響の会〔清水寛二・西村高夫〕
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●2011年02月
〔'11/02/08〕トンネルを抜けるとそこはトンネルだった。
〔'11/02/22〕しみかんのワルシャワ日記
2.14 睡眠は3時間 初めてのフィンエアー
昨日沖縄から帰って、ご飯を食べて、集中講義で使った装束(羽衣のシテ)などをかたづけて、用意をしたらもう3時! 一応眠って6時に起きて、成田へ。
相武台前6時54分の準急。新宿8時過ぎの成田エクスプレス。
第二ターミナルBカウンター10時の集合。(西村さんが20分の遅刻!)

今回は着物で来てみた。着てみた? 靴は持ってこない、雪駄をはいてきた。さて零下のポーランドに通用するかな?

成田12時発、ヘルシンキ行きフィンランド航空AY74便。
機内では袴は脱いで着流し。楽ですよ。

昨日の沖縄からの帰りは、ジェット気流追い風、なんと時速300q!(ホントかな?)おかげで早く着いたが、シベリア上空は逆に向かい風なく、これも早く着いた。

ヘルシンキは約30年前の初めての海外公演(第二回世阿弥座=この時の公演は40日、ドイツやスイス、オーストリア、フィンランド、ブルガリアを廻った。この前国際文化会館でのシンポジウムでお会いした、現在一橋大学にいらしている社会学のブルガリアの先生はこの時の公演を見ていただいたらしい。)で来たところ。 その時、私は清経のツレをやったように思う。

そのあと、ヨーエンスーという北の町の夏至祭での演能があり、楽しい白夜、サウナでの・・・や、奥善助さんが翌日の出発にまだ寝ていらしたことなど思い出す。
この時の現地で世話していただいたフィンランドの方は「私の名前は"カイイーマンネン"」という大阪弁をしゃべるカイ・イーマンネンさんだった。

さてヘルシンキで乗り換え、同じくフィンエアー、AY743便にてワルシャワへ。この搭乗はバスで。タラップの下、零下15℃で待つのはさすがに寒い。

ワルシャワ18時着。バスにてホテルNOVOTELへ。新市街の中心地。公演会場である「テアトル・ステューディオ」もすぐ目に見えている。
チェックイン後ホテル内のレストランにて全員で夕食(私はラザニア)。解散。
324号室(西村さんが向かいの323号室、様子は写々丸日記をご覧ください)。凄い静電気。ビリッ!

2.15 旧市街見学・大使館公邸レセプション イガさん!
朝食はホテルのレストラン。部屋番号が思い出せない。名前を言って、「OK!」
旧王宮を皆で見学。イガさんに再会。思わずハグ。
イガさんはヤドビッガ・M・ロドビッチさん。駐日ポーランド大使。かつて先代銕之丞師について稽古されていた(ちょうど私が内弟子の時代)。前回5,6年前のここワルシャワのテアトル・アカデミーでのワークショップも彼女の企画。この時は観世栄夫・荻原達子・現観世銕之丞・西村高夫に私というメンバーだった。
今回の新作能「調律師―ショパンの能」はこのイガさんの作(翻訳関口時正・節付観世銕之丞)。
昨年体調を壊され帰国されていたが、お元気そうなご様子で、お会いできてよかった。

旧王宮は戦争で破壊されたものを復元。その復元に掛けるポーランド国民の素晴らしい熱意と技術。各展示室を詳しく説明していただく。
ポーランドという土地の歴史的背景を感じた時間。
しかも、なんと、ダビンチの「白テンを抱く少女」など、素晴らしい絵画も間近に。
しかし、写真を撮る人多いのだが・・・。

昼食は旧市街のユダヤレストランにて、イガさんの設定。前回もここで頂いたことあり。ウォッカにて乾杯!

夕方より日本大使公邸にてレセプション。楠本大使主催。
私に日本に姫路城などの映像を撮りに行ったという方が話しかけられ、自宅に招待したいと言われたが、残念ながらこの日程では時間がない。

最後にみんなで「千秋楽」を謡う。

結構お腹いっぱいだったが、帰ってから近くに安藤君と光君とで「フォー」を食べに行く。さすがに寒いね。銕仙会での内弟子時代は毎冬しもやけに悩まされたものだった。耳が・・・。
夜の暗い空を白い鳥が群れをなしてグルグル飛んでいる。

2.16 テアトル・ステューディオにてリハーサル 
昼過ぎより、ショパンの心臓が祀られている聖十字架教会の下見。結果リハーサルとなる。20日に20分程度の奉納公演あり。ここではパイプオルガン。ピアノとはずいぶん違うし、舞台も祭壇前の空間や通路を使ってのこと。さて。

17時より(実際は照明等遅れて18時過ぎてから)、上演会場テアトル・ステューディオにてリハーサル。
300人程度の小劇場。まあ、古い劇場。うちのかみさんも転形劇場時代にポーランドを廻ったらしいけれど、此処でもやったのかな。
二回通す。二回目は装束を着けて。

おべんとうは「寿司」! サラダと醤油とキムチ付き。
ホテルに持って帰り、まずは下のバーでみんなでビールにワインにウォッカ飲んでから、部屋で一人寿司。
まずは、見通し立って良かった。

身体の中に時差がやはりあるんだね、リハーサル終わって楽屋で、「徹夜明けみたいだ。」  おやすみなさい。

2.17 うわっ、何時だ? 雪は粉 無事初日

朝、何度も起きかけて、まだまだと思っていて、ようやく起きてみたら10:20! ああ、朝食は10:30までだったと急いでレストランへ。セーフだったけれど、無愛想なおねいちゃんたちがどんどん片づけている。
ロビーで日本人お二人とお話。スペインに駐在している鉄鋼関係の方々。商談済んで、スペインへ帰る。「寒いですね。」 「スペインへもどうぞ!」

雪が降ってきた。ジャンジャン降っている。部屋の窓から見ていると、降った雪は積もらず、白いつむじとなって舞う。傘をさしてる人はいない。
ああ、仕方ない、帽子を仕入れるか。雪駄がすべらければいいが。
コートには、いつかどなたかから頂いた二重廻しを持ってきた。重いばかりで意外に袖の中が寒いのだね。

雪が積らないうちに劇場に行ってしまうか。17時入りの予定だけれどね。
まずロータリーを超える地下道の階段で滑りそうになり、覚悟を決めて(大げさ!)、靴を買う。帽子は、まあいいだろう。しかし雪が降って、逆に暖かくなったみたいだ。

劇場に行き、まだみんな来ないので、ショパンを一曲謡ってみる。
下のカフェで昼食、サーモンの入ったサラダにパン。

さて本番、初日。ポーランドの偉い方々の招待を含めて満席。まず無事初日があいた。ようやく、私もこの作品が分かってきたかな。ピアノにミスタッチあったらしいが、地謡にも不満ありだね。
下のカフェで打ち上げ。ポーランド外務省主催。

映画のアンジェイ・ワイダ監督の隣に座る。少しお話した。実は監督が日本に来た時に、うちのかみさんのいた転形劇場の稽古場(当時赤坂にあり)に岩波ホールの高野さんに連れられていらしたことを聞いていたので、そのことを聞いてみたけれど、ご自身演出をされた玉三郎がどうこう。忘れたのね。今日の能にはいい印象をお持ちのようだった。

2.18 ショパン博物館 公演中日
雪は降っている。

ショパン博物館を見学。
自筆楽譜や生涯のことに関する展示に、皆、能作りのヒントを得た様子。
殴り書きの自筆楽譜の絵葉書を買ってみる。

二日目の公演、初日は招待のお客様が多かったのか、今日は若い人たちが多かったのか、ずいぶん反応が違う気がする。拍手もすぐ起こる。

今夜の打ち上げはポーランド側の実行団体、テアトル・インスティテュート主催。ありがとうございます。ポーランド料理。おいしい。しかし、なかなか食べきれない。
今回の能の中で弾くピアニスト、第13回ショパンコンクールで6位に入賞したマグダレーナ・リサックさんが向かいの席。彼女も舞台ではずいぶん緊張していたようだが、チャーミングな笑顔。

この公演に私達に張り付いて、通訳や色々な設定をし、世話をしてくれているのは、クバさん陽子さん夫妻。早稲田の喜多会に居たとか。本当に朝から晩まで、笑顔で対応してくれている。この人たちの働きで今回の舞台が成り立っている部分は大きい。

2.19 懐かしいテアトル・アカデミーでのワークショップ
2005年だったか、この国立演劇大学テアトル・アカデミーにてワークショップをしている。5日間ほど毎日実技をやった。夏で快適な日々、ホテルから毎日20分ほど歩いて通った。
今日の通訳はその時お会いしたマルタさん。故荻原達子さんのお友達で、当時はジャイカの事務所にお勤めだった。今はワルシャワ大学の図書館にお勤めとか。
荻原さんが亡くなった時、メールでお知らせした。

今日の次第は、

・『羽衣』 「乙女は衣を」より 地次第太鼓打出し 和合之舞(二段抜き)

・『葵上』 ノットより 空之祈にて

・囃子のこと

・装束付け

全体で約2時間。
私が「羽衣」を舞い(紋付にて)、進行お話をする。マルタさんは色々補いつつ通訳をしてくれている様子。
教室なので舞台エリアをテープで仕切り、橋懸りは花道方向。
学生は20数人とか。先生方や関係者の見学もあり。例によって学生には寝ころんで見るものもあり。しかし、結構質問は鋭い。

明日は実技のワークショップ。これは西村さんが隊長。
公演の方はこれで楽日。
イガ大使は「今日が最高!充実していたわ。感激です。」
今日のカーテン・コールには私達後見グループも最後に出る。
お疲れ様でした。まずはトラブルなく上演で来てよかった。
なかなか面白い時間が舞台に流れていたように思う。
さて能舞台でこれがどうなるか。

今日はテアトル・アカデミーの設定で舞台はねて夕食会。旧市街近くのビアホールにて。毎日ごちそうになって有難いが、量が多くて、食べきれないのが申し訳ない。

雪は降り続いている。

2.20 晴れても雪は降り続いている
ワークショップ二日目に笠井氏と同行。初めのお話を。私たちはすぐ教会へ向かう。実戦は西村さん隊長以下五名。
西村さんの主義で、洋服にて。「その方が身体が分かりやすいだろう!」

西村さんが謡を担当し、他の人たちが方を担当したらしい。さてどうだったろう。
聖十字架教会は大きい。
堂内少し後ろ寄りのところにショパンの心臓がおさめられている柱あり。
日曜日は何回かミサが行われるが午後1時よりのミサに引き続いて、ショパンの能の後初同より約20分の奉納公演。
囃子方と地謡は内陣に。シテは祭壇前の空間で舞う。そして途中の舞の部分は中央の通路をずっと進んでショパンの柱の前で舞った。

スタッフや出のないワキの殿田さんなど皆でミサがすんで、大急ぎで濡れた大理石の床を掃除。
私はシテ出て後、中央通路の目印のため通路の後ろの方に床几にかかっていた。教会のドームは本当に音が全体に廻って、荘厳。
パイプオルガンのノクターンも身体に響く。
無事終了。この公演に関わって頂いたポーランドの方々、皆さんお疲れ様でした。団員の方も事故もなく終了できてよかった。

3時半より、ホテル近くのレストラン「シュトラウス」にて打ち上げ。
在ポーランド大使館(http://www.pl.emb-japan.go.jp)の楠本祐一大使と牧野道子広報文化センター所長の間に座る。向かいが日本精工在ワルシャワ事務所の神原さん(御後援を頂き、また日本人会等ご協力いただいた。楽日には楽屋におにぎりとひじきの煮物の差し入れ、ありがとうございました)。

大使の挨拶「初めはショパンの能と聞いてどうなるるのだろうと思っていたけれど、大変いいものをやっていただきました。また一歩、日本とポーランドとの文化交流・友好が深まったと思います。」
ウォッカで乾杯。
晴れているのに雪が舞う。
交差点を超えてすぐと思って羽織だけで来たら寒い!
解散後、ホテルに帰ってバーでまた乾杯! 今度はズブロッカ。おいしいけどね、強いよ。お風呂に入って、バタっと。

2.21 あら暖房切れたね アリバイには行かず
朝ふと、暖房の音が止まる。ああ、こんなにうるさかったんだ。
朝ふと、トイレに座る。自然に出る。ああ、時差解消されてしまっている。
今日帰るのに!
窓の外、晴れている。

私の部屋は表通りの反対側駐車場側であるが、向かいのビルの一階に何やら怪しい店が並んでいる。(このビルに佐賀のカチガラスに似た灰色と黒の鳥のつがいがすんでいる。)
右から「GRILL BAR EGIPT(24H)」 「Cafe Bar Bla-Bla」 「KICZ PUB」「CLUB ALIBI」
結局ずっと設定の食事とこのホテルの中だけの食事ですませてしまった。「日本館」という日本食のお店に毎日通った人もいたらしいが、そこにも行かずじまいだった。

今朝もいつもの朝食。昨日の打ち上げ後、約一名泥酔者がホテルの人に部屋まで連行されたとか…。
最初に両替した「ズロチ」がまだたくさん残っている。お土産は買ってくるなと言われているし…。さて・・・。

11時ホテル出発、1時のフライト。同じくフィンランド航空、ヘルシンキ乗り継ぎで成田へ。
まずは荷物をまとめておこう。
お疲れ様でした。 現在時間は9:42かな。

さて、ヘルシンキを出て、シベリア上空へ。
AY073便。
最後方だけど、窓際の席。フライト初めの西の空の夕陽のきれいなこと。
となりは亀井広忠君。でも、後ろの方の席があいていたので、そちらに移り、52A席、二人のところを独りで座っている。
食事が出て、ビールを飲んで、赤ワイン(ただし小瓶)を三本。映画を見ている。行きの時は「必死剣―鳥刺し」(初めの場面に能「殺生石」研能会の人たちだったな)他。今は、アメリカ人の女性が最後にバリに行く話。
ノイズ・キャンセリングのイヤーホーンを持って来て正解。フィンエアーの機内のイヤーホーンは最低。

機内が静かになっている。みんな寝ているのか。
成田には朝の10時に着くか。免税品の販売が廻っている。ステュアーデスの着けているムーミンのエプロンを買う。琉球に行きたいな。さておやすみ。
うまく寝たものか。ハバロフスク上空で朝食のアナウンスで起きる。
もう一度「必死剣―鳥刺し」を見る。『殺生石』を謡っている加藤眞悟君の大写し!一度では色々なところを見落としているものだね。英語の字幕、そう、ショパンの能ももう少し整理が必要かな。

2.26 補遺・追加・久しぶり・忘れ物
すでに帰国して何日か経ってしまっている。結構毎日忙しい。明日からもしばらく続くけれど、細かい予定が…。

今日は青山能「隅田川」。後見。シテの笠が落ちるハプニングあり。
そのあと三越劇場に行き、「よみがえる琉球芸能―江戸上り―」(監修又吉静枝・比嘉悦子。http://edonobori.jp)を見る。みなさんよかったけれど玉城匠君がなんだか初々しくてとてもきれいだった。横道萬里雄先生のお姿もお見かけした。

昨日は青山能の申合せに少々遅刻。9時半始と思い込んでいたら9時始だった。
申合せのあと、久しぶりに床屋に行って、午後は青山稽古日。1時から9時。久しぶりに存分に謡う。

24日 午前は座間のお稽古。今度市の発表会で出す「羽衣」を主に。しつこくやりなおす。はじめて自分で演出的意味を言葉にできるところあり。

夕方から渋谷の長沼スクール(東京日本語学校)で日本語教師を目指す人たちのために、また「羽衣」。実際には色々お話をして、クセの最初の三行(アシライ付きで何回も)と「猩々」の「尽きせぬ宿こそ目出たけれ!」で1時間。
夜の着付け研究会がキャンセルだったので、へへ、かみさんとクロネコ娘と3人で、久しぶりに町田のお寿司屋さんへ。赤ナマコ!酒は和歌山の「雑賀衆」。

23日 夕方から銀行のお稽古。4月の稽古日をと言われたけれど、実は手帳をどこかに忘れてきたらしい。どうしよう。成田から帰って見当たらない。

22日 帰国して、成田からは相模大野までバス2時間。これは爆睡。昼飯食べて爆睡。夕方起きて青山のホテル・フロラシオンでの「野村万之介さんを偲ぶ会」へ(早稲田の狂言研OBの皆さんも大勢。往復の電車で爆睡。)
万之介さんには銕仙会や響の会はじめ、早稲田の学生の発表会などでもずいぶんお世話になった。奥様を先年亡くされて、本当にがっくり来ていらしたようだったが、それでも執念のように楽屋の廊下を歩んでいらっしゃる姿が忘れ難い。御冥福をお祈りする。

うちの梅が咲きだしている。ほんとに地味な梅。フキノトウも頂いた。水仙がそろそろおしまいか。代わりに寸の短い黄色い水仙が咲きだしている。
クロネコ娘がなぜか平均台から落ちたとかで、左肘を脱臼して吊っている。店長に「馬鹿!」と言われたとか。
その上の熱帯娘は、博士課程に進学とか。修士論文は「アリ植物オオバギを寄主とする植食性昆虫の食草利用様式」とか。
一番上の石っこ蓮さんも、博士課程にとか。会社はどうなるの?
ああ、ショパンの能忘れそう。


しみかんの徒然に記は定期更新です。
更新日 − 第二・第四日曜日
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