましょう。

 今夜は河口湖で薪能。晴れて、気温が上がってよかった。
 このところ寒かった。ことに土曜日(田無の両親のところに久しぶりに顔見せる。カーネーションはなんだか照れくさいので黄色いカラーにする)。青山倶楽部の稽古でうわさしていたんだが(青山銕仙会の四階の稽古場の外は窓ガラスが曇るくらい冷たい雨)、あの日早稲田の観世会の連中は100キロハイクに参加してたはず。風邪ひかなかったか。青山倶楽部のメンバーには下駄で着物で東京から和歌山まで歩いて往復した猛者アリ。

 昨日その100キロハイクの終点早稲田到着(実際は110キロ位あるらしく2日かかって歩いてくる)を迎えに行くといって出かけた蓮太郎(本人も学部の間は毎年のように行っていた。スリットの深いチャイナドレスで)、終電になってまだ着かないから、と言って帰って来ず。みんな相当苦戦したか。実は私も途中リタイアの経験アリ。
 蓮太郎、就職内定の事、この前の響の会の打ち上げで先生方、皆さんに報告する機会あり。宝生流の近藤乾之助師もその芸談集「近藤乾之助 歌う心、舞う心」(藤沢摩彌子著/集英社)の中で息子さんが能を結局やらなかったことについて記載あり。ひかりとかぜ。

 冬の間来た上着をクリーニングに出したらまた寒かった。今は駅のスーパーのつるしの上着(五千円を二着。これで夏の着回しいけそう)。紋付は四月の例会から単(ひとえ)にしている。今は年中単の人も。私もそうだったが寄る年波か、あ、いやいや今年の冬は寒かったんだ。それでにしていた。今日も寒ければ袷にしようかと思っていたが(カバンの重さが違うので、重さを感じるのも寄る年波か)、まあ大丈夫か。寒ければ中にシャツ着よう。

 おや少し曇ってきたか。さあ焼きソバ食べて出かけよう。京都からの人たちを御殿場でピックアップすると言うので、私も小田急から御殿場線を廻って合流しよう。レッツゴー。グッドラック。
〔06/05/10〕新緑に落ち着きの雨 連休終わる 【051】
●5月7日 新緑に落ち着きの雨 連休終わる
 今日は雨中京都より帰る。小田原停車のひかり。新緑が雨に落ち着く。代掻きが終わった(あるいはもう田植えの終わった)田んぼ、この時期、日本は大いなる湖と化す。


●5月4日 ソフトボール応援と鍼
 東京の大学ソフトボール(女子)の春季リーグ戦をかみさんと初観戦。於東京女子体育大学(立川)。早稲田負ける。がんばれ!
 ところでうちの一年生、昨夜うちで足首捻挫!?。すぐにアイシングして湿布して包帯で固定。歩けないので、タク○○で送っていく。連休で込んでいるかと思ったら、逆にすいていて早く着きすぎ。三試合みっちり観戦。やっぱり気合のあるチームはよい。
 一塁側は桜の木の下での観戦、さわやか。よく見るともう緑が濃くなった葉桜の中にまだ少し花が。
 幸い近かったので、帰りに二人して国立の鍼、コスモス鍼灸接骨院さんへ。ここにはいつも助けてもらっている。この前どうにか響の会の一週間をやれたのもここのおかげ。まだ腰に鍼入ったまま。今までひざ、足首、腰など何度も助けてもらっている。休日は普通は休みなんだけど、地方からやってくる人のために開いていて助かった。捻挫娘も帰りには歩いて帰れるように。どうなってるんだろう。
 響の会。〈花月〉での面の目から見た閑先生と萬先生の暖かな視線。


●5月5日 端午の節句 ツバメにこいのぼり あれ?ジェット戦闘機
 お休み日にする。メイストームのような風。タッちゃんちのこいのぼりを見に行く。ああ、尻尾が梅の木に絡まっちゃったよ。ツバメはすいと飛ぶ。おやジェット戦闘機も。憲法記念日にも飛んでた。日本の旗日にアメリカ軍基地は関係ないもんね。しかも軍備を捨てて、非戦の憲法記念日。ここは戦場だ。
 大和にある厚木飛行場。この前無事税金の確定申告を済ませたが、大和税務署の五階からはジェット機やヘリコプターの発着がよく見える。とまらずに何回もタッチアンドゴー。
 かみさんと空手娘は娘の高校時代の友達のお父さんの御葬儀へ。私と同じ53歳とか。神戸から出たチョコレート屋さんに勤務され、息子さんよりの後の挨拶では、その会社と仕事を愛されていた由。御冥福をお祈りする。南無阿弥陀仏。
 フリージアの花に空也上人の像の口から続いた仏様達を思う。南無阿弥陀仏。
 この前の響の会の装束表を作ってみる。本当は当日用意しておいてお客様から質問があったときにお見せできるようにとは思っていたが出来なかったもの。
 高校の音楽の先生方へのワークショップの原稿まとめる。実は締め切りが三月いっぱいだったもの。すみません。でも本番は11月なんです。
 家の蕗を摘む。晩御飯の煮物に。


●5月6日 箱根湯元の新緑経由で東大寺大仏殿へ
 空手娘とマンドリン娘同伴にて奈良へ。小田原経由。新幹線の切符を買っていたら「あ、かばん忘れた!」。網棚に載せておいた紋付や胴着を入れたカバンをそのまま忘れてきた。あわてて小田急の駅に取って返す。急行は箱根湯元へ。確認してもらってから取りにいく(二人はパン屋の喫茶店において)。ああ、有ってよかった。しかも時間の余裕持って出てきて、そして指定席でなくて。湯元駅は人でいっぱい。せっかくだから車窓の緑を楽しむ。
 小田原からこだま各駅停車で京都。自由席意外とガラガラ。途中で駅弁。京都から近鉄特急で奈良へ。東大寺大仏殿。西側の楽屋口より。
 久しぶりの大仏様、大きいね。ああ早く出てよかった。ゆっくりと装束の用意。〈安宅〉(シテ銕之丞、小生はツレの山伏―我々は同山(どうやま)と呼ぶ―のしんがり、同山頭)。世界遺産劇場。聖武天皇1250年忌。大勧進俊乗房重源800年忌。〈安宅〉の勧進帳の中にこのお二人の名前有り。
 大仏殿の正面庇の下が舞台。場当たりの最中、気の毒にも約一名鳥のフン命中。
 少し変形の舞台、しかもそういう場所で、いつもと少し異なる演出箇所有り。
 気の入ったよい舞台となったのではないか。
 浅見慈一君曰く「こんなところでできるのは、役者冥利に尽きますね」。まことに。大仏開眼の時はアジアの芸能がこの境内で盛大に催されたことだろう。舞台から南大門のほうを見ると、ずっと向こうに長安や天竺、シルクロードが続いているような気がする。そしてここがその道の終点だったんだとも。
 終わって雨。休憩をなくしテンポよくやってよかった。
 バスで京都の宿舎、京都ホテルへ。二人の娘は大阪のマンドリン娘の下宿へ。私の分の弁当ひとつ持たせる。無事に着いたことやしらん。
 ホテルから(私はお腹もすいていたし)何人かで祇園の冨田屋さんへ。ここは先代銕之丞師がよくいらしていたところ。おかみさんのあやさんとの初対面は、京都の若手能楽師連中が阿波踊りへ連を作って繰り出した時に、我が一家(子供達はまだみんな小さかった。かわいいおそろいの浴衣がまだあるよ)も混ぜてもらって参加した時か。自宅へ帰っていたK氏を電話で誘い出す。夜中にすんませんなあ。やはり先代銕之丞師の話題。ひとしきりのあと、K氏の案内でうどん屋へ。ようやく腹も落ち着き、帰って寝る。2時か。


●5月7日 朝の京都ブラブラも出来ない野暮男
 ただ起きてシャワーを浴びて朝食、そしてゆっくり京都11時発のひかり小田原停車で帰る。車窓は雨。ところにより強く。
 近江の国を通る時、いつもここは豊かな国だなと思う。私が始めて東京へ来たのは満10歳の時の三月の末。神戸から急行で。そして米原を過ぎたあたりかどの辺か、その風景が記憶に残っている。吉展(よしのぶ)ちゃん事件があった頃で、近くの座席の人の新聞にその記事が出ていたような…。もう一度東海道を窓の開く電車でゆっくりと乗ってみたい。
 そう、去年韓国公演の時ワキの大日方君と意見が一致したことに、ベビーバギーは使わないほうが良いと言うこと有り。駅や電車で見るたびにそう思う。児童虐待に他ならず。
 午後遅くならずに帰れば、鶯の声しきり。また昼寝。
 片山慶次郎師の御著書「なんとのう ええ 慶次郎雑談」(檜書店)を慶次郎先生の優しい繊細な感性を感じつつ一気に拝読する。
 「しゃんとした能ができたら、ええなあ」。


● 5月8日 また雨 ツユクサも咲いた(7日に書き出して結局終わらず途中からは9日に)
 国士舘の授業、第二日。〈羽衣〉少し謡ってみる。よしよし。構えと運び、少々。やる気のある人が引っ張って言ってくれると助かる。みんなで今度の銕仙会の〈小督〉見てくれることに(注!銕仙会6月例会は中正面売り切れです。脇もあと少し。正面はまだたくさんあるそうです。よろしくお願いいたします)。
 忘れそうだったのだが、響の会の委員会へ。市ヶ谷にて。この前の響の会の反省会。具体的なことを項目別に。また次の通信や集いのこと。終わってラーメン(餃子が特価で100円だった)。そう、全体的な「二期目」ということもしっかり話さなくては。
 去年の通信に道成寺のことを書いてくださった伊藤さんよりお手紙有り、委員会で受け取る。この前お帰りに私の高校時代の恩師秩父先生(94歳)を水道橋の駅までお送りくださったこと。有難うございました。皆さんにもお見せしたいくらい。帰りの電車でもまた読む。


●5月9日 皐月は紫
 稽古能。〈天鼓〉と〈鉄輪〉。若手とベテラン。天鼓は慈一君地頭にて見所にて拝見。鉄輪は(銕仙会の6月分、これも当日はないのだが)地に入る。小督の稽古能は再来週。その前に銕之丞師に見ていただく日を決める。20日の土曜日9時半より。
 響の会の装束表に書いたが名称で心配だったものをたとうで確認する。例えば〈道成寺〉の唐織や厚板。唐織は藤と銕仙の順番が違っていた。厚板は唐花と書いていたものが桜巴だった。
 この前から置いていたうちの装束をまとめて持って帰る。
 表参道の地下鉄の駅(表参道ヒルズ等で込み合っている)がこのところ大変貌、色々なお店が出来た。大体が女性向けのようでありゃ関係ないとは思っていたが、お蕎麦屋さんがあると聞いたので行ってみる。とろろセイロ(セイロのお代り)。夜は居酒屋か、焼酎や酒がずらっと。
 帰ってつい昼寝。迎えに来てくれて4時から座間の稽古。
 響の会からようやく気持ちがゆったりとして、夜、この間差し入れにいただいたワインをいただく。いただいたW先生にお電話(実は私からは先生が見所で一番よく見えたのです)。御夫婦でいらしていただいて、有難うございました。色々お話。
 もうジュウニヒトエは終わりそうだが、三寸アヤメは蕾がふくらんだ。角のサビーちゃんの家の塀際ではずいぶん咲いてる。「いずれが菖蒲か杜若」。紫の星型、ミヤマキキョウも咲き出した。谷戸山へのがけ道に桐が咲いている。桐を見ると〈柏崎〉の道行にある「桐の花咲く井上の…」を思う。
 〈柏崎〉では、NHKの番組で能のシテの扮装をして(杖を持って)信濃川のほとりと善光寺を歩いた事(参道をまっすぐ歩いてお堂への階段を上る)あり。装束を持ってくる人が鬘を忘れたのだが、笠をかぶっているのでなんとか大丈夫だった。
 〈柏崎〉には他にも幾つかの思い出。また別の機会に。
 皐月は紫。
 そう、クレマチスではなく、キリッとした銕仙(テッセン)が見たい。
 植えたいね、銕仙会の玄関にも。
〔06/05/01〕まこと卯月は 花見月 ハナミヅキ?! 【050】
●5月1日
 今日は国士舘の今年度初めての授業。四時間目が20人、五時間目は4人! 両方とも三年生と四年生。落ち着いていい。羽衣。謡本を配って、少し羽衣のお話と、一曲通して私が謡う。拍手を有難う。少しもじもじした人やちょっと寝息も聞こえたようだが、結構よく座っている。運営はなかなか大変のようだけれども、21世紀アジア学部という学部のコンセプトが少し行き渡ってきたという気もする(新学部長、よろしくお願いいたします)。それぞれの時間、それで終わって、型は出来ず。次回来週。

 帰り小田急線シルバーシートに座ったら、深い眠りに。目を開けたら窓の外は真っ暗「わあ、どこまで来たんだ?」。ああよかった、まだ座間だった。相武台前からひとつ乗り越し。この相武台前から座間駅の間、車窓はなかなかのどかで里山風の景色でよい。昼間なら座間駅から(例の「清水邸に至る谷戸山門」?を経由して)歩いて帰っても。真っ暗は怖いからダメ。しかも今日は行きに急ぎ駅に自転車を置いてきたので、相武台前まで戻る。三日月がきれいだ。
 今日は30℃を越した所もあると言う。もうこの冬の上着はだめだ。しかし、まだ電車は冷房かけるなよ。お客を甘やかしてはいけない。馬鹿にしてはいけない。窓を開ければすむ事なんだから。
 さて昨日、響の会。お客さまがた大勢様来ていただいて、よく見ていただいて、ありがとうございました。


●5月2日
 朝、歯医者。この前型をとって今日かぶせる予定が、やってみたら合わないとのことで、もう一度型の取り直し。今日は料金無し。

 二時より早稲田の稽古。新入生多く、〈熊野〉の仕舞7番他。あまり今日は怒鳴らずに丁寧な稽古を心がける。まあそのうちに段々にね。五時すぎまで。6時半から高田馬場で新歓コンパ。10人以上新入生が入ったそうでよかった。それぞれ自己紹介やら「イッパツ芸」やら。多彩な人材。上級生がんばってね。
 少々飲みすぎ。また乗り越し、今日はロマンスカーで本厚木まで。

 さて一昨日、響の会。なかなかいい楽屋だったと思う。出演の方々、有難うございました。はい(うう、少しくたびれが出てきたか)。


●5月3日
 午後「笛市」(原作/島尾敏雄 脚本・演出/宇佐美陽一)の稽古。横浜市営地下鉄の蒔田(まいた)にあるオイリュトミーのルナスタジオにて。二回目。笛の松田さんと(彼の紹介)。オイリュトミーということがまだよくわかっていないが、主催の宇佐美さんと松山さんが私の演技を面白いと言ってくれるので、そして自分としても今までの、そして普段の自分にない演技ができるので面白くやれそう。本番は7月、やがて全貌を明らかに。とりあえず私は大蛇と語りの役。今日は「やっぱり面を使わせていただけないか」とお願いして、次の稽古でやってみることに。(だけど面かけるとせりふをきちんと覚えていかなくちゃ。わお!次の稽古の日は〈小督〉の稽古能の日だし。) 今年は静かに古典を、と思っていたのに、やっぱり何かやっている。松田さんと帰りがけに〈横浜三時空〉の相談少し。
 (うう、今日はだいぶくたびれが出てる。稽古の後で行く予定にしていた国立での地唄舞の吉村さんの会を断念する。鐘作りで腰をやってしまって、そして石橋から続いた公演五つ。言い訳にはならないし。プロ野球の解説でも言ってるよ、怪我しないのも実力のうち。)

 二昨日、響の会。いい打ち上げ(於 あき寿司)だった。なごやかで笑いが出て、そして真摯な率直な厳しい意見。はい。皆様有難うございました。
 事務局との反省会を8日に。それまでに幾つかの作業を。昨夜会った響の会事務局の長谷部氏から〈花月〉に関して「なんか遠慮しているみたいだった」と。 ウー、ワン!(お客様でお気付きのことは御意見お寄せください)。

 この前タッちゃんちの前のおうちに○○が咲いた。朝フト気がついて、あ、咲いてる。えーと、○○○○だね。この○○が出てこない。電車から見てるとおお結構咲いてる。そしてなかなか出てこない。四文字か? いや、ウーン、ああ、そうだ。ハナミズキ
 もう五月だねえ。今夜は大阪からマンドリン娘が帰ってくる。
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