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〔'10/03/26〕涙の雨の卒業式 苦難の次は柔軟!
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朝帰りのご令嬢約一名あり。
御帰還の後、私はごみ出し、コーヒー係。
そして、今日はまず歯医者さんから。
「痛む時は、この前の痛み止め余っていたらそれを使ってください。結構苦い薬つけましたから、構わずうがいして結構ですよ。」
うう・・・。
午後は青山での稽古日。4月3日に発表会(「清門会」於銕仙会能楽研修所。10時から19時頃。能〈敦盛〉〈猩々乱〉ほか。入場無料)が迫って、あとは申し合わせが30日。先だと思っていたのが、いろいろやっているうちに、急に眼の前に迫ってくる。みんなも緊張気味か。
昨日は早稲田の卒業式に行く。末のソフトボール娘(今度はクロネコ娘)が晴れて卒業。本人は袴姿の着付けに早く家を出る。晴れてだが、実際は冷たい雨。
大人数だから4回に分けての卒業式。教育学部・文学部などは3回目2時からの分。私は二時を過ぎて到着。しかし、父兄の列は会場の記念会堂を取り巻いて、入場しきってない。ようやく入ったらもう満員で後ろの方に立って、総長の式辞より参観。感心するのは、長い20分程の総長の挨拶の中、今どき会場全体4千人ほどが全く私語のないこと。
総長の挨拶の後、芸術功労賞の授与が、何と小鼓の北村治師! 師は人間国宝、素晴らしい舞台だった。早稲田の仏文科の出身。海外公演などでご一緒させていただくと、日本酒をご持参。そしていつも本を読んでいらした。そして結構毒舌家。そして、もう舞台にはお立ちになっていない。たまたま出席したこの時に、ちょうど先生の受賞だったのには感動した。参列しているうちのソフト娘、沙羅も子方でずいぶんお相手していただいている(響の会でも私の〈海士〉の時に)。
そして舞台紹介の映像が流れる。ああ、故粟谷菊夫先生との一調一声〈三井寺〉を短く編集したもの。もうこの素晴らしい舞台は、実際には見ることのできないものなのだ。涙がぼろぼろながれてくる。
校歌「都の西北」をうたい、総長以下壇上の先生方が会場を通って退場。一番後ろにいてよかった。「北村先生!」と声をかけ、「おめでとうございます!」と言ったら、「お、(清水君か、)何がめでたいんだ?」と北村先生らしいお答が返ってきて、握手!
上まで書いてそのままになって、もう今日は29日。
その卒業式に出た後は、すぐ横の学生会館にて観世会の稽古をしたのだった。そして観世会の卒業生の追い出しコンパに出て、1次会の後は、雨の中、高田馬場のロータリーで、円陣を組んで校歌と応援歌「紺碧の空」を謡い、2次会の後またロータリーにて、また円陣を組み、傘を真中に置いて、今度は「千秋楽」を謡った!のでした。先日7日に自主公演で能「田村」ほかをやって、卒業生も在校生もみんな達成感あり。元気でそれぞれの道を、そしてまたなんかやりましょう!
追い出しコンパの私の挨拶は、誰か卒業生が「(4年間には)苦難も・・・」と言ったので、「苦難(九難)の次には何が来ますか?」 「・・・」 「十難です(残念ながらそれだけ乗り越えたからすぐ楽が来るとは限らない)。心も体も柔らかく柔軟にして臨みましょう!」
今日は寒い。座間駅近くのギャラリーアニータに出かけ「工藤実(絵画)・原田みどり(陶芸)親子展」を見る。実氏はパーキンソン病だが、その絵(顔の絵)を見ると元気をもらって帰る。娘さんの笠間の焼物も花入れなど、欲しいのだが、まあ仕方なく我慢して帰る。
行き帰りに谷戸山公園など寒さの中、咲きかけの桜・桃。帰りに雪降る。夜になって月出る。おお「雪月花」なるべし。今夜の肴は庭の野蒜、某所の土筆、到来物の筍、酒は菊正宗、ばら寿司に庭の蕗入り。春の香りがそろった。そう、山椒がまだ出初めで、採るのは気の毒。しかし、野蒜をきれいにむいたり、土筆の袴を取ったりしたおかげで爪が真っ黒だ。
さて、明日(30日)は朝が稽古能。〈三山〉と〈千手〉。午後からがうちの清門会の申し合わせ。ああ、これは謡甲斐あるねー。えーと、お弁当はロケ弁を頼んだし、準備はあと何か・・・。おお、当日のめくりを秋月氏に頼まなければ。彼は厚木から青山まで着物に下駄で歩いてくる。よろしくお願いいたします。
さて、もう一度予習をしましょう。
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