響の会〔清水寛二・西村高夫〕
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●2006年11月
〔06/11/28〕もうしあわせなお昼ね 火曜夕方劇場 【102】

 稽古能。9時より青山にて。また小田急遅れる。混雑とノロノロで代々木上原にて倒れた人あり。あお私も遅刻しそう。どうにか間に合って、着物に着替えて上に上がったらすぐ始まる。今日は〈松虫〉(岡田麗史)と〈阿漕〉(馬野正喜)。

 このところ足の甲のたこが痛く二番はきついが、動かすと余計に痛いのでじっと我慢。本当にこのじっと我慢が能役者を作るんだと思う。我慢すること自体が、そして我慢しているうちに自然と足を鍛えていることが。何も余計に走ったりしなくてもきちんと地謡で座っていれば、きちんとした粘りのある運びは出来ていくのだ。ホラ見てご覧、地謡座でゴソゴソしている人はきちんとした運びなど出来ていないから。
 
 〈松虫〉はいい曲。「酒召され候へ」。
 このところ頂いたお酒に因縁あり。
 まず広島のお酒「富久長」の純米吟醸、2003年ヴィンテージ。おおこれは今田酒造だ。ああ、あの今田さんが作っているんだ。彼女は「橋の会」で能の制作にかかわっていた。頑張っているね。これを送ってくれた広島のK君は、この前出張にかこつけて響の会の集いに参加してくれた。彼も頑張っている。(集いに出席のOさんから行田の足袋のことお知らせあり。http://www.tabigura.net/npo.html 一度行ってみたいもの。)
 そして灘の「白鹿」の山田錦特別本醸造。実家が酒屋だけれど、御自身はビール二杯で次の日の午前中は寝ているという方から。これは灘の銘酒だが、例の阪神大震災でその仕込み水、天下の名水「宮水」の井戸が壊れたのを新しく公園として設計したのが「一石仙人の会」のメンバーで、この前も新百合ヶ丘まで一緒だった岩崎敬氏。さあ酒召されそうらへ。

 〈阿漕〉はいい曲。今日は発見した。神様の曲「脇能」のおじいさんは元気な青年。しかし〈阿漕〉や〈野守〉のような4番目や5番目の曲のおじいさんは、きちんとした老体としての演技―構えや運びや謡―をしなければならない、のだよ。明日〈野守〉をやる慈一君と後でしゃべっているときに、そうだ「老体の構えをするから杖が持てて、扱うことが出来るんだ、その構えがあいまいだと杖もきちんと扱えないんだ。」ということを発見。
 〈松虫〉も〈阿漕〉も中入り前のロンギという部分が地謡の「不思議やさては」で始まる。あれその次どっちがどうだったっけ?世阿弥は流用したのかしらん。

 稽古能終わって西村氏に「申し合わせは4時からだったね?」 「え?」 「あれ清経の・・・。」 「それは明日でしょ。」 「え、今日じゃないの?」 「いやいや明日のはず。(番組を確かめて)ホラ、明日の青山能の前。」 アリャリャリャリャ。アーさては手帳に書き間違えていたな。でもすっぽかしたりダブルブッキングでなくて良かった。西村氏はツレだから今日かと聞かれてあせったろうね。

 それから順之さんが〈屋島〉(銕仙会の一月の例会で「大事」という小書き付。稽古能が〈井筒〉と同じ来週火曜日に。)をツレの慈一君と合わせるのをアシラウ(囃子やワキや地を謡うこと)。終わって着替えて事務所に行くと、T君がこの前私も食べた新手の弁当屋さんの弁当(これはチキンソテー)を食べている。うーん、腹減った。何か食べて帰ろう。栄養をつけようと「だるま」へ向かう。あ、Uさんだ。うちのお弟子さんだが今日稽古日と勘違いして来たらしい。「この前の(清門会の)〈松風〉(の素謡のおシテ)よかったですよ。」「先生にほめられるの初めて。」 アリャそうかな、しかし本当に良かったよ、澄んでいて。

 だるまで今日は「かやくそば」(いつもはたいてい「高菜そば」)と「半チャーハン」。満腹にて帰る。地下鉄の入り口にて「博士の愛した数式」を立ち読みする人あり。そうだこの前からDVD見られないまま置いてあるな、ちょうど時間が出来たから帰って見よう。

 帰って駅のスーパーで買い物するかあちゃんと落ち合い一緒に帰る。シュウクリームでお茶。4時から申し合わせならぬもうしあわせなお昼寝。5時より「博士の愛した数式」見る。この中では〈江口〉の地謡を謡っている。薪能の客席に原作者の小川さんが座っているよ。ありゃこんなに大きな字で出演者に入っている。ああ、今度は寺尾さんの相手役に使ってくださいな。浅丘さんの相手役?

 おお、では明日は国立の〈清経〉(シテ梅若六郎、ツレ西村高夫、地頭観世榮夫)の申し合せ。(夜は青山能あり。)そして明後日は梅若研能会の長谷川君の〈清経〉の申し合せ(私が地頭、この本番は12月3日「泰晴会」於国立)と国立の〈清経〉本番。おお、勉強になるね。今日はゆっくり寝ようね。ポヨーン。

〔06/11/27〕銀杏の絨毯 ごんごドウダンの秋の色 【101】

 朝は青山能〈野守〉(シテ浅見慈一)申し合わせ。また小田急線遅れて少々遅刻。幸い役はなく、見所で拝見。直球なので気持ちよい。
 午後国士舘の授業。鶴川で降りるのに、目を開けたら鶴川でドアーが閉まるところ。ありゃ、このところ乗り過ごすのがうちの子供たちにはやっていて、しかも終電ころになって本厚木まで行ったしまったり。人事ではなかったが、少し時間的に余裕があったので良かった。玉川学園前から戻って、鶴川降りて箱根そば(ここは椅子あり)でカツ丼のセット。
 バスで鶴川団地の中「給水塔前」で降りるが銀杏の並木の黄葉!歩道も敷き詰めてまぶしいよう。

 昨日。宝生の別会へ。〈張良〉、ワキの披き。頑張っていたね。しかし幕の揚げ所を違えたり一畳台の位置が板一枚違っていたりなど、残念なことも多し。〈姨捨〉近藤乾之助師。涙故簿縷々。見所に京都方面から来れる人幾人かあり。私も久しぶりに水道橋の見所に座って拝見。ありがとうございました。
 残念ながらそこで失礼して、徒歩にて(春日から菊坂を上り本郷)多田先生宅へ。来年の一石仙人ボストン公演につき、彼の地よりK夫妻来り一石仙人の会のメンバー集まって会談。成功を。

 一昨日。朝、座間の稽古。仕舞の稽古始める。ずいぶんやっている人もいるのだが基本の構え・運び、サシ込み開きから。
 3時より青山にて〈井筒〉の稽古。銕之丞師。地謡は西村氏と内弟子二人。ずいぶんしっかりしてました。いくつかの課題。良い提案を頂く。今度は来月5日に稽古能。
 〈井筒〉の後で〈三山〉の仕舞もやってみる。これが観世流で初めての仕舞〈三山〉の稽古だ。能の時とは違った謡い方が必要なこともわかった。今度また地謡のメンバーそろってやってみよう。

 この間、響の会の集いで〈通小町〉の反省と〈井筒〉の読み。〈通小町〉では最後の成仏が話題に。〈井筒〉は詞章を読んでみた。これも実は唐突な終わり方だ。
 全体の演出としてこの春以来私は、「紅無し」風なやり方ではどうかと考えてきたが、ここにいたってはそうではなくなってきた。見てのお楽しみ。作り物のススキの位置はどっちという質問もあった。本来演者から見て右。しかし、お客様から見やすいように左につけることも多い。寿夫先生のテレビの時は、「本来は右だけど、左のほうがお客様からは見やすいからそうしているが、今回はカメラがワキ座のほうにあるので、右につけて。」とおっしゃった。このときの〈井筒〉はビデオやDVDで発売されているが私は見ていない。さてススキも見てのお楽しみ。

 帰りは雨。傘持たずに出たがまあ大丈夫なくらい。踏み切りの桜並木もずいぶん葉が落ちた。一枚一枚色が違うんだ。公園のドウダンにニシキギの赤が燃えるよう。はあ、うちの残ったトマト3個はもう赤くはならないべな。

〔06/11/19〕至福は続くよ 最終急行 【100】

 若松さんの素人会「翠松会」、杉並能楽堂にて。あいにく冷たい雨。舞台から正面ワキ正面見所の後ろ全部外が見える(最近きれいなサッシになった。暖房も効くようになった)。風の吹く様子、時折落ち葉が散る。若松さんの隣で、素謡四番仕舞十五番謡う。若松さんは、この前も書いたが舞台で動かない。しかし謡いだすとき舞台がゆれる(特にここは)。すごい力だ。その隣で謡う。至福の時、また来る。
 宴会、新宿の小田急ハルク8階の金沢料理「大志満」にて。和やかな時。おいしく頂戴する。しかし、残念ながら歯!のためお酒を遠慮す。むむむ、こんな時に・・・。会員の方に富士高(の前身の府立第五高女)の大先輩が。秩父先生のことも御存知。若松さんのところの方々は皆さんそうだが、いつもよく私の舞台も見ていただいていて、また今度の井筒も皆さんを誘っていらしていただけるらしく、よろしくお願いいたします。
 二次会に西村君と私を誘っていただいて区役所のほうの行きつけのお店へ。
 「君たちがしっかりしてくれないと・・・。」 「人のことはいいから自分のことを!」「序の舞の一歩をしっかり運べるように!」 帰り最終の急行、坐れたが、なんだか寝てはいられない、豆本を取り出す。お酒飲んでたらそうはいかないか。ウム。
 空手娘が乗り過ごして海老名まで行き、戻ってきて駅から一緒に帰る。こら早く帰れ! ミートゥ!

 この間から西村さんと相談してきた来年の響の会の来年の番組。昨日の青葉の会の後、目黒の駅ビルのカフェで最終案をまとめる。春秋に研究公演。少し調整、依頼をしてまもなく発表を。地道に能の力を。

〔06/11/17〕線路内立ち入りはむかごを採っていたの? 【099】

 久しぶりの休日。モッコクに絡んだ山芋の蔓や葉の上のほうが茶色く枯れてきたので途中までとる。この間まで櫟のあたりにいたカマちゃんはどうしたかしら。
 そして9時半、まず歯医者。先週末(国立の井筒のころ)からまた左の下奥が悪化。我慢が出来ない。(これではお酒が飲めないのだ。)混んでる時間かと思って行ったら幸い誰もいなくてすぐ。一番奥の根元が融けてるらしい。とりあえず抗生物質と痛み止めで様子を見ることに。ああ、もうこんなに奥歯を噛み締めるのはやめよう。顎に力を入れた謡いはやめよう。歯を喰いしばって我慢をするような生活はやめよう。砂を噛む思い・・・、いやいや。

 草加のフミちゃん(かみさんの従姉)の旦那のお見舞い(脳梗塞で入院)にかみさんと出かける。小田急で新宿、山手線で日暮里、常磐線で北千住、東武線で草加、各停に乗り換えて松原団地。私は新婚以来久しぶり。団地を抜けて病院へ。
 緑の多い団地。二階やせいぜい四階建て。少々古くなってもうずいぶん空いている。錦木の紅葉。山芋の黄葉。またムカゴ少々採る。もうほとんど落ちているんだ。山芋の蔓の存在は葉が黄色くなってよくわかる。電車の中から見てもあああそこに・・・。このところ小田急線が人身事故や線路内立ち入りで遅れることが多いが、まさかあれはムカゴやカラスウリを採ってるんじゃないだろうね。(春ならつくし摘みだ。)
脳梗塞、心配したが発見と処置が早かったので、顔色も良いし言葉も出る。最初管を抜いたりして暴れたらしいがそれはまったく忘れているとのこと。落ち着いたら「俺はどうしてここにいるんだ?」。まずはよかった。両手で握手して帰る。

 帰りは草加で中央林間行きの急行(東武線から地下鉄半蔵門線、そして田園都市線直通。便利になったものだ。)が来たのでそれでまっすぐ。地下鉄内は二人して爆睡。ああ、よだれは大丈夫だったか。知らないうちに満員になっていて思わず口に手が。終点の中央林間からまた小田急で相模大野、相武台前。時間的には新宿回りも一緒か。駅のスーパーで買い物して帰る。
 ああ、休日。

 明日は柴田君の「青葉の会」。目黒の能楽堂は久しぶり。私は〈相聞〉―元々は芥川龍之介の詩を観世榮夫が地唄舞の今井栄子さんのために作ったもので現在能舞として時々演じられる―と仕舞〈景清〉の地。〈松風〉はないのでゆっくり拝見しよう。〈相聞〉と〈松風〉のシテはもともと同装なので今回は〈相聞〉のほうの装束を少し変える予定。
ああ秋もなんだか深まっていくね。
 今夜は鍋。

〔06/11/11〕井筒の至福 カテドラルの祝福 【098】

 11.11はやはり節句なのだろうか。もう立冬も過ぎたのに舞台や楽屋は結構暑い。
 今日は国立の〈井筒〉。シテ・山本順之、地頭・若松健史、後見・銕之丞。大鼓・忠雄先生、小鼓は広島の横山先生、笛は大五郎先生から代わって大阪の赤井さん。昨日の申し合わせで私(副地頭で若松大先輩の横で謡わせてもらった)は泣いた。クセの後半部「その時、女も」というところ。地の謡い出しから若松さん最高と思っていたけれど、ここで「ああそうか、来た!」と思ったら、ぐっと来てしまった。こら涙引っ込め、ちゃんと謡えないじゃないか。
 そしてその申し合わせの後、夜は銕仙会例会の本番。ここでは銕之丞師の〈女郎花〉の後見を若松さんと。(この後見は舞台上では何も特に用はない。) 装束付けが出来たり何か器用だったりするのが必ずしもいい後見ではないと思う。若松さんのようにどっと動かないのがすばらしい。地頭を謡っていてもそう。どうやったらこんなに重心が下につけるのか。(ひざが悪いのに足組み替えたり絶対しない。誰だ音させて組み替えてるのは。)
 今日は今年一番の地謡。銕仙会の〈井筒〉! 地謡のみんなの声を聞いたり、謡っている様子を見るに、各自いろいろ問題がある。しかし、まあこうやって銕仙会の伝承を今日受けて、さてまた次にどうやってそれを受け継いでいくかだ。
 今度の私の〈井筒〉は西村さん地頭でほぼ同じメンバー。私も頑張るからね、よろしく頼むよ。

 国立終えて千駄ヶ谷の駅で、にこやかな順之夫妻と別れて、目白へ。東京カテドラルのミサ見学。ようやく〈長崎の聖母〉浦上の天主堂公演から一年たって疲れ癒えて、(まだどうするという具体案はないが)再演へ少し動き始めようとまず第一歩。カテドラルに入ったのは初めてか。もう出来て40年を経過して屋根の修理を始めるのに8億円必要とか。私はカトリックではないので聖体拝領は無しに、でも神父さんの祝福を受けて帰る。今日は幸福。
 さて再演に何か良いやり方はないものか。

 多田先生から“最後の”対談集「懐かしい日々の対話」(大和書房刊)を頂戴する。この大和書房の大和(おおわ)岩雄氏は私がやっていた地照舎の能をよく見に来てくださり、早稲田の近くにある大和(だいわ)書房でお話をうかがったこともある。この大和書房は地照舎の興味からしていい本をたくさん出している。地照舎もこのところ休会状態だが決してやめたわけでなく、私の中では火種はきちんと燃えている。「地を照らす」、これは大事な考え方だ。たとえば一年間の銕仙会の番組について機関紙「銕仙」で記事を書くとする時、その曲の「地」で連載が出来るんだ、書いてみたいな。

 昨年に二度演じた新作能「一石仙人」(多田富雄作)、来年ボストンでという話が来ている。是非きちんとやりたいものだ。

 厚木のまつかげ台に住む秋月謙一君(帰国子女で、ニックネームはケニーチ)より封書来る。例によって巻紙に墨。この前清門会のめくりを書いてもらったが、それをうちに届けてくれるのに例によって下駄で歩いてきた。何しろ自分のルーツを探るのだといって和歌山まで下駄で歩いて往復する人だから、能を見るのに東京までも歩いて往復する人だから、3,4時間は近いらしい。今の仕事は自宅での寺子屋。近所の子を集めて論語をやっている。

 株式会社のむらより能装束のカタログ。「極力安価をモットーとして・・・。」残念ながらこのところ装束を作る余裕ないんだよ。まず授業料。
 袴や紋付の廣部商事株式会社より価格改定のお知らせ。「・・・企業努力のみでは高騰分を吸収消化することは不可能・・・平成19年4月より価格を改定させて・・・。」うーん今のうちに袴作っておくか。
 足袋の伊勢屋さんもなかなかがんばっているけれどね。なくなったら能出来ないんだよ。足袋職人見習い大募集を能楽協会でかけるとか。まず響の会で職人さん取材をやろうか。

 明日は響の会の集い。「井筒を読む。」このところ少し、今読むならこうかなというのが見えてきたか。(寿夫先生の時代とは違ってきている。)具体的な演じ方も。また明日皆さんと実際に読んでみて・・・。

〔06/11/07〕ホトトギスが咲いたと書こうと思っているうちに全部散って菊薫る 【097】

 白い菊に囲まれて菊生先生の笑顔のお写真。「大好きな菊生さん、さようなら」。今日は粟谷菊生先生の葬儀(増上寺にて)。友人代表としての野村萬先生の弔辞。今スーツはこれしかないのに涙が一筋しみを作る。

 行きは地下鉄(都営大江戸線大門駅)で順之さんと一緒になる。帰りは若松さんと新宿まで一緒。今週土曜日の国立の〈井筒〉はシテ山本順之、地頭若松健史のコンビ。私と西村が若松さんの隣で謡う。
 駅までは宝生流の今井泰男先生とも御一緒。菊生先生よりひとつ上(1921年生まれ)。「面白いのがだんだんいなくなるよ。楽したらだめだから電車で。午前中に文化財で〈安宅〉を一人で全曲録音して来たよ。(お酒も毎日ですか?)録音の2,3日前はやめるよ。」4年で100曲録音の途中とのこと。地下鉄に乗る私たちと別れて浜松町のほうへテクテク。もしかしたら能を舞っているシテ方最長老か。野村又三郎さん(お元気なお姿を見かける)と同年とか。
弔辞のそれぞれや、先人たちのお姿、そして喪主明生さんの挨拶にあったこれからももっと能をやっていく決意に元気をもらって帰る。楽しく元気に厳しくやろうよ。

 うちの駅の本屋によって週刊朝日百科の『週刊人間国宝』の「24号・能楽(1)」と「25号・能楽(2)」のシテ方特集を買って帰る。出たばかりの「25号・能楽(2)」は菊生先生が表紙。「24号・能楽(1)」に先代銕之丞先生〈定家〉の写真があるがこの長絹は私と西村氏で持っているもの。この前鵜澤久さんが〈卒塔婆小町〉に使用。)
 桜間道雄師や後藤得三師は私の学生時代に関東観世流能楽連盟の鑑賞能に出ていただいて座談会でお話も伺った。このことなどはいつか書こう。

 おお明日はもう立冬とか。
 ずっと色々あって、書けない時ほど書くことは一杯あるということで、残しておけないことは残念。
 一行づつでも思い出して書いてみるか。


●〔06/11/06〕 国士舘授業。復習と先の羽衣キリの謡やってみる。小田急線鶴川からバスだがバス停の近くで山芋のむかご少々収穫。この辺は広袴(ひろはかま)という地名。狂言の山本則俊さん一家がお住まい。能が谷というのもあるがこれはあの白洲正子さんが住んだから?あるいは地名に惹かれて引っ越したのか?

●〔06/11/05〕 銕仙会にてベケットの催し。例の〈クァッド〉(但し早稲田の時より短縮版で)。アイルランドからの役者さんたちはやっぱりいいね。英語でやってるし。打上げはやっぱりギネス!アイルランド大使館のこの担当の女性はいつかの私たちのダブリンでの公演を観てくれていたらしい。今度はこれを是非ダブリンで。

●〔06/11/04〕 座間の薪能。朝から舞台設営を手伝う。開演40分前に雷雨! ホールへ急遽移動。ああ近くでよかった。しかしもう大丈夫だろうと職員の方々に帰ってもらった後だったので照明等大変だったが、ともかく20分遅れで開演。役者もスタッフもお客様も皆様お疲れ様。私〈清経〉のシテをいくつかミス。こら実力足りないぞ!

●〔06/11/03〕 銕仙会にて『清門会』。10時から6時半すぎ。仕舞二つと独吟何番かを除いて全部出る。昼を食べる暇も有らばこそ。お茶も入れてくれるんだが飲まずに出てしまったり。みんな点数良かった。能も2番、〈楊貴妃〉(今度80歳)と〈海士〉。向きが違ったりした時もあったけれど舞い通した力はたいしたもの。またやりましょう。お疲れ様。打上げはフロラシオン。よさそうなものが出ていたがまたあんまり食べずに(明日のものがたくさんあるので蓮太郎とタクシーで帰る)帰ってから弁当食べる。

●〔06/11/02〕 休日の予定だったが少し明日のための補習。終わって帰ろうと地下鉄への道で一人やってくるのに遭遇。ありゃもう遅いよ、明日頑張って。

●〔06/11/01〕 三菱さん稽古。明後日、うーんうまくいきそうな、心配な・・・。

●〔06/10/31〕 稽古能〈自然居士〉・〈女郎花〉。来月の銕仙会のもの。〈自然居士〉は地を謡い、〈女郎花〉は後見として(この曲は舞台上で特別後見の仕事は無い)ワキを謡う。それからベケットの稽古。それから西村氏と響の会のDM発送作業。昨日大久保・平尾委員が宛名のラベルを貼り通信とチラシを入れてくれておいてくれたものに挨拶と銕仙会の来年の年間番組を入れて封。銕仙会の藤岡さんも手伝ってくれる。(こうした時にフト普段思っていることが言えるもの。いろいろ改善したいことがあるんだよね。)黒猫メールの回収に間に合う。終わって帰りに西村さんと地下鉄の駅の蕎麦屋(コンコースの一番端にあり)でちょっと一杯。が、ちょっと長くなって・・・。

●〔06/10/30〕 清門会の申し合わせ。10時半より。能の申し合わせ普通素人の人のは装束をつけること多いが、私は当日たとえ多少見当は違ってもつけないでと思っている。まずまずうまくいって、早稲田の学生たちの秋季公演へ走る。4時から予定の舞囃子〈竹生島〉だけは見る約束。矢来能楽堂。5分前に着き、元気に出来たことを見届けて再び青山へ。ようやくお昼を食べてあと謡や仕舞など。

●〔06/10/29〕 ここは書いたか。(こちら→

●〔06/10/28〕 歯医者。今度は12月でよいとのこと。空手のパン屋娘がなんだか白山の歯医者さんに就職。空手の道場に近いが理由。午後富士高の同期会。昨日と同じ東銀座。100人ほどの出席。(この春の響の会を見ていただいた秩父先生も。94歳!)はじめに私の能の話ということで開演前から司会の某君に羽衣の装束をつけ始める。(人手と予算があれば誰か連れてきて私につけてもらって何かやっても良かったんだが・・・。)話は簡単に羽衣から能の魅力。そして羽衣のキリを自分で謡って舞う。久しぶりのメンバー(先生方があまり変わってなかったり、あれあんな先生いたっけと思ったら白髪の生徒、また訃報もあり)、いろいろ趣向もあり1次会だけで4時間。数寄屋橋近くでの2次会まで。わが母校泰明小学校もまだあるね。

●〔06/10/27〕 亀井兄弟の三響会(新橋演舞場、昼夜二部)。この3人とは子方からの付き合い。囃子事や歌舞伎そして能。能は〈安達原〉(シテ観世喜正氏と片山清司氏)。私は後見。花道も使う。朝10時半から場当り。終演、演舞場を出たらもう夜10時。

●〔06/10/26〕 全日本音楽教育研究会高等学校部会全国大会(於横浜メルパルク)にてワークショップのうちの一つを担当。ちょうど今朝の朝日新聞(しばらく前に夕刊の一面にお相撲の特集連載をやっていたが、あれを書いていたのは早稲田の観世会の後輩、横浜っ子)の朝刊に高橋睦郎氏が〈天鼓〉のことを書いていたのでそれを導入にする(人を愛する心、音楽を愛する心)。高橋氏が引用したキリの部分を私が謡う。ここに強吟から弱吟への転調部分あり、そこから音階の話へ。参加者には正座をしてもらって羽衣の部分を謡ってみる。そして構えと運びも。そして少しだが立って謡ってみる。もともと押していたので終わってもとの控室へよらずに(幹事の先生方に挨拶もせず)、国立能楽堂へ急ぐ。〈蝉丸〉。3夜連続の中日。今日は「逆髪」が梅若六郎師、「蝉丸」が観世清和師、地頭が銕之丞師(私はその左側で地を謡う)。逆髪の「緋の長袴」に「モギ胴」姿(上着を着けない着付けだけの姿のこと)の大迫力。普通にない?異様さ。


うーん夜も更けたり。朝刊も来た(ここらは印刷所が近いとかで早いのだ)。この辺でお休みとしよう。一行と言ったのについつい・・・。しかし何をやったか書いてるだけではやっぱりだめですな。季節が動いているよね。菊が株毎に違う色を見せてくれている。それらを日々に!

 今朝は大変な風だった。自転車は倒れるし、どこかでは竜巻だったらしい。シソの穂もそろそろあと少しで終わりか。この前座間の薪能の時、浅見慈一君が装束を取りに来てくれて(会場まで歩いて2,3分か)シソを見つけ感心していたので、穂を採ってあげたらパクリ!今日、種をとったので今度あげよう。代々木の舞台の庭にまいてみてください。紫蘇の森に蟷螂発見.さて蟷螂の出てくる能はいずれぞ。この前杉並能楽堂で稽古していたら見所に出てきたので、早稲田の学生たちには聞いたので、彼らはわかっている。はず・・・。

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