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〔'10/06/23〕前世は尚家に仕えていたのかな 玉稜・よ―どれがどうも僕を呼ぶ |
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[6.23]沖縄戦全戦没者慰霊の日、王陵に
ホテルをチェックアウトして尚王家の御稜に参らんとしていた時、訃報が飛び込んだ。
関根祥人君。昨夕、動脈瘤破裂によるとか。
これからの観世流を、能楽界を背負う人だったろうに、なんということ。
33年前の12月、装束を取りにちょうど銕仙会を訪れた桜間道雄氏が、寿夫師の訃報を聞いて「えっ!」と言ってゆがんだお顔を思い出す。
泣くしかない。
御冥福をお祈りする。
関根祥人(せきねよしと)氏 享年50歳
平成22年6月22日(火)午後11時52分逝去
急性大動脈解離
葬儀 7月3日(土) 護国寺桂昌殿(文京区大塚)にて
葬儀 午後1時
告別式 午後2時
葬儀委員長 観世清和氏
喪主 関根治美さん(奥様)
浦添の「浦添よーどれ」と、浦添城(ぐすく)跡にある「沖縄学の父」伊波普猷の墓(その時顕彰碑からオオゴマダラが一羽ひらひらと飛んでやがて空に消えた。不思議な時間だった。)に参り、そして首里の「玉稜(たまうどぅん)」から、首里高校の前を降りて、「一中健児の塔」へ。
* 平成22年度 第65回 一中健児の塔慰霊祭 式次第
主催:(社)養秀同窓会・一中学徒隊遺族会・県立首里高等学校
日時:平成22年6月23日(水)午前11時55分〜12時50分
場所:一中健児之塔(那覇市首里金城町1−7)
進行:中今 純(首里高22期)
1.開式の辞 社団法人養秀同窓会副会長 比嘉武宏
2.黙祷
3.一中健児之塔の歌斉唱 (演奏)県立首里高校吹奏楽部・合唱部
「よどみなく 奮いはげみし 健児らの
若き血潮ぞ 空を染めける
よどみなく・・・(二度繰り返し)」
作詞 仲宗根政善
作曲 仲本朝教
4.式辞
社団法人養秀同窓会会長 石川秀雄
5.献奏 吹奏楽部
6.御焼香 社団法人養秀同窓会会長 石川秀雄
一中学徒隊遺族会会長 新垣 侑
県立首里高等学校校長 山入端惠子
中学徒隊 同期生代表 宮城政三郎
ご遺族・同窓生・学校評議員・職員・PTA・教育実習生他
7.友よ!安らかに・・・ 一中学徒隊同期生 代表 外間 宏
8.誓いの言葉 県立首里高等学校生徒代表 比嘉真也
9.献花・献鶴 県立首里高等学校 各学級 生徒代表
朝木会
10.奉納演武 県立首里高等学校 空手部 剣道部 なぎなた部
11.校歌斉唱 (演奏)県立首里高等学校吹奏楽部・合唱部
「一 仰げば高し弁が岳 千歳の緑濃きところ 眺めは広し那覇の海
万古の波の寄るところ これ一千の学徒らが 競いたつべき聖天地」
(二・三・四 略) 作詞 山口泰平ほか国漢科職員
作曲 糠塚卯助・宮田啓重
12.謝辞 一中学徒隊遺族会 会長 新垣 侑
13.閉式の辞 社団法人養秀同窓会副会長 宮城朝義
以上
さて、JAL912便に乗っている。梅雨前線で揺れる。房総半島が見えてきた。帰って青山能〈三輪〉。今日は役はなく、楽屋にいるのだが、さてその時間にスッと入れるかな。
[6.22] 康春先生お勧めの首里そば! 黄昏の摩文仁の丘
けさは6時前に目が覚めてしまって、飛行機の中で読み残した多田先生の遺作「残夢整理−昭和の青春」(新潮社6月20日発行)の最後の章、「朗らかなディオニソス」を読む。これはかの橋岡久馬氏のことを書いたもの。久馬氏も亡くなる翌日か、ちょうど氏が地頭で私が副という番組だったのに、残念だった。
多田先生も逝ってしまった。
18日に多田先生を偲ぶ会あり(於 東京会館)。 *『多田富雄を偲ぶ会』 式次第
1 司会挨拶 岩崎 敬
2 舞囃子「融」 浅見真州
笛 松田弘之
地謡 阿部信之
小鼓 大倉源次郎 清水寛二
大鼓 亀井広忠 西村高夫
太鼓 観世元伯 柴田 稔
3 偲ぶ言葉 岸本忠三
村上陽一郎
4 献杯 奥村 康
5 歓談
6 映像上映NHK「人間マップ」「脳梗塞からの再生」より
7 新作能「花供養」より 一謡一管
謡 梅若玄祥
笛 松田弘之
8 偲ぶ言葉 谷嶋俊雄
石牟礼道子(音声メッセージ)
谷口 克 石坂公成(メッセージ代読)
清水寛二
9 歓談 (ありし日の多田富雄:宮田均撮影スライド集)
10 送る言葉 富岡玖夫
11 お礼 多田式江
以上
歓談の時間、遠来の方々ともお会いしてお話していると、ワインをいただいただけで何か食べる時間は無かったな。
医学・文化関係の諸氏に交じって、私も一言申し上げる時間を頂戴したので、やはり新作能のことを紹介。
私がシテを舞った曲目のそれぞれ短い紹介と、偲ぶ会当日、朝の生垣のチョキチョキの時にふと思った「これらはただの新作能の一つではなく、平和を希求するメッセージを発信する武器だ」と。
そして「先生! もし、また新作能をお書きになったら、メールで送ってください。そのメールには、私の血圧がこれ以上上がらない処方箋と、打ち上げ用に、先生の『かんぱ〜い!』の音声と、そのときの笑顔を必ず添付してください。では、先生、また!」。
さて、今日は摩文仁の丘。
今日は午後、沖縄県立芸大に行き、学長宮城篤正先生(今度退官なさる)にお会いして「沖縄残月記」などのお話を。いつか「ひーじゃー(山羊料理)の会」で自己紹介して謡を謡ったのも覚えていていただいた。今後またよろしくお願いいたします。
その前、お昼は例の比嘉康春先生が「あそこが1番!」とのお勧め「首里そば」にて「ジューシイ(おきなわ風炊き込みごはん)とそば(中)」。クセになりそう。
今夜は摩文仁の平和祈念堂で「沖縄全戦没者追悼式前夜祭」があるので、ご出演の康春先生たち一行(「沖縄残月記」の仲間)の車に同乗させていただく。
リハーサルの後、私も一緒にお弁当を頂き、そして前夜祭始まるまで時間があったので、今まで行ってなかった摩文仁の丘の各県の碑を廻る。
もう夕方で人影はほとんどない。
断崖の向こう、海が何事もなかったかのように、碧く、丸く広がっている。
断崖の途中にある第32軍の司令部のガマの入り口まで行って、ここは・・・。
* 平成22年度 沖縄全戦没者追悼式前夜祭 於 平和祈念堂
1. 式典
1. 開式
2. 献火 財団法人沖縄県遺族連合会代表
3. 献鐘 財団法人日本遺族会代表
4. 黙とう 参列者一同
5. 鎮魂(しずたま)のことば 財団法人沖縄協会会長 清成忠男
6. 献花 参列者及び関係機関代表
2. 琉球古典音楽献奏及び琉球舞踊奉納
1. 琉球古典音楽 合同献奏
〇陛下が皇太子時代にお詠みになられたお歌(琉歌) 瓦屋節
ふさかいゆる木草 フサケユルキクサ
めくる戦跡 ミグルイクサトゥ
くり返し返し クリカイシガイシ
思いかけて ウムイカキティ
〇外間守善氏の琉歌 金武節
島守らと思て シママブラトゥムティ
散り果てし哀れ チリハティシアワリ
鎮魂の願い シズタマヌニガイ
肝に染めら チムニスミラ
〇琉球古典音楽各流派の合作琉歌 辺野喜節
波の声もとまれ ナミヌクィントゥマリ
風の声もとまれ カジヌクィントゥマリ
静かなる御代の シジカナルミユヌ
お願いさびら ウニゲシャビラ
2. 琉球古典音楽 独唱献奏
@世渡節 野村流音楽協会 神田米三 (筝)具志堅道子
いくさ世や地獄 生死のさかい
暮れる日も知らぬ 闇にまよて
いくさ世も終て 明さ御代迎えて
常の念願事や 平和御願い
A子持節 琉球古典音楽安冨祖琉弦聲会 西江喜春 (筝)上地律子
誰よ恨めとて なきゆが浜千鳥
あわぬつれなさや 我身も共に
B赤田風節 野村流古典音楽保存会 國吉正康 (筝)仲嶺貞夫
赤田門やつまるとも
恋しみもの門や つまてくいるな
C對馬節 琉球筝曲保存会 屋嘉比桂子
我は對馬の 鍛冶屋の娘
鎖作りて 君つなぐ
3. 琉球舞踊奉納
@稲まづん 真踊琉佳紀の会会主 安次富紀子
A麾(ぜい) 琉舞緑扇会会主 池原勝子
舞踊地謡
【歌三線】比嘉康春 新垣俊道 仲村逸夫
【筝】 赤嶺和子 【笛】 仲田治己
【胡弓】 又吉真也 【太鼓】比嘉 聰
以上。
さすがに沖縄は沖縄の芸能による鎮魂。しかし合同献奏の方々のうち、終わって普通のおじさんのようにペラペラおしゃべりをする人がいたり、お客様の中でも、携帯で写真を撮ったりする人がいるのは、まことに残念。そして報道機関の傍若無人。ここは人の死を悼み、平和を祈念するところのはず。確かに65年は転機か。
[6.21] 夏至サー 上間さんニフェーデービル
今朝はホテルパームロイヤルナハを9:30出発。昨夜島寿司さんでお会いした、沖縄タイムス印刷局の上間さんの車・運転にて。
昨日は、JAL905便(羽田9:00発、那覇11:30着)にて那覇へ。
国立劇場沖縄14:00開演、沖縄芝居実験劇場・沖縄タイムス主催の「椎の川ジンジン」(作/大城貞俊・演出/幸喜良秀)。
* あらすじ(当日パンフレットより)
昭和20年の初め頃、過酷な戦争が沖縄本島の村々を次々と襲っていた。本島北部にすむ松堂家では、太一少年と妹の美代、父母の源太・静江、祖父母の源助・タエ、そして叔母の梅子が一つ屋根の下で仲睦まじく暮らしていた。しかし、そんな松堂家にも悲劇が襲いかかる。母の静江がハンセン病を患い、村から追放され、浜辺の離れ小屋で独り暮らすことになり、父の源太も戦争で徴兵されたのである。
ハンセン病は当時、不治の病とされ国家は隔離政策をとっていた。軍隊も士気に影響すると村まで静江を探しにくる。太一と美代は、突然姿を消した母を慕い行方を探すが、偶然、聞いた噂に両親が死んだものと思い込む。絶望する二人の前に両親の幻影が現れて、二人を勇気づける。幼い二人は再び母を探しに行く決意をするのだが……。
少しあらすじと実際は違うか。暗転が長いのはどうか?
出演は皆、いつも拝見している古典舞踊や組踊り・沖縄芝居などの若手の方々。チケットをお願いしたのは梅子役の山城亜矢乃さん(読谷在住、母上と97歳かじまやーのお祝い!という祖母上もいらした)。
皆さんいつもはやはり古典中心だから、ちょっと様子が違ってやりにくいところをあったかもしれないが、なかなか達者です、皆さん。
「ああ、私も現代劇をやってみたい!」と思う。
大城立裕氏もいらしていたが、氏の沖縄戦を扱った創作組踊「花の幻」もこの夏(8月28日・29日)に、今日と同じく沖縄芝居実験劇場によっていよいよ上演されるとのこと(於/国立劇場おきなわ、演出/幸喜良秀)。
28日は鹿児島・入来の薪能なので、翌日鹿児島から飛んでこなくてはならないか。
そして夜はいつものごとく首里の島寿司さんへ行き、上間さんにお会いし、話すうちに明日は暇だからと、今日の古宇利島行きを誘われ、それならと、愛楽園にもとお願いして、ではと。
愛楽園は「国立療養所 沖縄愛楽園」。名護の先、屋我地島にあるハンセン病の療養所。もちろん急に行ってもお話をうかがうわけにもいかないよ。中を少し歩かせていただく。日傘をさしたおばあが電動車いすで通りかかって、どこへ行くのと声を掛けてくださる。
帰りに園内のカトリック教会(聖フランシスコ・ザベリオ教会)に寄ってみるとシスターがいらして、〈長崎の聖母〉のチラシをお渡しすると、なんとシスターは長崎五島の出身とのこと。少し愛楽園のことやその教会のことなどをうかがう。
本当に初めのころは想像を絶することだったようだし、近年もなかなか・・・。しかし、平成8年4月1日に「らい予防法」が廃止され、「隔離」や「差別」、「偏見」から別れを告げ、患者さんの表情が明るくなったと聞き、ああよかったと少し救われる。
二冊の御本をいただく。「み手に伴われ」(天久佐信氏の自分史、教会や愛楽園の自治会史)・「海鳴」(原田道夫氏の短歌集)。
今日は夏至。
沖縄の空は青い。殊に今日は青い。雲は白い。
沖縄の海は青い。本当に碧い、青い。
もう二十年も海には入っていないか。そろそろいいか。
ホテル帰着17:00。 さて、今夜は…。
上間さん、せっかくのお休みをご案内いただいて、ニフェーデービル(ありがとうございました)。
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