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〔'10/04/29〕伊勢屋の足来る 多田富雄仙人 インディアナ州よりのメール
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今朝は晴れていいなと思って庭を見ていたら、水道のメーターの蓋に、殿がチビ殿をおんぶして、その周りにトカチャン恐竜が三匹!
そのうち風がごおーと来て、雨ざあー!ときたる。
そこへ郵便局の配達、おお、去年3月に店を閉めた伊勢屋さんから、待ちに待ったる足袋が!
注文して一年以上。去年秋に25センチで頼んだのが20足来て、今回は誂えの方20足が。必ず来るとは信じていたけれど、なかなかだったね。私は伊勢屋さんの足袋しかはいていないから、まあ、これでしばらくは安心。(だけど、節約して履いていかなくちゃね。修理しつつ。)
納品書に「ご注文いただいた足これで全部です。長い間ありがとうございました。」 そうだ、ぼくらにとっては舞台ではこの足袋が「足!」
でも振り込みはちょっと待ってくださいね、この前、扇を作った十松屋さんに払う分がまだ済んでいないのでね。
しかし、日はどんどん過ぎていく。
インディアナ州のKさんからメールが来ている。ボストンで「一石仙人」をやろうとしてくれていた。あの時のワークショップ、本当にお世話になりました。今度はまたボストンでHさんが動き出してくれています。
先週土曜日に多田富雄先生は骨になられた。
その日の朝日新聞の朝刊に石牟礼道子さんの追悼文が載って、そこに一石仙人の東寺公演のことを書いていただいていたので、思いついて「一石仙人」の最後の部分をA4一枚にまとめてみた。
たとえば挨拶をして謡ってみよう。
「清水寛二です。先生の新作能〈一石仙人〉を先生の故郷、結城で舞わせていただいてよりのご縁で、原爆を取り上げた〈長崎の聖母〉・沖縄戦の〈沖縄残月記〉などを上演させていただきました。
この〈一石仙人〉は東西の交わるどこか砂漠で、真理を求める女大学が一石仙人―アインシュタインに出会って、相対の理を授けられるというあらすじです。今日は、その一番最後、相対性理論を色々なモノや詩歌などによそえて伝授した後、核を戦争に使うべからずとのメッセージを伝え、また飛び去ってしまうところを謡ってみます。途中そのままでは今日は所作がありませんので分かりにくいとことがあるかもしれませんが、また先生に『手を抜くな!』『原作通りにやれ!』と怒られそうなので、そのまま謡ってみます。
本当にご自分のことをお書きになったようにも思えますので、今日は作者に無断で〈一石仙人〉という題を〈トミー・タダ〉と替えてもいかと思っています。では謡ってみます。」
(注。実はこれも原作通りではない部分がある。)
新作能「一石仙人」多田富雄作 より
かかる宇宙の不思議をも 知れるは人間にほかならず
この世の真の不思議とは 無限を知れる人間
されば重力に逆らひて 宇宙の有様見せ申すべし
〔立廻〕
いで核子らを解き放ち 核の力を見せ申さん 核子らよ来たれかし
〔舞働〕
かかる力を見る上は 戦・争い・破壊には 原子の力よも使ふまじ
忘るなよ人間
Raffiniert ist der Herr Gott, aber boshaft ist Er nicht.
神は老獪なり されど悪意は持たず
混沌の海に秩序を生じ 生命を宿せし輪廻の時計も 今は見えたり
さらばよと 彼処の星雲 宇宙の微塵を 波立て打払い 時空に飛行して ここと思えば彼処に立って あれあれ星も死にゆくぞと
天を指さし地軸を貫き たちまち起こる電磁の嵐
重力を超え 時を戻し 歪める地平のさかしまの天地に
すなわち一つの火球となって すなわち一つの火球となって
黒点に引かれて失せにけり(残り留ニモ)
明日は谷本健吾の道成寺の下申し合わせが水道橋で10時から。装束をぎゅうぎゅうに着けてあげよう。
そして明後日は、さて響の会の本番。長谷部君が書いてくれた〈実盛〉の解説の最後の部分は「命の幕引きを飾る老武者の美学が…。」
本当にどうしてわたしは「能」をやっているのだろうか。
しかし、ビックバンからだもんな、面白いよ。
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